日本の弁護士にとって自由と独立が職務遂行における本質であることは弁護士職務基本規程自身が複数個所で繰り返し明言していることでもわかる。
第2条:弁護士は、職務の自由と独立を重んじる。
第20条:弁護士は、事件の受任及び処理にあたり、自由かつ独立の立場を保持するように務める。
第50条:組織における組織内弁護士は、弁護士の使命及び弁護士の本質である自由と独立を自覚し、良心に従って職務を行うように務める。
余談ながら(あっ司馬遼太郎のマネだ)、日弁連会則には≪弁護士の本質は自由であり、権力や物質に左右されてはならない≫と書かれている。
ところで、司法ジャーナリスト河野真樹氏が「自由業弁護士の終焉
」なる記事をアップしていた。
河野氏いわく、かつての弁護士は、経済的安定に支えられながら、人間関係に縛られずスキルによって自由かつ独立な立場を保持できたが、激増司法改革のあげく、弁護士業には自由業としての魅力が甚だ損なわれているというものである。
顧みると、自由業は何も弁護士に限られたわけではない。
フリーアナウンサー、小説家、漫画家、芸能人、コピーライター、占い師、新し目だとブロガーやネット投資家だって正真正銘の自由業だ。
あるフリーランサーは、その自由の本質を{飢える自由
}となぞらえた。例えば、フリーランサーの場合、組織に属するよりも経済的に窮することが多い中、ごく一部の者だけは大成功を収めることもあることを踏まえるなら、私は{収入固定(≒国民の平均収入)からの自由}と言い換えたい。
ごく一部のものはその職業を選択することにより国民の平均収入を凌駕することもできるが、同時に、国民の平均収入には及ばない存在となっても別におかしくないのが自由業の本質なのだ。
話を戻そう。弁護士職務基本規程の解説第2版4頁によれば、自由と独立は、①国家権力からの自由と独立②依頼者からの自由と独立③他の弁護士からの自由と独立、の3本柱からなっているそうだ。
③はたとえ共同事務所や弁護士法人に所属していても他の弁護士には隷属しないという意味らしい。
①は法テラスが跳梁跋扈している今、割と損なわれているのではないかという意見もなくもないが、法テラスと縁を切ることも自由なので、そう行動した弁護士にとっては、いまなお保持されているといえよう。
②は医師法19条・司書法21条・行書法11条と異なり、弁護士には受任の諾否の自由が付与されていることが1つの証左と言える。
こうしてみると、弁護士職務基本規程にいう{自由と独立}の本質には、昨今法曹増員政策により侵されている、弁護士という職業が経済的安定に支えられていることを含むものではないことがわかる。
つまり、昨今の弁護士をとりまく経済事情が急激に変化した今なお、弁護士の本質である{自由と独立}はあんまり損なわれていないともいえるのだ。
じゃあLS入学者の激減も含め、ここ数年弁護士志望者が急激に減少しているのは何故なのか。みもふたもないが、これから職業を選択しようという者にとって、弁護士という職業の魅力ポイントの多くがその経済的安定に置かれていたことにほかならない。
自由かつ独立した存在であることそれ自体が弁護士の魅力を創り出すものだなんてのは、法曹増員を決定した連中の無邪気な誤解だったのだ。
と考えると、弁護士の経済的安定なんか知ったことかと激増政策を推し進めていく限り、弁護士の経済的安定が復帰しない限り今後も法曹志望者が減るばかりであることは火を見るより明らかだし、私のように既に弁護士になってしまった者は、自由かつ独立した花よりも経済的安定という団子の確保に懸命にならなければ、弁護士になんかならなくたって小説家でもブロガーでも占い師でも大差ない人生選択だったということになりかねない。がんばらんば
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