久しぶりの更新になります。

ツイッターに軸足を置いてしばらく活動していましたが、文字数制限があるため、詳細な内容についてはブログの方が良いですね。

 

昨今、東京オリンピックのスポンサー企業の要人や大会組織委員会元理事が強制捜査・逮捕されていますが、経営者側(この元理事も電通の元経営者だった)の認識の甘さを感じます。

 

 

贈収賄行為は、民間だと犯罪ではない。

 

良いか悪いかは別として、多くの企業は仕事を取るために色々なことをします。

 

小さくは得意先企業への挨拶、接待、贈答、別のコネクションがある人物を顧問にして報酬を支払い接待等する。

中には、得意先企業の従業員へキックバックをやったり、代金上乗せ+ピンハネなんかを得意先企業の従業員が持ちかけたり、外国公務員への賄賂もあります。

 

最後にいくつか挙げたものは犯罪ですが、殆どのケースでは犯罪ではないため企業側の理屈では「この程度は正当な営業行為」という認識を持つのでしょう。

会社で出世して経営者になったような人物や、会社を創業して大きくしてきたような人物なら尚更、このような営業行為が有効であることが身に沁みているはずです。

 

しかし、この延長線上で考えてオリンピック関連でもやってしまったので大問題になっています。

 

おそらく、企業側が言っている「賄賂という認識はない」というのは、まぎれもない真実なんだろうと思います。もちろん、違法性の錯誤(犯罪だとは思わなかった、という勘違い)は犯罪を阻却しませんが。

 

経営者の本音としては「今までこんな感じで口利きやコンサル会社への報酬支払で仕事をもらってきて、今回もそうしただけなのに何が問題なんだ?」という所ではないかと思います。

 

 

贈収賄行為=国民の税金を詐取する行為、という認識が無い。

 

一般的には贈収賄の保護法益は公務に対する国民の信頼とされていますが、賄賂行為によって、

 

・本来発注すべきでない仕事が発注される。

・発注の必要性があっても、受注すべきでない企業が受注する。

・発注の必要性があって受注すべき企業が受注しても、その金額が多額になる。

 

等の二次的問題が発生するため、税金の無駄遣いが生じます。この税金の無駄遣いに加担する行為が贈収賄になるので、個人的には国家財産に対する詐取を防いで保全すること、が賄賂罪が規定されている理由の一つではないかと思っています。

 

 

そして、この認識が当事者に欠けていたのが現実ではないでしょうか。

先に挙げた例は、結局民間同士であれこれやっている事なので、最終的には株主が利益を受けたり損をしたりするだけで済みます。しかし、オリンピックは税金を使うイベントで公的主体が絡むため看過できません。

 

この認識が無かったがために、今回の一連の問題が発生していると考えています。

 

 

東京オリンピック2020のスポンサー企業一覧。

 

参考までに、スポンサー企業一覧を載せておきます。特に意図はなく、事実を適示しているだけになります。

 

 

・ワールドワイドオリンピックパートナー
Coca Cola/Airbnb/ALIBABA/Atos/ブリヂストン(ただし、テレビCM予定せず)/Dow/GE/Intel/OMEGA/パナソニック/P&G/SAMSUNG/トヨタ(ただし、テレビCM中止)/VISA

・東京2020オリンピックゴールドパートナー
アサヒビール/Asics/Canon/ENEOS/東京海上日動/日本生命/NEC/NTT/野村証券/富士通/みずほ銀行/三井住友銀行/三井不動産/明治/LIXIL

・東京2020オリンピックオフィシャルパートナー
味の素/アース製薬/Education First Japan/airweave/キッコーマン/KNT-CTホールディングス/JTB/CISCOシステムズ/SECOM/ANA/ALSOK/大日本印刷/大和ハウス/東京ガス/東京メトロ/TOTO/東武トップツアーズ/TOPPAN/成田国際空港/日清食品/日本郵便/日本空港ビルデング/JAL/JR東日本/久光製薬/三菱電機/ヤマトホールディングス/リクルート/読売新聞/朝日新聞/日経新聞/毎日新聞

・東京2020オリンピックオフィシャルサポーター
AOKI(関係者が逮捕)/Aggreko/ECC/EY Japan/KADOKAWA(関係者が逮捕)/GOOGLE/コクヨ/清水建設/田中貴金属/テクノジム/乃村工藝社/パーク24(現時点で、家宅捜査が実行)/パソナグループ/ボストンコンサルティンググループ/丸大食品/モリサワ/ヤフー/産業経済新聞/北海道新聞社

 

 

