今年はこれまでと全く違う年明けでした。

何年振りかに実家に行きました。
それも、人生で初めて「恐怖」を持たずに向かいました。
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実家に向かったのは、
前日の大みそかに、父の訪問看護師さんから
元日早々に父が緊急入院するかもしれないと連絡があったからでした。

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私は結婚してから、
義理を立てるためだけに実家に行っていました。
父は
「正月は家族がそろって挨拶するのは当たり前だ!」
「盆はご先祖さまが返ってくるのだからちゃんと迎えるのは当たり前だ!」
と、常に厳しい顔で断言し、
もし行かなければ怒り、暴れ、親類に迷惑をかけるのでㅤㅤㅤㅤ
それを防ぐために仕方なく、嫌々でした。
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旧姓を思い出だしたり、見るだけでも、身体に緊張が走り、ㅤㅤㅤㅤ
スマホの連絡先に父の名前があるのも嫌で
名前の欄には旧姓の初めの文字をカタカナで「モ」とだけ入れていました。。
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私にとって父は恐怖の固まりで

父に対しては 言葉の細かい点‥
例えば
「お父さん」 と 「おとうさん」の違い違いだけでも
怒りだし、暴れだすことになったりするので、
常に細心の注意を払い
顔色を窺いながら緊張していました。



2019年に神経の難病「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」を発症し、
鉛になったような身体に激痛を感じながら
布団から起き上がるどころか、寝返りを打つのも辛い状態に。

そんな厳しい状況のなかで、
ひとつだけ 「寝たきりになって良かった~」
と心から喜んだことがあります。


「これで、病気を理由に実家に行かずに済む
父と合わないで済む正当な理由ができた!」
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それほどまでに避けていた父ですが、
昨年、私があることを決めたら
それまで想像もしなかった状況へと変わり、
今では父と冗談や昔話を懐かしみながら、笑顔で話せるようになっています。

生きてきた中で色々な大きな変化がありましたが
これは、奇跡としか言いようのないレベルの変化です。
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親類の誰に話しても、
「あの人(父)は何をしても変わらない。」
「そんなことがあるわけない」
「自分(父)が都合いいように言ってるだけで あなたは騙されてる」

と誰も信じません。

天国にいる母も同じでしょう。


でも、確かに今の父と私は信頼が生まれ、
穏やかな気持ちで
「本音」で会話を楽しむことができるように激変しました。
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それは、私があることを決めたときから変わり始めました。
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私が決めたのは 
「周り(妹たちや親類)から聞く噂や
私が見ていないところで起きた話ではなくて、
父と私の間であった「事実
「自分」が見たこと、聞いたこと、「自分」の感じたことを信じるでした。
ㅤㅤㅤㅤ

ここ数年は、
次に会う父は棺の中にいるだろう、いや、そうであって欲しいとさえ
思っていましたが、
「私は人として本当に後悔しないのだろうか…」と頭をよぎることもありました。

昨年の初夏のころ、
90歳を過ぎて、一人暮らしをしている父の健康状態が気になり
思い切って「体調はどう?」と電話をしてみました。
意外なほど優しい声になっている父と短い時間話した後、
「病気は辛いだろう。まだ若いのに可哀そうだけど仕方ない。
お父さんにはお金の支援くらいしかできないけど、
親だから子供を助けたい。いくらか送るよ」と。
とっても温かい時間が確かにそこにありました。
そして数日後に現金書留が届きました。

本当にありがたかったです。

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しかし、その後に妹から電話がありました。
「お姉ちゃん、お父さんにお金貰ったの?
あいつ(=私)は金の無心ばかりしてくるって言ってたよ」 

ショックでした。

また昔の様に自分の都合の良い方向へ話を捻じ曲げ
周りを敵扱いして攻撃するのか…と
ㅤㅤㅤㅤ
でも、確かにあの日、父と私の間には温かい心の交流がありました。
それは私が知っている事実


「お父さんが、あいつは金の無心ばかりしてくると言った」は妹からの情報で、
私は見ても聞いてもいない
母はいつも「お父さんは話がコロコロ変わる」といっていたから
本当にそう言ったかもしれない。
とはいえ、やっぱり私が「直接」聞いたわけではない=事実かどうかは不明


