Quatsch!のコーナーです。
この週末、ドイツは3連休ですね。
というのも、
10月3日がドイツ統一の日(Tag der Deutschen Einheit)
で祝日
でしたので。
「ドイツ再統一」については、昨年も「Quatsch!」でお話しておりましたが…
本日ドイツは祝日 もう23年もたったんですね…。(2013年)
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11627411217.html
今日は、
戦後間もない頃のベルリンのお話を、
ちょっと違った角度からしたいと思います。
その前に、現在の話を少々。
8月の末に「ニュース紹介」で、ベルリン市長が辞職するというお話をしました。
ベルリン市長 空港建設の遅れで 引責辞任
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11916646306.html
その辞職の原因として、ベルリン新空港の建設の遅れが原因だった…という話でした。
実際、21世紀に入って、この「新空港」の建設計画が上がった頃には、
ベルリンには国際空港が3つありました。
Schönefeld (シェーネフェルト 1934年開港)
「新空港」とするため拡張工事中。
現在はLCC(ドイツ語:die Billigfluggesellschaft)が主に乗り入れ。
Tegel (テーゲル 1948年開港)
現在も国際空港として機能。
「新空港」の完成後に閉鎖予定。
・Tempelhof (テンペルホーフ 1923年開港)
ベルリン市街部に一番近い空港でしたが、拡張が難しいため2008年に閉鎖。
このうち、今日の主役は、
現在も国際空港として活躍しているTegel (テーゲル)空港のお話です。
時代は遡って、第二次世界大戦が終わって間もないころの話です。
大戦で敗れたドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国に分割統治をされます。
そして、ベルリンもまた4か国で分割統治されることになりました。
そして、ベルリンの処遇については、4か国で議論はしますが、
米英とソ連とで対立が続き、一向に進まない状況でした。
そのさなか、通貨改革での対立がきっかけになって、
1948年に西側諸国(米英仏)の占領地域からソ連占領地域へつながる道路・鉄道・運河全てを、ソ連が閉鎖してしまいます。
そのソ連占領地域のど真ん中にあるベルリンには、
西側諸国の物資が陸路では運べなくなります。
(この事件は「Berlin-Blockade(ベルリン封鎖)」と呼ばれています。)
当時でも西ベルリンだけで200万人の人口を抱える都市でしたので、放っておいたら物資がすぐになくなるのは目に見えていました。
そのため、
「陸で行けないのであれば、空を飛べばいいじゃない」
と誰かが言った訳ではありませんが、米英仏で空路での物資輸送を始めます。
ソ連側と閉鎖前に結ばれた協定で、
ベルリンへの空路は3ルートだけ許可されていました。
しかし、問題になったのは、空港の処理能力の問題でした。
西ベルリン地域に当時あった空港は、Tempelhof (テンペルホーフ)と、あと1つ「Gatow」という小さい軍用空港しかなく、とても200万人の物資を運ぶのは、「無理」だと思われていました。
ソ連は、それを見越して、西ベルリンを「兵糧攻め」にしたのでした。
西側は、その状況を打開すべく、
市民の協力の下、西ベルリン地域に新たに空港を造ることになります。
ベルリンへの空輸作戦が始まったのが、6月末、
そして、空港が完成したのが、なんとその年の12月上旬。
なんと半年もたたないうちに、空港を造ってしまったのです。
しかも、当時最長の滑走路(2400m)を持つ空港だったりします。
ソ連側の妨害を受けることは、空輸作戦中に幾多とありましたが、
「ベルリンへの空の橋」は維持され、
西ベルリン市民が西側陣営にしかとつく結果となりました。
その結果、ベルリンへの封鎖は、翌年には解除されることとなります。
…しかし、封鎖が解除されたとは言え、
米英仏は統一ドイツ政府の樹立を諦める結果となってしまいました。
1949年
米英仏の占領地域が、
ドイツ連邦共和国(西ドイツ Bundesrepublik Deutschland)
ソ連の占領地域が、
ドイツ民主共和国(東ドイツ Deutsche Demokratische Republik, DDR)
と、「ドイツ」に2国家が分離独立する形となりました。
先にチラッとお話した「通貨改革」などの結果、
西側の方が経済状況が良いために、
東から西への脱走者が増えていった…という話もありますが、
それは、またの機会にお話いたします。
そのお話は、コチラ…
命をかけた西ベルリンへの逃走… ベルリンの壁にまつわる話
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11949815397.html
ちなみに、先の3空港のうち、
西ベルリンにあったTegel(テーゲル)とTempelhof (テンペルホーフ)は、
冷戦の間は米英仏の便が乗り入れるのみでした。
しかし、規模としては大きいTegel(テーゲル)空港に、
だんだん比重が移っていきました。
東ドイツにあったSchönefeld (シェーネフェルト)空港は、
東ドイツの航空会社Interflugのハブ空港として、
共産圏の各地を中心に路線を持っていました。
が、統一後は、Interflugが解散した上に、
設備の切り替えが必要だったこともあって、
統一後は、Tegel(テーゲル)空港がベルリンの窓口になっていました。
そして、更なる拡張のために…というのが、
最初にお話しいたしました「新空港」の話なのです。
(フランクフルトをどうするの…とは思いますが。)
遅くとも、来週末には「Quatsch!」を書くかと思います。
それでは。
<リンク>
Quatsch! バックナンバーはコチラ。
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11528446169.html
次回:京都の交通案内に見る「コミュニケーション」
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11937842026.html
前回:え?ドイツでも北と南でビールが違うの?
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-11930768371.html
<下のバナーをクリックして、応援をお願いします。>