まとめ

・今回問題になっている口利き等は、民間レベルでは罪ではない。

・このような口利きを駆使しながら民間企業は大きくなってきたし、その有効性を経営者は認識している。

・しかし、税金が絡む五輪で無意識でやってしまった。

・当事者に、贈収賄は国民の税金の詐取行為である、という認識が無かった。

 

久しぶりの更新になりますが、自分自身の考えの備忘メモの意味も含め、記事を書いておこうと思います。


コーポレート・ガバナンスとは何か?(公的な意味)

ビジネスの世界において、みんながよく知っている言葉であるけれど殆どの人が実態を説明できない言葉の一つではないかと思います。

東証が出しているコーポレートガバナンス・コードという、上場会社が守るべき指針をまとめたものがあるのですが、この中ではこういう定義づけがされています。

本コードにおいて、「コーポレートガバナンス」とは、会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する。

また、同コードの中において、その目的として次のものが挙げられています。

・会社の持続的な成長
・中長期的な企業価値の向上


つまり、コーポレート・ガバナンスとは、持続的成長と中長期的な企業価値向上を図る目的を実現するため、会社が、ステークホルダーの立場を考慮して適切な意思決定を行うための仕組み、と言えるのではないかと思います。


コーポレート・ガバナンスとは何か?(目的に関する私見)

ただ、改めて見ると曖昧で、具体的に何をすればいいのかがさっぱりわからない、という問題点が出てきます。

詳細は割愛しますが、個人的にコーポレート・ガバナンスを研究し、監査役として実践してきた経験から考えると、コーポレート・ガバナンスの目的の一つに、「会社の存続」があるように思います。

特に上場会社であれば規模も大きく、利害関係者も多数となり、ひとたび倒産となると社会的損失が甚大です。
コーポレートガバナンス・コードの詳細を見てみると感じますが、「変化の激しい世の中の流れについていきなさい」という意図を感じることができ、即ち会社の存続が求められているのではないかと思います。

ここまでをまとめると、コーポレート・ガバナンスの目的は以下の三つと言えると思います。

・会社の持続的な成長
・中長期的な企業価値の向上
・会社の永続(100年先、1000年先も存在できること)




コーポレート・ガバナンスとは何か?(目的達成のための具体的対応に関する私見)

では、先ほど挙げた三つの目的を実現するために何をすればいいのでしょうか?
これもコーポレートガバナンス・コードを読み込んでいくと感じるのですが、求められていることは「自分自身の会社に、理論的に第三者視点で丁寧に向き合うこと」だと思います。

例えば、社長人事です。

上場会社は社会の公器と言っていい存在ですが、そうであるならそのトップの人事は公明正大に行われるべきでしょう。
しかしながら過去の日本企業では、現社長が社長室に子飼いの部下を呼び、「次期社長は君しかいない!」と言って決まっていたのが現実です。
これは、日経新聞の「私の履歴書」を見れば明らかなのですが、多くの社長人事はこうやって決まっています。
しかし、これは冷静に考えればかなりまずい決め方と言えます。

上場企業のトップを選ぶのに、社内で何の基準も設けておらずトップの鶴の一声で決めてしまう。
世間では常識なのかもしれませんが、別の見方からすると、「現社長による、社会の公器たる上場会社の私物化」と言えます。

そして、こういう私物化をする会社が永続できるのか、いやできるはずがない、という思想からコーポレートガバナンス・コードは書かれています。(コーポレートガバナンス・コード 補充原則4-3② 4-3③)

社長人事は一例ですが、会社の常識、慣例、伝統、先例、馴れ合い、トップによる勘のみ経営、こういった合理的でない要素を今一度見直し、上場企業としてふさわしい合理的な仕組みを入れる、というのがコーポレート・ガバナンスの精神であろうと考えます。


以上をまとめると、コーポレート・ガバナンスとはこうなります。

コーポレート・ガバナンスとは、会社の持続的な成長、中長期的な企業価値の向上、会社の永続を実現するため、会社が、論理的に第三者視点で自分自身の会社に丁寧に向き合うこと、及びそのような自省ができるための仕組み


コーポレートガバナンス・コードは25ページくらいの冊子ですが、社長や社外取締役や監査役を選ぶ基準を設けなさいとか、自社が利益を出せているのはだれのおかげか認識しなさいとか、世の中の流れについていける体制を整えなさい、というような思想がちりばめられています。
コーポレート・ガバナンスが理解しにくい難解なものであるという理由には、「常識を疑わねばならない」という、常識にどっぷりつかった人には盲点となる要素があるからではないか、とも感じています。


まとめ

・コーポレート・ガバナンスの目的は、会社の持続的な成長、中長期的な企業価値の向上、会社の永続(100年先、1000年先も存在できること)である。
・その目的達成のための手段は、論理的に第三者視点で自分自身の会社に丁寧に向き合い、自省すること。
・自省するには「常識を疑う」必要があるため、常識にどっぷりつかった人であればあるほど、コーポレート・ガバナンスは理解しにくい。

