不登校次女~身を削る優しさは見返りが欲しくなる?~ | 次女日記

次女日記

辛かった中学受験を乗り越えて入った学校のはずだった。
不登校になりかけ次女のリアルな日常をタイムリーに。

アイコンがいつかニコニコに変えれますように。

先日次女の優しさ空回りを初めて目の当たりにした。


パパが午前中だけ会社に行き次女私パパの3人でランチに行った。

私と次女は自転車で行きパパは会社から直行で歩きだったため、帰宅時次女パパを気遣い

凝視「パパ!私、帰り寄りたい所が出来たから私の自転車乗って帰って!」


と言った。


私はすぐに次女の言葉の意図


数年前に心筋梗塞で手術をした後からすぐ息切れをするパパの体を気遣って言ってる事だと分かった。


しかもパパが遠慮しないようそういう言葉をチョイスした事も明らかだった。


帰宅後パパは


真顔「最近太ったから歩きたかったのに!自分の用事があるなら始めからママの車とか徒歩で来れば良かったじゃん。」

と私に愚痴をこぼした。


何も気付いていないパパに私は驚愕した。


キメてる「何を言ってるの?自転車が邪魔な寄り道なんてまずないじゃん?

次女はパパの体の事を思って、パパが徒歩はキツイだろうから自転車をパパに譲っただけだよ。」


真顔「え。まじで?」

なんて会話した。


次女からしたら自らの体力を削り相手を考慮したのみの優しさなのに伝わる事もなく寧ろ陰で文句を言われている。


案の定次女10分も経たないうちに寄り道もせず少し走ったのか息切れしながら帰宅した。


悲しくなった。


次女は学校でも似たような事が起きていたから頑張るのも優しくするのも嫌になり不登校を選んだのだろうな。

それだけではないだろけども。


とても難しい問題だと感じた。


身を削る優しさは、やはり人はそれなりに評価を得たくなる気がする。


「優しくしてあげたのに」「お礼すら言われない」

それに近いことを次女から聞いた事がある。


それは、やはりパパとのような出来事が起こったからかもしれない。


優しさは返ってこない前提だけれども勘違いされて文句を言われるのはさすがに辛い。


幼少期から私は彼女が出す大人びた優しさを汲み取り気付き褒めてきた。

感謝も伝えてきた。


しかし、優しさは全て正しいのか。

本人が損してまでの優しさは正義か?


優しさの出し方により人に伝わらない事を私は教えても来なかった。


次女の言葉の裏にある優しさを毎度汲み取り褒め続けた私は間違えていたかもしれない。


例えば今回の事も

凝視「後で疲れるから、私の自転車使えば??」

真顔「いや、いいよ。」

凝視「本当に大丈夫?」

と言うぐらいの方がいいのではないか?


身を削る優しさなら少し恩着せがましくしたっていい。


その方が次女優しさは相手側に伝わりやすく相手も自分の意見を言える。


その優しさの出し方について次女に話すべきかと悩んだ。


でも次女はもう経験して痛い思いをしているかもしれないから、次女が相談してきたら話するべきだなという考えに至った。


親は子のする事に少し鈍感なぐらいが丁度いい。


大学の教授が昔言っていた。

私は10代で聞いてから今までずっと分からなかった。

でもなんだが妙に響くつらみ。


あと昨日無事に英検行けました。

この日受けたい!と騒いでいた英検。


この奇跡不登校児の親はきっと分かってくださるだろう。


凝視「やべ。何ヶ月もノー勉なんだけど。2級無理だよ。」

キメてる「結果なんてどっちでもいいじゃん。初のS-CBTどんな感じか見るだけで充分じゃん?」

凝視「問題集どこだっけ。ま、いっか。でも、行きたくないな。」

何回もこのやり取り繰り返してましたわ。


行かないかな。

行く寸前ミノムシ来るかな。

久々にドキドキしちまった。

なんて思っていたけど、時間見て自ら用意して無事出かけて行きました。


帰宅して

凝視「不合格決定だわ。」

なーんて言ってたけど

全然いい!!


行きたくないものに行けただけで満点!