一方で、私と父の会話は私が体験した「事実」 

であれば、事実かどうか確かめようのない第三者の情報より
私が知っている「事実」=私と父との温かい会話の時間を信じよう と決めました。 

更に妹が仕掛けてくる心理的「ゲーム」*からも降りることにしました。 



且つて、父は私たち姉妹の注意を引き
実家に呼び寄せるために
「体調が悪い。救急車でこれから病院に行く」などと、
連絡をしてきて、病院とトラブルになったり、
本当は全く元気だったりで、
辟易させられてばかりでした。

ㅤㅤㅤㅤ
今回連絡が来た時は、純粋な心配と同時に
一瞬「また、これまでと同じ繰り返し?
お正月に親戚一同が集まらないから 
また、お父さんの作戦?」と
疑いが頭に浮かびました。
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でも、訪問看護師さんから現状をひとつひとつ教えていただき、
「事実」を確認し、
不確実な過去のドロドロした時代の記憶や
妹たちや他の親戚の「憶測」や「確執」も思い切って脇に置いて
「今」の私がどうしたいかを優先して 
急遽、実家に向かうことにしました。
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これまでの「本当は実家になんて行きたくない」という
恐怖と緊張の重たい気持ちでなく 
純粋に「娘」として実家に行ったお正月は初めてでした。
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実家に着くと、父は訪問看護師さんの2度目の訪問を受けていた時で、
前日の厳しい状態から
自分で着替えて庭先に出られるまでに回復していて一安心。ㅤㅤㅤㅤ
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そして、父は
「入院が必要かもしれないと連絡がいったみたいだね。
お前もやることがあるだろうに、わざわざ来させて申し訳なかったな。」ㅤと。
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ほんの数か月前の父からは考えられない言葉でした。

その後、二人で笑いながらおしゃべりをして
私は温かい気持ちで帰路につきまた。


2年前は 次に父の顔をみるのは
父の葬儀の時だろうと思っていたので
私にとっては奇跡ともいえる時間でした。


こんな温かい年明けの2026年は
間違いなく良い年になるはずです。
ㅤㅤㅤ


「目の前の人は自分の鏡」 

相手は自分の姿の合わせ鏡です。
自分がどう在るか、どう考えるかで相手は変わります。 
SNSでも、この類の言葉はたくさん出てきますが、なかなか腑に落ちない方も多いかもしれません。
かつては私も「ちがう! 私はあんなことしない!」 と思っていました。 

相手を変えたいと思っても変えることはできません。 
その人は自分とは別の人格を持つ存在で
自分の所有物でも管理する物でもありませんから。

でも、自分が変わると、必ずと言って良いほど相手も変わります。
まずは自分の本当の気持ちに気づき、心地よさを大切にすることが大切と
私は思っています。 



**心理的ゲームとは
心理学(交流分析)の用語で、「無意識に繰り返される、後味の悪いコミュニケーションのパターン」です。
 まるで「決まった結末に向かう台本」があるかのように、いつも同じような展開で嫌な気分
(怒り、悲しみ、罪悪感など)になって終わります。ㅤ


 

 

 

今年も残りわずかですね、
皆さんはどんな1年でしたか?


フロリダに住んでいる友人 久美ちゃんと一緒に
毎週月曜日にstandFM、Spotify他で
「繊細さんのライフcafe」という番組を配信しています。

先日、「私の2025年ベスト5」というテーマを決めて
私は2025年、何をしたかな? と考を考えたのですが

「私、2025年は夫に代わって大黒柱になるって言ったのに全然できてない」
「やりたいって理想を描くばかりで、何も形になってない」
「何も成果をあげてない」

ばかりが頭に浮かんできました。
それを久美ちゃんに話すと 

ビックリしたような顔で
「え~ そんなこと無いよ! たくさんやってるよ!」 と言われました。


「そんなにビックリした顔されるほど、私は的外れな事言ってた?と
あらためて1月からどんなことがあったか見直してみたら 

「わ~ わたし結構頑張ってたじゃん!! 」




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「全然・・・」
「何も・・・」 は  思い込み 

心理学では「一般化」

たった一度や数回の経験を、あたかも『すべてに当てはまる共通のルール』だと思い込むこと。


心理学を学んでいても ついやってしまう。
特に 今回のように 「できてない」 や
「嫌われる」
「ダメだ」 のようにネガティブな事ほど一般化してしまいがち

これ、脳の面倒な癖です。



そこで、
私と同じくライフコーチをしている久美ちゃんにコーチになってもらい、
1年をあらためて振り返ってみました。


今年出来たこと、やったこと
①雑誌、ファッションショーでモデルデビュー
②声優にもチャレンジ 
③カウンセリング、コーチングのスキルアップ
④開業届を提出 
⑤出版(共著)決定、校了
⑥大阪で講演会 
⑦・・・


