#427 【一塔両断】 北与野変電所 ~新都心の心臓部~ | 関東土木保安協会

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皆さんこんにちは。
関東土木保安協会です。
 
 
日本ピストン与野線を辿る前に、すぐとなりにある大きな電波塔に立ち寄ったので、その時の話です。
ここは東京電力北与野変電所です。

 
ここは巨大な屋内型変電所になります。
窓もない巨大壁面が大規模な電話局やデータセンターを思わせる、とにかく大きい図体です。
275kV級の超高圧変電設備が入っていますから、1フロアの天井高さもさぞかし高いことでしょう。
この高さにして何階分でしょうか。

 
茶色の壁面は落ち着いたカラーリングで、アクセントに白いラインが入ります。
住宅街に突如として現れますが、なかなかの威圧感です。
鉄塔が建っているのでテレビ関連の施設と思われているかもしれませんね。(といいますか一般の方はまずどんな施設か興味を抱かないですよね。。)

 
変電所へ接続する主要な送電線が、275kVの北与野線です。
北与野線は、上尾変電所から国道17号等の地中を経て至る約10kmの送電線です。


三菱電線工業の資料(文末参照)によると、この北与野線で初めて275kVのCVケーブルにブロックモールド型接続(BMJ)を世界で初めて用いたとのことです。
BMJは地中送電線におけるCVケーブル同士の接続において、従来のEMJ工法よりも省力化を図った工法とのことです。
説明によると、従来現場施工であった接続モジュールの半導体層形成などの工程が、工場で施工済のパーツを用いることで、24日ほどの総工程を15日ほどで進められるようになったとのことです。
9日間の工期短縮効果があるとすれば、工事にはどれくらいの人的稼働を要すかは分かりませんが、費用的には結構な低減効果があるでしょう。
勿論品質、安全面でも効果は高いはずです。
 
この資料では埋設ルートが簡単なイラストで示されていますが、そのざっくりした線形と位置から察するに、陸上自衛隊大宮駐屯地の脇を進むように思えます。
大宮駐屯地も専用線の特高需要家の筈ですので、途中までは同じとう道を用いているのでは、と考えられますが、どうでしょうか。


ふと考えさせられましたが、インターネット上で北与野変電所を調べてみると、BMJの件以外はあまり情報が出てきません。
といいますか、屋内型変電所や地中変電所自体がほとんど情報が出てきません。普通であればファンの方々が写真でもアップしてそうなんですが。
これは、送電網のファンの方よりも、圧倒的に鉄塔ファンの方の比率が高いことを示している結果かと思います。
鉄塔を巡るのであれば、構造物を追いかけることになるので楽しみもありますが、地中奥深くの埋設管路や建物の内部の設備群はどうやってもイメージでしか楽しめません。
とう道や共同溝の上を辿るウォーキングなんぞしていれば、相当コアなファンでしょう。
ひょっとしたら、その場合はマンホールハンドホールマニアの方々の方が追いかけているかもしれませんが。
そんなこんなで、建設経緯や出力、接続送電線については情報が薄い北与野変電所なのです。

 
さて、一応一塔両断企画なので、先程から載せている電波塔くんにも触れましょう。
鉄塔は紅白塗装がされた、太めの鋼管柱鉄塔です。
一番最初に知ったとき、遠目ではここが何か分からず、NHKか国土交通省か東京ガス辺りかと思っていました。


塔一本では味気ないからか、下部にはトラス状の鉄骨が組まれています。
携帯キャリアのアンテナがびっしりです。東電の鉄塔なので、KDDI系なんでしょうか。

 
マイクロアンテナは複数設置されています。
電力会社のアンテナはまだまだ元気がありますね。
 

よく見ると色褪せと錆びがわかります。
案外若いんですけど、古くさく見えてしまいますね。
再塗装に期待です。

 
この変電所は元々工場か倉庫であった所に建っています。日本ピストンリング与野工場の道路向かいですので、関連の別会社、もしくは日本ピストンリングそのものでしょうか。
建設時期を追うと、航空写真では1998年からしか建屋が出てこず、三菱の資料でも北与野線の記事は2001年のものです。
北与野変電所の主要電力供給先が、突如として巨大な電力需要地域となったさいたま新都心であり、核施設は2000年には竣工していることを考えると、90年代後半に完成した変電所なのでしょう。
現時点で20年弱の経年というところでしょうか。


隣には、日本ピストンリングの工場跡地にイオンモール与野があります。
駐車場からも鉄塔の勇姿を拝んでみました。
 
 
 現在では立ち並んだ官公庁や高層ビル、イベントホールがすっかり市民に馴染んだものとなったさいたま新都心ですが、その影にはこんな縁の下の力持ちがいたのです。
これからもこの巨大なレンガは、さいたま新都心の要として鎮座することでしょう。
 
 
 
 
〈参考〉
・三菱電線工業時報 : 2001年1月(PDF)
 
・三菱電線工業時報 : 2003年4月(PDF)
 
 
・東畑建築事務所 : さいたま新都心合同庁舎