#674 東電PG舞浜線 ~夢を繋ぐ送電線~ | 関東土木保安協会

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関東土木保安協会です。
浦安東線、美浜連絡線、美浜線と見てきました。
 
  


 
美浜変電所の先に続くのが舞浜線です。
続いてこちらを辿っていきます。
この送電線は、大型テーマパーク周辺に送電を行っている夢の架け橋となっているようですが、調べると面白い経緯がわかりました。
では先に進んでみましょうか。
 
▲美浜変電所の先にも隊列が続く
 
美浜線らと同様の、1982年製のモノポールで統一された集団の舞浜線。
完成時期が8月と、美浜線と3ヶ月差があり区間で工期がずれていたことがわかります。
 
▲舞浜線No.1(1982/8,35m)
 
シンプルなモノポールは広大な道路用地の脇にも映えます。
強い日差しが差しこむ海沿い工業地帯。
延々と続く広い道路に、シンプルな鉄塔群。
まるで日本でないような風景です。
あぁステキ。
 
▲振り返ると美浜線から続く一直線が
 
美浜線から続く鉄塔沿いの道路は、すぐに直角に逸れ、それ以降は第二湾岸道路用とされている広大な空地だけが続きます。
味気なく無機質なモノポールの並び。
そして未成の街を思わせる空虚な道路予定地。
なんてエモーショナルな光景なんでしょうか。
素晴らしい!
 
▲第二湾岸用地とされる空虚との相性も絶妙だ
 
興奮して美浜線と同じような鉄塔を眺めてゴールへ向かうと、最終鉄塔であるNo.7に到着です。
既視感ある美化鉄塔の引き留め、引き下ろし版。
色味だけは特徴があり、今までの白色からクリーム寄りの色合いになっていました。
塗装費用はさして変わらないだろうに、何故わざわざ統一美を無くしてまで塗装を変えたのでしょうか。
 
▲舞浜線No.7(1998/8,41m)
 
1998年と他よりも15年も若い鉄塔です。
この時期もなぜか?というと、わかる人にとってはすぐに察してしまうのですが、それは置いておいて舞浜線の送電先を探してみます。
舞浜変電所といって、鉄塔のすぐ道路向かいにある配電用の変電所でした。
線路名の命名規則からすればここに送電しているのでしょう。
 
▲鉄塔下部の左側に写るのが舞浜変電所だ
 
では舞浜変電所ができたのはいつかと言うと、これが結構最近で、文末の施工会社の工事記録では2009年頃のようです。
2009年と鉄塔のプレートの1998年、おかしいことに気付きますね。
舞浜変電所のためにこの最終鉄塔を建てたのではないとわかります。
 
▲舞浜変電所外観
 
この舞浜線を調べると、文末のサルマル氏のサイトが出てきました。
氏はこれをケーヨーリゾート線として掲載しています。
舞浜変電所がいちばん最後じゃないの?という話です。
どうやら違うようで、舞浜変電所の先には別の特高需要家がいるようです。
ケーヨーリゾートとはこれまた線路名の命名規則の一般論かすると、恐らく社名なのでしょうが、では何者か。
調べると、ケーヨーリゾート開発合同会社という会社が当てはまりそうです。
この会社は、東京ディズニーリゾート隣接の同オフィシャルホテル、シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル(以下シェラトンホテル)の運営を任された会社です。
シェラトン線とはせずに、契約事業者名でケーヨーリゾート線にしたのではないでしょうか。 同ホテルは1988年にオープンしました。
ここでもまた差分が出ます。引き込み鉄塔は1998年。この差は何か。
ということで国土地理院の航空写真の出番ですよ。ごはんですよ。
現舞浜線No.6ができたばかりの1984年の写真を確認すると、同じ仕様のモノポールの送電線が、道路を挟んで反対側まで続いているのが見えました。
下写真黄色マークが鉄塔で、それぞれ右からケーヨーリゾート線(現舞浜線)No.6とそれに続く同No.7,8です。
 
▲国土地理院航空写真(1984/11/22,国土地理院)
 
これを追うと、当時の東京ディズニーランド(以下TDL)の駐車場の隣の空地で、ケーブルヘッドに収められ地中線に切り替わっていました。
写真から判断するに、周囲に変電設備等は見当たらず、ここは地中引き込み設備だけのように見えます。
舞浜変電所ができる前、さらに今の最終鉄塔ができる前までは、その線路名から察するに、シェラトンホテルに引き込んでいたと推測できます。
このホテルは1988年のオープンと書きましたが、ではホテル完成前からこの地に特高送電を求めた需要家はいるのかというと、考えられる需要家は1983年オープンのTDLとなります。
これはつまり、1988年を境に線路名が変わってしまったのではないか?と察することができます。
 
