表紙画:

俵屋宗達「西行法師行状絵詞」より、西行が武蔵野の原で老僧に会う場面

(渡辺昭氏蔵より/写真提供・中央公論社)

 

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西行をたどる紀行であったり、和歌を考察したりしている、散文。

 

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■那智の場面で(以下抜粋)

 

 

のもとに住みける跡を見つるかな那智の高嶺の花を尋ねて

 

この西行の歌には長い詞書がついている

やっとのことで西行は那智へ辿り着いた、そして

 

那智に籠って、滝に打たれて修行していた時、その上の一の滝と二の滝へ行くという坊さんがいたので、西行はついていくことにした。桜が咲いているかどうか、知りたく思っていたところだから、険しい道を二の滝までよじ登ったのである。これを「如意輪の滝」というと、坊さんから聞き、拝んでいると、ほんとうに如意輪観音のお姿のように、少しうつむいた姿で流れ落ちていたので、尊く思った。そこには花山院が籠っておられた庵室の跡があり、老木おいきの桜が立っているのを見て、「木の下もとをすみかとすればおのづから花みる人になりぬべきかな」の御歌を思い出した

 

白洲正子さんは西行の歌の「見つるかな」と上の句できっぱり止めたところに、西行の悲しみの深さがうかがえる、としている。

そして下の句の「高嶺の花」の花は、花山院の「花」をおもわせるとしている。

 

いつ頃行ったのかは分からないが、崇徳上皇と同じような悲しい運命の、花山院へ心を寄せている。そこで老木の桜のもとに半ば崩れかかった庵室の跡を見たのだった。

 

那智の滝は、滝そのものが御神体であるからか、西行は那智に籠っていたというのに、滝についてはひと言も語ってないという。

 

白洲正子さんも、那智へ向かっている。

 

勝浦から那智の滝へは、かなり急な山道を登る。ところどころに大木の杉並木のつづく参道が残っていて、苔むした石畳を踏みしめて行く間に、熊野詣の神秘的な空気が迫って来る。どこからともなく地鳴りのような水音がひびいて来るが、行けども行けども滝は現れない。うっそうと繁った木立がトンネルの役目をはたし、石畳に反響して、この世のものならぬ轟音を発するのであろう。参道は歩いてみるに限る。車で行ったのでは、こういう感動は味わえない。

 

 

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著書:「西行」

著者:白洲正子

発行:新潮社 1988/10第一刷 1989/7第14刷(「芸術新潮」S61/4~S62/12連載)

 

 

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白洲正子さんは、健脚でいらっしゃる。

 

 

大門坂駐車場からだと、熊野古道の石段を登り、那智大社から那智の滝まで、約3キロ弱、約1時間程度の徒歩の距離となる。

 

那智駅からだと、約8キロ弱ある。

(那智駅→大門坂駐車場 約5キロ強、約1.5時間程度)

那智大社は標高約500mの位置にある。

これは朝早くからの一日元気コースだ。参拝ではなくトレッキングになってしまう。

 

 

那智の滝は、水量(毎秒1トン)・落差(133m)ともに、日本一だ。

この滝を神話の時代の神武天皇一行が発見したので、滝自身が御神体となっている。

そして、1600年前仁徳天皇の時代に、インドの僧、裸形上人によって開山され、

約200年後の推古天皇の時代(7世紀)に、堂宇が建立され、

大和の生仏上人が玉椿の大木で彫ったという如意輪観音(高さ約3m)がある。

 

如意輪観音は、那智大社の横にある、青岸渡寺本堂(如意輪堂)に安置されており、御開帳は年3回のみ。

2月3日(節分会)、4月第2日曜日(開山祭)、8月17日(お盆西国33ヶ所御詠歌法要)。19:00~20:00の一時間となっている。

 

 

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如意輪観音像を見たいなあ