# 554 利根川水位表示塔「ときの塔」 | 関東土木保安協会

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今回はとある登れない塔の話です。
いつもならこんな立派なタワーがあるんですよ、なんてノリで話すのですが、今回は少し違います。
行政が行政向かいに撤去要請をしている案件です。
それでは、立派で悲しい、残念なシンボルの元へ、行ってみましょう。
 
 
埼玉県は北東部の久喜駅。
ここの東口駅前広場に、「ときの塔」と呼ばれるモニュメントが設置されています。
15mくらいあるでしょうか。
 
この塔、久喜市のすぐ北側を流れる利根川の水位などの情報をリアルタイムで表示させられる立派なもので、当時の建設省が設置したようです。
一番上の赤い線は利根川の堤防高であるT.P.22mを指しています。
その他、様々な色で線が描かれていますが、後述する通りこれらは河川水位の目安になります。
 
▲利根川水位表示塔「ときの塔」
 
私も生まれる前の話ですが、戦後間もない1947年に通称カスリーン台風が日本を襲い、利根川と荒川流域もかつてない短期間での豪雨により、多数の堤防の決壊が生じました。
中でも、当時の東村(元加須市)において発生した利根川の堤防決壊は、濁流が埼玉県の北東部の市町村を次々と飲み込み南下。
数日を経て東京の葛飾区や江戸川区まで浸水被害を発生させる大水害となりました。
この堤防決壊が久喜市でも甚大な被害を発生させ、この塔が立つルーツを辿ることができます。
 
▲側面には東京湾基準の水位高目安が刻んである
 
「平成10年度最高水位」として18mで黒線が刻んであります。
建てられた当時は、そのカスリーン台風のように一種の目安だったのでしょう。
2019年10月の台風19号では、この当時の水位は易々と抜かれ、氾濫危険水位へ到達後も尚も水位を上げ続け、栗橋観測所では計画高水位の30cm手前まで迫り、上流の川俣観測所では計画高水位を上回るなどしました。
これにより、堤防の越流も決壊もなかったものの、氾濫(→洪水)状態に至った付近一帯へは避難勧告がなされ、加須市では約9000人が避難するなど、利根川は稀に見る大きな危機に見舞われました。
 
▲久喜市を始め過去には、利根川流域では大きな水害を被った
 
そんな貴重な水害啓発のシンボルであるときの塔ですが、扱いを見るに大事にされていません。
駅前ロータリーの目立つ場所に鎮座する案内板も、故障中の掲示がしてあり稼働していません。
ネットを探してみると、現役稼働中の姿を記録されている方もいらっしゃいます。
少なくとも2003年には塔にある電光掲示板機能も稼働しているのが分かります。(文末リンク参照)
 
▲タクシー乗り場の隣にある案内板
 
案内板にはハザードマップや塔に示された基準の見方などが丁寧に書いてあります。
真ん中の河川を模した部分は、現在の水位が電光掲示されるようなギミックがあったのでしょう。
 
▲停止中の文字が悲しい案内板
 
この案内板も、市議会では「駅前の喫煙所整備を」「案内板を撤去し喫煙所に」などと議論されていて、市も「国交省に早期撤去を求めていく」などと回答しています。
 
▲細かく塔の見かたが書いてある
 
利根川もカスリーン台風を契機に治水計画を練り、現在ではスーパー堤防の整備もあり、加須、栗橋付近の右岸は強固な堤防が築かれていますが、それでも今回の氾濫(→洪水)が示す通り、気象条件が悪化した昨今では特に、越流やまた堤防が決壊するリスクは0ではありません。
 
▲東京湾から比較して22mという高さは、かなり高く感じる
 
実際、この塔がどれだけの広報力があるかと言うと確かに疑問で、この塔を見たことにより平時から準備が必要と思う方、そしてそれから実際に行動計画を立てる方、防災用品の準備をされる方となるとごく僅かではないでしょうか。
その費用対効果を察するに、この塔のような立派なシンボルではなく別のアプローチをしてもよかったと多くの方が思ってしまうのも事実でしょう。
しかしながら、利根川の周辺市町村も例に漏れず、戦後に都心のベッドタウンとして栄え、いま示されている浸水想定では、一つの県を飲み込んでしまうくらいの住民が避難対象となります。
そして2019年の氾濫(→洪水)を考えれば、意識は過剰でもいいくらいなのが事実でしょう。
 
▲当時の人口では、カスリーン台風での避難想定者数は210万人であった
 
案内板はタクシー乗り場の隣の他に、ロータリー北側の交番脇にもありました。
こちらも訪問時は稼働していませんでした。
どちらの案内板も地表に配線類が出ておらず全て地中配線のようで、見栄えは良く随分と凝った作りだなと思います。
 
▲2つ目のときの塔案内板。痛みが激しく、同じく停止中
 
そして、時は2021年。
市側が国土交通省側へ要望していたこれらの撤去工事が、遂に年明けから始まりました。
2つ目の案内板も、このとおり綺麗に無くなっていました。
 
▲綺麗に撤去された案内板
 
ときの塔自体も、全体が足場と養生で覆われ、最期の姿となっていました。年度末迄の工期です。
 
▲ロータリーのシンボルが遂に囲われてしまった
 
無用の長物となっていたときの塔。
しかし昨今の気象条件などの時勢を考えると、全く無駄ではないと思っているところです。
なんともその役割や効果について不完全燃焼のまま、コロナ禍の喫煙所環境の問題などを投げ掛けられつつ撤去に至る姿、非常に残念ではあります。
 
▲撤去工事の掲示板
 
久喜駅東口は、2019年に再開発の準備が発表され、都市計画道路の整備やスマートICの計画が進められています。
もしこの計画上で駅前ロータリーも手を入れる話になれば、この塔も遅かれ早かれ撤去になっているかもしれません。
 
 
意義があっても、効果がよくわからないものが、埋もれていき、結果として必要とされるようなときに機能していない。
なんとも、ワイドショーで揶揄されるような、社会の実態と不一致な行政の結末を見るようで残念なのですが、彼が駅前にしっかりと存在した歴史は、この話でしっかりと残してあげたいと思います。
 
 
 
 
〈参考〉
 

 

 
・久喜市にある、「変」なもの、「いいもの」 : 1億円の無駄遣い

 

 
・久喜市にある、「変」なもの、「いいもの」 : 【最悪】『ときの塔』は故障⇒取り壊し