▲国土地理院航空写真(1989/10/20,国土地理院)
 
下写真の左下のS字の建屋がシェラトンホテルで、上写真と比較してほしいですが、中央右寄りにあるのが地中へ潜るケーブルヘッドです。
このような位置関係になります。
地中線の特高需要家の先に複数の需要家が接続されている場合、需要家内に分岐用の導体とケーブルヘッドを設け分岐する場合もあります。
シェラトンホテル建設の際に、当初の美化鉄塔脇のケーブルヘッドで地中引き込みを増やせればよかったものの、恐らく設備やルートの都合で不可能だったため、シェラトンホテルへ引き込み先を変えた後にそこからTDL向けの分岐配線を設けたのではないかとも考えられます。
シェラトンホテル脇には同規模の大型ホテルが2件あり、これらにもその分岐箇所から分岐しているのでは?とも推測できます。
 
▲国土地理院航空写真(1989/10/20,国土地理院)
 
シェラトンホテルが高圧需要家で、途中から特高に変更したのも考えられますが、恐らく設備規模から竣工から特高だったのではないかと想像します。
 
もう一点、No.7が1998年のプレートになっている件です。
2枚上の写真と同じ位置で現在の航空写真に切り替えてみました。
下写真を見てみてください。
 
▲国土地理院航空写真(2009/4/28,国土地理院)
 
もうお分かりですね。
現在は東京ディズニーシー(以下TDS)が建設されています。
TDSは1998年着工、オープンが2001年ですから、写真でもわかるように着工を見据えて事前に地中化して建替したようです。
この地中化の時点で、ケーヨーリゾート合同会社への送電はされているため、恐らくケーヨーリゾート線のまま地中化したのではないかとみられます。
 
▲かつてはこの道路沿いに送電線が続いていた
 
さて、ここまで長々と話してきましたが、前回の美浜線の話も含め、わかっている情報から推測も交えまとめてみます。
・1970年頃:浦安東線~美浜連絡線~美浜線~美浜変電所は美浜線で一本の線路だった。
・1982年頃:美浜変電所までの区間を美化鉄塔に建替し、美浜変電所より先にTDL方面へ美化鉄塔にて延伸。(この時は美浜変電所以遠の線路名はテーマパーク名だったのではないか?)
→TDL敷地内に架空線を引き込まずに、敷地外にケーブルヘッドを設け地中線として引き込み
・1988年頃:オフィシャルホテルとしてシェラトンホテルがTDLの南側に特高需要家として完成。
→シェラトン敷地内等でケーブルヘッドと分岐導体等によりシェラトン(他ホテル?)へ分岐、TDLはその先の需要家となり線路名を分割。この線路のこの分岐点までをケーヨーリゾート線とした
・1998年頃:TDSの工事開始に伴い、ケーヨーリゾート線No.7以降を地中化。
→ケーブルヘッド以降のルートは変えずにケーヨーリゾート線のままルート変更
・2001年頃:TDSがオープン。
・2009年頃:ケーヨーリゾート線No.7の道路向かいに舞浜変電所を新設。
→ここでもケーブルヘッドを増設できれば舞浜線とケーヨーリゾート線を鉄塔から分岐できたものの、美化鉄塔で不可能なためせず、舞浜変電所にて分岐することとし、ケーヨーリゾート線を舞浜線に名称変更。
(舞浜変電所構内で分岐導体等によりケーヨーリゾート線を分岐して、現在はそこから以遠のシェラトン、TDL、TDRに送っているのではないか?)
 
状況が全くわからない中で推測だらけなのですが、このような流れではないでしょうか?
 
▲半端な位置関係が短縮化の歴史を臭わせる
 
モノポール一直線!という壮観な画が拝めるということで伺った舞浜線。
そしてその前の区間である美浜線や浦安東線。
テーマパークのためにきれいに整えて建設したものとばかり思っていましたが、調べてみると歴史も長く変化もある送電線だったようです。
 
今年TDLは開園40周年の記念すべき年を迎えます。
夢の国も早40年。
40年前にSNSと鉄塔フリークの今のファン層があれば、きっと「ディズニーランドの特高受電」などと誰かはアップしたでしょう。
今から40年前に完成していた夢の国へのライフライン。
「ケーヨーリゾート」というキャッチーな横文字すら表では拝めなくなった今、半端なスパンで引き下ろし鉄塔に至る舞浜線最終鉄塔が、その当時の建設状況を静かに語りかけてきます。
 
 
 
〈参考〉
株式会社日新 : 山留工事
 
株式会社オリエンタルランド : 東京ディズニーリゾートのあゆみ
 
毎日送電線 : 燭台型鉄塔