◇法徳寺と「ゆるぎ石」の奇しきご縁◇
一昨日、「若神子の七不思議」の一つ、「ゆるぎ石」について書きましたが、法徳寺も私自身も、この「ゆるぎ石」には縁もゆかりもありません。
11年前、若神子の聖地に、法徳寺をご開創するまでは、その存在すら知りませんでした。
「ゆるぎ石」とのご縁は、この地に法徳寺を建立してから出来たご縁に過ぎず、法徳寺を此の地に建立していなければ、この「ゆるぎ石」ともご縁がなかった事は間違いないでしょう。
しかし、表面的に見れば、法徳寺の建立によって初めて出来たご縁に過ぎませんが、更に深く悟ってみればどうでしょうか?
そうすると、元々、法徳寺と「ゆるぎ石」との間に奇しきご縁があったからこそ、「ゆるぎ石」のあるこの地が、法徳寺ご開創の聖地に選ばれたと考える事も出来るのです。
私の考え方は後者で、法徳寺と「ゆるぎ石」には、元々切っても切れないご縁があったと考えています。
何故かと言いますと、この「ゆるぎ石」には、菩薩様が仰っておられた神通力の話を髣髴とさせる謂れがあるからです。
◇常識は常に正しいか?◇
先般お話ししたように、この巨岩が、「ゆるぎ石」と呼ばれているのは、「指で静かに動かせば動く」という言い伝えがあるからですが、横2メートル90センチ、縦1メートル90センチ、胴回り8メートル60センチもある岩ですから、指どころか、大の大人が何人かかっても動くような岩ではありません。
大きなクレーンで持ち上げれば動くでしょうが、言い伝えにあるように、「指で静かに動かせば動く」ようなものではありません。
「我々の常識から見て、それは絶対にありえない」と断言してもいいでしょう。
ありえないからこそ、「七不思議」の一つに数えられている訳ですが、問題は、「我々の常識なるものが、いついかなる時も絶対に正しいのか」という事です。
もし、絶対に正しいと断言出来るなら、「指で静かに動かせば動く」という言い伝えは間違っていると断言してもいいでしょう。
しかし、常識と言われている事が、常に正しいとは限りません。「指では絶対に動かない」という意見も、実は、「我々の常識から見て」の話に過ぎないのです。
我々の常識では絶対に指で動かせる筈のない石が、もし指で動いたとすればどうでしょうか?
当然我々の常識は根底から覆される事になりますが、果たして我々の常識は間違っていないのでしょうか。
もし、我々のまだ知らない、目に見えない常識を超えた世界があったとしたらどうでしょうか?
◇小指で富士山を持ち上げる力◇
何故そんな事をお話しするのかと言えば、以前、菩薩様に、「仏の神通力とはどんなお力なのですか?」とお聞きした事があるからです。
私の質問に対し菩薩様は、「譬えれば、小指で富士山を持ち上げるようなものだ」とおっしゃいました。
「人間の力では絶対に不可能だけれども、み仏の神通力をもってすれば、たとえ富士山であろうと小指で動かせる。神通力とは、そういう力だ」とおっしゃったのです。
富士山さえ動かせるのですから、「ゆるぎ石」を動かす事など朝飯前でしょう。
我々の常識では間違っている筈の「指で静かに動かせば動く」という言い伝えは、正しい事になります。
さて皆さんはどう思われますか?