思った以上に出てきて、一つ一つを見返すと
得たものがたくさんあったことを思い出し、

なかでも大きいのは
自己肯定感がとっても低く 「私なんて・・・」が少なくなったこと 

まだゼロではないけれど、
私的にはかなり改善されていたことに気づきました。


ひとりでは 直ぐに「思考のクセ」が出てきて
「何も・・」 
「全然・・・」が 現れますが 
こうして誰かに伴走してもらうと
こんなに出てくるんだ と
私自身がコーチ、カウンセラーでありながらも再体験しました。 


私は「自分の事を話したら嫌われる」というブロックを長く抱えてましたが

「誰かに話す」は 本当はとても大切で
自分自身に気づき、成長させることに繋がると改めて感じました。


あなたはどんな2025年でしたか?

もし、「何も・・・」
「全然・・・」 なんてネガティブが出てきたら

「それ ほんと?} と疑うこともセットにしてみてください。

自分が思うより、きっとたくさんのチャンレンジや
学びや成果を上げたものに気づくと思います。

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もし、一人では思い出せない と思ったら
お気軽にお声がけくださいね 

 

 









 

11月24日に開催する「こころの病に希望を灯す 3つの処方箋」


双極性障害の家族のケアを30年以上した まさみん
(藤澤昌美さん)と
20年近く、欝、パニック障害、双極性障害などいくつものメンタル疾患を患っていた私
精神科の医師によるトークイベントに向けて準備中です。


 

 

 

 

24日に何を話すか、色々考えていたら、
忘れていたことを思い出してきました・・・
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私もメンタル疾患患者の家族だった時代があったこと
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正確に言えば、診断を受けたわけではないので 
「患者」と言って良いのかどうかわかりませんが


社会的にみると、
むしろ、そういう方の方が多いと思います。



私が20歳を超えたころ、
母は明らかにおかしかったんです。
でも、私は見ないふりをしていました。
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母は、父の事が好きで結婚したわけではなく、
むしろ「嫌い」でした。 

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自分のそれまでのキャリアも何もかも手放して
全く知らない土地で
舅、姑、父の兄弟たちと同じ屋根の下で
封建的な大家族の「嫁」として
全く自分が望まない人生を生きていた人です。


私は子供ころ、「結婚は人生の墓場」だと心底信じていました。
披露宴の新郎を見ては
「あの男性は、あの女性のために生活費を稼がなくちゃいけなくて
色々な責任を負わなくちゃいけないなんて 
なんてかわいそう」 

新婦を見ては
「あの女性は、
自分の苗字もやりたいことも全部捨てて
自分の家族とも離れて、 
愛されることもない男性とその家族のために自分の人生をささげなくてはならないなんて
なんてかわいそう」 

披露宴で「おめでとう」というのは
これから墓場に入る二人に、せめてもの餞 
戦地に向かう兵士を送り出す「万歳」のようなものだと思っていました。

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ここから、私の育った環境は 温かい家庭とは
ほど遠かったことを想像いただけると思います。



母が明らかにおかしい と感じたのは私が20歳を過ぎたころから、
母は40代半ば、辛い結婚生活が20年ほど過ぎたころでした。
人間ですから、イライラしたり怒ったりすることは当たり前ですが、
当時はだんだん気分の波が大きくなっていって
「お母さん、かなりストレスが溜まってるんだろうな」と
感じるようになりました。
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今でも特に印象的に思い出すシーンがあります。

 
母は着物が大好きで、和服をとても大切に丁寧に扱っていました。

それがある時、私のちょっとした言葉が気に障ったようで
手入れをしていた 私の振袖一式を
何か大声で言いながら、ベランダから外に放り投げました。 
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母の表情も言葉も身体の動きも 殺気立って
私はどう声を欠けていいのかも分かりませんでした。

