【冒頭抜粋】
あなたはどこにおいでなのでしょうか。
仏は常にいませども現ならぬぞ哀れなる、人の音せぬ暁にほのかに夢に見え給ふ。
ーこの春大坂へ行きました時住吉の宿で、梁塵秘抄のこの歌を書いている友人須山の色紙を見ました。
(大意:仏は常に側にいるのだが姿を見せることはない。明け方、夢のなかでぼんやりと姿をみせたりする)
梁塵秘抄の有名な今様の歌からこの小説は始まる。
5歳の頃、住吉神社の大きな太鼓橋(反橋)を登る。
それは5歳のこどもにとっては、目の前に聳え立つ大きな試練であったし、
登りきることの達成感は、こどもを有頂天にした。
その頂上で、いっしょに手をつないで上った母から、
”あなたの本当の母親が死んだのよ”と聞かされる。
***
書かれたのは戦後昭和20年代前半頃で、その頃の話である。
戦争で親を失った孤児も多かったと思う。
自分に親がいないという状況が、成長していくときにどう関わってくるのか。
***
実母が亡くなっていたり、実父から疎まれたりしながら、
寄り添うもののない状況のなかで生きてきた古代からの人々や時代に思いを馳せ、
自分をなぐさめる。
***
この小説がどうして”歴史小説”の枠に入ったのか、という解説が興味深かった。
***
著書:「反橋そりはし」
著者:川端康成
発行:新潮社 平成12年(2000年)9月発行
新潮社編 歴史小説の世紀「天の巻」(27作家)の作品集より
※(「地の巻」(27作家)もある)
55人の作家で55作品を選んだものが、雑誌増刊号に掲載され、それを2巻に分けて文庫化にしたもの。(27人+27人で、人数が合わなかった)
戦後に発表された歴史時代小説で、原則として50枚以下の短編を、著者の生年順に、1879年生れの正宗白鳥さんから1946年生れの中上健次さんまでを掲載されたもの。
***
4名と編集者による解説『歴史小説から日本人がみえる』より、川端作品について
曾根博義氏(大学教授)
秋山 駿氏(大学教授)
勝又 浩氏(文芸評論家)
縄田一男氏(文芸評論家)
(部分抜粋)
曾根さん
(略)この小説には主人公が自分の生い立ちと母親のことを書いていくという一応の芯はあるわけですよね。しかし実際には大雅とスウチンと霊華という絵のことが出てきたり、それから後半では義政とか実隆が出てきたりする。
縄田さん
川端康成が作品で扱ってきたものは、歴史小説ではなくても、歴史小説で扱い得る伝統や日本人の心性等と密接に結びついていると思うんです。これはどういうものを歴史小説としてとらえるかということにまで広がっちゃう話ですけれども、この作品の中で過去と現在が往還しているところから生じてくるものもまた歴史小説が十分扱い得る題材ではないでしょうか。
曾根さん
いわゆる歴史小説家、時代小説家の作品は、現在に戻ってこないんですよ。過去にあったことを向こう側にあるものとして書いていて、書いてる自分とは関係ない。その点(略)純文学作家の場合、必ず現在というものが問題になる。それを離れて自分が小説を書く意味はない。つまり完全に過去のものとして枠にはめないで、常に書き手である自分がそこに入って行かざるを得ない。そういう意味で言うと、これは史実を書いているんじゃないけれども、ひとつの歴史小説のあり方だと言っていいんじゃないでしょうか。