アメブロの機能で、「1年前の今頃こんな記事書いてましたよ」という通知機能があります。

それで出てて来たのが下記ですが、今読んでも納得する部分があったので、焼き直しですが改めて書いてみたいと思います。

 

クレヨンしんちゃんと監査役

本文抜粋

クレヨンしんちゃんが連載30周年ということで、インターネット記事を見つけました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4e511be70bc68cdcd04d1bdd77fa7233c9de78ca

ご存知クレヨンしんちゃんは今でこそ国民的アニメの一つになったと思いますが、テレビ放送初期のころはPTAの「子供に見せたくない」番組の1位を獲得するようなアニメでした。

PTAがそのような意見を出すことに何か意味があるのか、そもそもそんな権利があるのかというのは置いておきますが、とても今では放映できない内容が多かったのも事実です。


クレヨンしんちゃんはそもそもどんな漫画か?

私が小学生のときに始まったテレビアニメですが、元々は大人向け漫画雑誌で連載されていた4コマが原作になります。

大きな流れとしては、

①ある大人が何かしようと企んでいる。
②そこにしんのすけがやってきて、色々とちょっかいを出したり、答えにくい質問をしたりする。
③その質問は大人が説明できない、又は説明したとしてもそれが自分の評価を落としてしまう言いにくいことであり、大人がひるむ。
④最後は大人がキレてしんのすけに向きになって反論するが、それを周りに聞かれて恥をかかされる。

というストーリーです。

ここで出てくる「大人」は、世間体や見栄ばかりを気にする人物や、作っている周りのイメージと実態に著しい落差がある人物であることが多いです。(今のアニメに出てくるキャラクターでは、一番近いのは、個人的にはまつざか先生です)

そういう大人の痛いところをつく、かなりの風刺が効いた漫画が原作なので、世間体の上に成り立つようなPTAから嫌われるのはある意味当然だと思います。


しんのすけは正しい

しかしながら、実はしんちゃんが言っていることは大体において正しく、それに対して大人が怒る反応をするということは、大人にとって痛いところを突かれているという証左でもあると思います。

しんちゃんというと、「ケツだけ星人」とか親を下の名前で呼ぶ、というあたりがクローズアップされて目の敵にされますが、このような点は表面的なところだと思います。


例えばしんのすけが母ちゃんに対して、


「はぁ、今晩のおかずも手抜きか。やれやれ。」
 

というセリフを言うことがありますが、実はこれは「みさえ」がいないところで「ひろし」が言っていたセリフであったり、専業主婦の母ちゃんにしても昼はごろ寝してテレビを見て時間が無くなったから夕飯が手抜きになってしまった、というような背景があります。

それに対して母ちゃんは怒ってげんこつしますが、実は本当に怒る権利があるのかは怪しいところでしょう。

自分の行いに恥ずかしくなって、話をそらすためにげんこつという手段を使ったとも言えるかもしれません。


自分の会社に「のはらしんのすけ」はいるか?

このように、見栄、体裁、虚栄心、同調圧力、面従腹背、嫉妬、誹謗中傷、諸々の負の感情が渦巻く世の中に、子供の純粋な視点でかつ直接的に意見を投げかけるのがしんのすけです。

監査役視点で考えると、こういう人が会社にいて面と向かって批判の声を上げると、表向き会社の和を乱します。

「○○部長にそんなこと言うもんじゃない。」

という周りの声が聞こえてきそうです。

しかし、会社は互助会ではなく合理的に利益を追求する団体です。
社内から上がる批判に対してきちんと理論的に説明できないのに案件を進めようとすることこそ、「そんなことやるもんじゃない」ものだと思います。


会社の発展は健全な批判の先にあるものだと思いますので、会社の中にしんのすけのような人が一人もおらず、イエスマンや同調者ばかりになってしまうと危機的と言えるのではないでしょうか?


まとめ
・クレヨンしんちゃんは、実は大人の表面的世界に対する痛烈な風刺漫画。
・実は、しんちゃんの言っていることは正当であることが多い。
・会社にもしんちゃんのような健全な批判ができる人間がいないと危うい。

 

ところで、最近のクレヨンしんちゃんは結構ライトになっている感じがします。

まつざか先生も20年くらい前は「見栄を張る意地悪な先生」というイメージがありましたが、最近はいざという時は身を挺して子供たちを守れる、それでいて面白い子供思い(だけど外面は常に大事)な先生というイメージです。

 

自分が年とったから見方が変わってきたのかもしれませんが、いまだに見ていて面白いアニメだと思います。