醍醐寺の次は歩いて随心院へ。小野小町ゆかりのお寺があると知り、参拝しました。
●総門
随心院は991年(平安時代)に、仁海が一条天皇より小野氏邸宅の隣地を下賜され、牛皮山曼荼羅寺を開基したのが始まり。
第5代・増俊の時に曼荼羅寺の塔頭として、隨心院が創建されました。その後、後堀川天皇の宣旨により門跡寺院となり発展しますが、承久の乱・応仁の乱で荒廃。安土桃山時代に再建されています。
真言宗のお寺で、本尊は如意輪観音(重文、鎌倉時代、秘仏)です。
●藥医門
●庫裏
1753年、二条家より移築。
●大玄関
内側より藥医門が見える。
●庭園
奥に見えるのが本堂。
本堂から見た庭園。右側には能の間、表書院。
●本堂
●だるま商店「極彩色梅匂小町絵図」
小野小町の一生を描いている。この部屋(能の間)だけ異空間です🤭
能の間とは、畳を上げて襖を変えると能舞台として使える部屋であることから。襖絵の裏側には、小野小町像などが安置されている部屋があります。
能の間から庭園を望む。
小野小町が晩年を過ごした地、と目にしていたので、小さなお寺だと思い込んで訪問したところ、立派な門と築地壁に走る5本線にびっくり。入ってみて、門跡寺院だということを知ったのでした。
#小町が生きていた頃は前身の牛皮山曼荼羅寺もまだなかったようです
華やかで可愛らしい小野小町の襖絵以外は、しっとりとした門跡寺院らしい雰囲気のお寺でした。撮影不可でしたが、表書院と奥書院には狩野派の描いた美しい襖絵がたくさんありました。
●小野小町歌碑
●小野小町 化粧井戸
この井戸の手前に小町が住んでいた邸があったそうです。「女小野小町つねに此の水を愛して艶顔をひし」という記述が残っているそう。
境内には、小町あての恋文を供養した「小町文塚」もあります。
●小野梅園
遅咲きの梅が集められているようです。
このあたりは古来、「宇治郡小野郷」と呼ばれる場所で、小野氏の邸宅がありました。小野小町に恋した深草少将が小町の元に通うが、99夜目の雪の夜に力尽きて亡くなってしまう、という謡曲「通小町」の舞台でもあるそう。
小野小町という人物も気になっているので、本を読んでみたいと思ってます。
📝仁海
神泉苑で雨乞いの祈祷を9回成功させ、「雨僧正」と呼ばれた。真言宗小野流の祖。