でも、その時
私は現実を見たくない気持ちがあったことは間違いありません。

「ここまで来たら、私の手に負えそうにない
やっぱり精神科に行った方が良いんだろうな
でも、どこに病院があるんだろう?
精神科に通っているって 私の会社の人や周りの人に知られたら
なんて思うんだろう
笑っているお母さんでいて欲しい」 
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そして、私は色々な考えが頭の中を駆け巡りながら
表面的には淡々と
地面に散らばった振袖、長じゅばん、帯締めなどを拾い集めて
「普通」の日常に戻るように努めました。



母の言動がおかしいと感じたのは
その時にはじまったことではなくて、
本当はそれ以前から、母の表情、発言、食欲の様子などから
精神科に行った方がいいのかもしれない と思っていました。

笑顔がだんだん減ってきた
食事が不規則になってきた
気分のムラが大きくなってきた
掃除が雑になってきた 
服装の色が暗い色が多くなってきた
服装に気を遣ないようになってきた 
洗濯物をたたまないでそのままにしていることが増えてきた 
一人で寂しそうに鼻歌を歌うことが増えてきた 
リビングにいる時間が短く、自分の寝室にいる時間が増えてきた
要らないものを買いだめするようになってきた
「あ、忘れてた」 ということが増えてきた 
夕食の料理の品数が減った
盛り付けが雑になった 


ざっと思い出すだけでも
こんなにたくさん 母の表情や言動はSOSを出していました。

それに気づいていながら

自分の家族が心を病んているとみられたくない という全く自分勝手な

考えもありました。

 
私は気づかないふり というより
心の病とは関係ない思いたかったのだと思います。



精神科にいったら なにかが壊れてしまうような気がして

母に「病院に行ってみた方が良いんなじゃい?」ということは
(後に全くの私の間違いと分かりますが・・・)
母に心が病んでいるというのは、「あなたはおかしい」と言っているような、
申し訳ないような気がして、
言わないことが母のためであり 自分のためである と思いました。


自分たちで何とかしなくちゃ と

母の辛さや本当の気持ちや、状態は見ないふりをして
問題なさそうな日々を過ごそうとしていました。


でも、それは全く逆だったと
後に痛いほど分かることになります。

ㅤㅤㅤㅤ
もし、少しでも 「あれ?これまでと違う」と感じた時に
早く専門家に相談していたら・・・
病院に行っていたら・・・

その後、どんどん悪くなる状況を避けられたはずです。


******

それから数年後、私が心が不調になったとき

辛い、
なんかおかしい 
助けて欲しい 

と思っても
 「こんなことで申し訳ない」
「周りに何と思われるのだろう」 
「私の頑張りが足りないだけで、気のせい」
「みんなに迷惑をかける前に、 自分で何とかしなくちゃ」

と、ずっと 心の内の不安や葛藤を言えませんでした。
ㅤㅤㅤㅤ
自分ではどうにもならなくなり、
これ以上は、もう子供を虐待してしまうかもしれない
手をかけてしまうかもしれない と限界を感じても
心療内科に診察を受けたいと電話をするまでに
何週間も何か月も悩みました。

もし、家族が「病院にいってみたら?」と言ってくれたら
もう少し早く行けていたかもしれません。 

その後、20年近くもトンネルの中を出口を探し続けなくても済んだと思います。
ㅤㅤㅤㅤ
ㅤㅤㅤㅤ


母が辛そうにしているのを横目に
当時の私の心の病に対する浅はかな偏見 と 思い込み で
今更ながら、母にとても申し訳ないことをしたと思っています。


あの時、勇気を出して 「専門家に相談しよう」と言えていたら
母はその後もっと違った人生を歩めていたかもしれません。
ㅤㅤㅤㅤ
母はよく
 「しょせん、人は孤独なの 人は孤独に強くならないと生きていけないもの」
と言っていました。

当時は 子どもが巣立っていく寂しさなんだろうと考えていましたが
もっと心の奥深い孤独だったのだと思います。
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心の病は その症状だけでなく
患者本人も 家族も 偏見や孤独 とも戦うことになります。


そんな孤独を感じている人に 「あなたは一人じゃない 一人で悩まないで」と
伝えたい想いから
今回の企画が始まりました。

 

 

 

今、日本は自ら命を落とす人は世界的にも異常といえるほどの人数です。

心の病は決して他人事ではありません。
ぜひ、私たちと一緒に考えて行ってほしいと願っています。

 

 





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長くなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。

