ずっと実家に住んでいて、そこから学校に通い、勤めに通い、30歳になったとき、

両親が事故死し、独りになった。

そうなっても自分が「ひとりではなんにもできない人」から動けなかった。

 

待ってても、晩御飯は出てこない。

冷蔵庫の中にはなにもない。

家の中がちょっとずつ散らかっていっている。

洗濯ものが溜まっていってる… 。

 

「なんにもできない」ではなくて「なにをしていいかわからない」。

 

未来の夢とかの話ではない。

目の前のことが決められない。「どうしたい」という気持ちがない。

 

主人公には、成長としてのなにかが欠けているのかもしれない。

 

生き方や性格の問題ではなく、特質というか、発達障害のグレーゾーン的なものにしか思えない。

 

それを両親は受け入れていた。

逆に真綿で包んでしまった。

 

叔母はそれを知っていたのだろう。

すぐに姪のために動いた。家に来て同居を始めた。そして姪を自立させようとした。

自立が無理だったらずっと同居することになるのかもしれないのを厭わずに。

空っぽの冷蔵庫に買ってきた食料の代金にも気づかない姪なのに。

 

だけど叔母もそうそう暇ではない。かまってはいられない。口も悪い。

容赦なく”子供部屋おばさん”と揶揄する。

 

主人公は、この叔母が子供の頃から苦手だった。

今も苦手だ。

揶揄し命令し責めてくる(と、本人は感じている)。

なんとか叔母から逃れたい、この一心で家から出ることを決めた。

 

友人も知人もいない。

職場も父親の伝手で入っている。職場で親しい人もいない。

いつもそばにいてくれるのは両親だけだった。

 

突然家族を亡くしたが、親の持ち家があり遺産があり慰謝料があり給与がある。

経済的な心配はない。

 

とりあえず、家を出て、叔母から離れたい。

 

 

どうしたらいいのかわからなかっただろうに、よく頑張ったと思う。

けれど、そのあと知り合って頼りに思う人達は、

同じ賃貸集合住宅に住んでいる苦学生と声優の卵。子ども。高齢者。

 

そうそう皆も暇ではないので主人公はいつも一人でいるんじゃないだろうか。

よく耐えていると思う。そして、知り合う人がそろって悪い人でなくてよかった。

 

でも、20代の若者はそのうち稼ぎ出したら、この(不便でたぶん安い)場所を出ていくだろう。子どもは思春期になったら離れていく。高齢者はそのうちいなくなる。

 

 

本人の経済観念はどうなんだろう。明言はない。

仕事も自分のペースと思われるので、父親の知り合いが退職すれば、いつまで職場にいさせてもらえるかは、わからない。

資産は大事に管理して欲しいが、大丈夫だろうか。

 

 

 

小説のなかで印象に残った話は、知り合った高齢者の話だ。

その人は、老後を女性3人でシェアハウスしていた。


夫を亡くしその後自分の家で、同じような独りの女性と、三人で共同生活している。

話を聞くと、どうもあとのふたりはべったりのようだ。

一日中一緒にいて、昼間はカップケーキなどを作って楽しんでいる。

食べきれないほど、毎日。

 

家に遊びに来てもいいけど、「意識して距離は保っておきなさい」と言う。

(抜粋)

「あんまり深入りしすぎるとね、きっと見捨てられなくなっちゃうから。さっき、私たちの暮らしを素敵って言ったでしょう?あれはね、私たちがまだ健康だからそう見えるだけなのよ。この先誰か一人でも倒れてごらんなさい。やれ介護だの、やれ付き添いだのが始まるわ。私も夫のときはなんとかやれたけどね、あれは連れ合いだから気持ちが保ったようなものよ。ルームメイトとなるとね、どこまで面倒見られるか、見てもらえるか正直わからないし、私たちと仲良くしてくれるなら嬉しいけれど、そこには巻き込まれないように注意なさいね。」「お若いし、やさしそうだし、押しにも弱そうだし、付け入りやすそうって言われない?それにさみしんぼ。昔の私をみてるみたい。」

 

 

この家の持ち主だけが現実的だった。

 

 

 

著書:「ネバーランドの向こう側」

著者:佐原ひかり

発行:PHP 2025/7初版