竹内栖鳳は1864年(江戸時代末期)京都生まれ。幸野楳嶺の画塾に入門、すぐに頭角を表します。1900年に渡欧、西洋の絵画から影響を受けながら新しい日本の絵画=日本画を模索しました。また、画塾「竹杖会」を開いて優れた画家を次々に輩出。文展・帝展の審査員も務め、明治から戦中の昭和まで日本画界を牽引した京都画壇の重鎮です。
関西の様々な日本画の展覧会で頻繁に目にする画家です。門下生も多くて、展覧会に行くと「竹内栖鳳に師事」と画家のプロフィールにあることも多い。私の好きな画家では、上村松園・伊藤小坡・小野竹喬・橋本関雪・山下摩起など皆、彼の弟子です。個人的には「先生」のイメージが強くて、優しく上品な佇まいの絵を描く人だな、という印象がありました。
けれどもこの展覧会を見て、私は若い頃の栖鳳の絵をあまり見たことがなかったのかもしれない、と気付きました。若い頃の雪舟風の絵、画面いっぱいに力強い墨で描かれた象の絵②、イタリアで描いた繊細な廃墟の絵③、力強く華やかな印象の富士山の屏風絵。どれも今までに知らなかった栖鳳で魅力的でした。
● 「象図」1904年
● 「ベニスの月」1904年、「羅馬遺跡図」1903年
● 「アレ夕立に」1909年
●「平和」1939年
●「夏鹿」1936年
●「絵になる最初」1913年、後期展示
● 「虎・獅子図」1901年、後期展示
動物画の名手として知られる栖鳳は、生涯雀のモチーフを好んだようで、雀の絵も何枚かありました。そういえば、別の美術館でも雀の描かれた扇を見たことを思い出しました。最晩年に描いた屏風も、金屏風にたくさんの雀。よっぽど好きだったんでしょうね🤭
「象図」と「ベニスの月」が好みでした。今までに知らなかった竹内栖鳳に出会えた、興味深い展覧会でした。