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11月24日、大阪で「心の病に希望を灯す3つの処方箋」という講演に登壇します。



 

この企画は、藤澤昌美さん——まさみんの

「孤独な人を救いたい」という熱い想いから生まれました。

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まさみんは、長年、双極性障害を抱えるご主人を支え続けてきました。

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ある講演でその体験を話した時に、
 

「うちも同じです」

「こんな時はどうしたんですか?」

「こんな時、昌美さんはどう考えたのですか?」
 

と質問が絶えず、その方々の真剣な眼差しを見て、
 

「私のように家族のことで悩んでいて、

そして家族のことだからこそ周りに相談できずに孤独感で苦しんでいる人がたくさんいる。

そんな人たちに、“一人じゃない”と伝えたい」
 

と強く感じたそうです。

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ㅤㅤㅤㅤ

けれど、語ることには難しい現実もあります。

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「このことを話すには、公の場で夫を“ストレスを与える存在”として語らなくてはならない。

大切な夫をそんな風に話すことにもためらってしまうし、

もし患者の方がそれを聞いたら、自分を責めてしまうかもしれない。 

そう思うと躊躇してしまう。」

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ㅤㅤㅤㅤ

そこで、私が20年近く心の病を抱えてきた当事者として、

一緒に語ることで、

患者と家族、両方の味方で伝えることができる



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さらに精神科の医師にも加わっていただき、

3つの立場からお話をします。ㅤㅤㅤ

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一生懸命頑張った末に心を病み、

その家族をケアするために心を壊していく人たち。

家族のことだからこそ、誰にも相談できない孤独。

そんな悲しいことが少しでも減ることを祈りながら・・・

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と、テーマとしては重くなりがちですが、

この会が終わって帰る時には

心も身体が軽くなってもらえるような

明るい気持ちになれる会になるよう 準備をしています。

その点は、どんな時も周りを楽しく、笑いに巻き込んじゃう
盲目の講演家、かずくん(
野元 和明さん)が主催なので、

楽しい会になることは間違いないです👍

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今は心の病に誰もがなる危険がある時代ですが、

このようなイベント、全国的にもレアです。

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お近くの方でお心当たりがあれば、

お知らせいただけると嬉しいです。

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まさみんの想いを語ったYouTubeは
 

 


今回のイベントの大切なポイントががわる

 

 

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お申し込みは

 

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詳細はこちらからご覧ください

https://fb.me/e/6HGDOAOb1

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最近は時間に追われてる感じで

やらない事を決めなくちゃ

と思うのですが・・・

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どれも「やりたこと」ばかりで

どれを止めたらいいのかがとても難しいです

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逆に考えれば やりたいことがあるって 

しあわせな事です。

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9月21日の「国際平和の日」に大阪万博にて開催されるイベント

「Peace Day2025@大阪 」に 

幸福学の第一人者 前野隆司先生とご友人の「たかし」さん2名の、
3名の「たかし」さんによる「たかしバンド」のコーラス隊
「たかしバンド&フレンズ」のメンバーとして歌ってきます。 

 

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歌うのは3曲、
そのうちの一曲は前野隆司先生が作詞作曲の

「生きとし生けるものが幸せになりますように」

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 生きとし生けるものが幸せでありますように

 生きとし生けるものが 傷つけ合いませんように

 生きとし生けるものが 愛をわけあえますように

 平和がいつも 心を満たしますように 

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昨日の練習でメンバーと一緒に歌いながら、
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今、私は食べる事ができていて、住むところがあって

友達がいて、歌うことができている、
なにより、たくさんの方に支えられて今生きていること

更にこんな素晴らしいイベントに参加する機会をいただいていることに

深い感謝の気持ちと


同時に、

反対に地球のどこかでは生きる事もままならない、

戦争が終わらない地域や

安心を感じられない日々を過ごしている人がいる・・
 

今悲しみの中にいる人が

1日も早く心の安らぎを感じられますようにと願い、

溢れそうになる涙をこらえながら

歌っていました。 

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せっかく万博に行くのですが スケジュールの都合で

他のパピリオンを見る時間はなく、
万博を楽しむことはできないのですが、

きっと思い出深い時間になるんだろうな~ と思っています。

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『生きとし生けるものが幸せでありますように』

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と、心から願います

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このイベントは 
オンラインのライブ配信(無料)があります。

皆さんで一緒に平和について考えてみませんか?