今年の父の日は
過去の私には全く想像もしない出来事が起きた
歴史的な日となりました。
そして 私の携帯電話の連絡先に
生まれて初めて 「お父さん」の文字が入りました。


これまで父を示すのは 「モ」 実家の苗字の最初の一文字だけでした。


それ以前は 「💀」マークだったこともあります。 
でも、父からの電話というだけでも恐怖と緊張が走るのに、
💀マークは更に恐怖を増す感じなので止めました。 






私が育った家はいつも喧嘩が絶えない家庭でした。 

祖父が生きている頃は祖父と父が殴り合いのけんか、
祖父が他界した後はその怒りは全て母に向かいました。 


昭和の漫画 「巨人の星」のお父さんが
怒ると卓袱台をひっくり返すシーンは有名ですが、
あの程度は可愛いものです。


機嫌が悪くなりはじめると、
テーブルをたたき、椅子を蹴り上げ 
手当たり次第に物をなげるので 
お料理が入ったお皿の破片は部屋中に広がり
ぐちゃぐちゃになった食べ物が床に散乱し、
壁に投げつけられた醤油さしは割れ、壁を黒いお醤油が
たらーっと流れおちていました。 



壁は穴が開き、食器棚のガラスは粉々に割れ
投げたものがテレビを直撃 


時には刃物を持ち出して暴れる事もありました。 



警察に助けを求めようと固定電話に手をかけると
電話をもぎ取られ 電話線を引きちぎることは
いつもの事でした。

 


怒った父は首も顔も血管が浮きあがって
真っ赤な般若のお面の様でした。

 

 


 

 

 

結婚して家を出た後は
お正月、春秋のお彼岸、お盆、法事・・・

 

 

実家に私と妹の家族全員が集まらないと
義理を欠いたと怒り出し暴れました。 
なので、父の顔を見たくなくても 
他の家族に迷惑をかけないために 

仕方なく実家に行くようにしていました。 




5年前に神経難病、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群を発症し、
動けなくなったとき、 
「これで実家に行かなくて済む理由ができた」 とホッとしました。 

電話もメールのやり取りもほとんどなかったのですが、

ある時、母の法事があるとメールがあった時に

「生きているうちには会うことがないだろう」 とありました。

 

 

 

ちょうどその頃、父との関係はこのままで良いのだろうか?と
考えることが増えてきた時でもあり、
どんなに嫌いな父でも 
自分の親には変わりない

もし、このまま一度も会うことなく、
葬儀の時に動かななった父と対面したら
本当に私は後悔しないだろうか・・・

そんな事を思い巡らせていました。

 

 

月日が経って
父の少し前 、
何気なく本棚を見ていたら

小林正観さんの 「そわかの法則」 が目に留まりました。

手に取り、久しぶりにパラパラとページをめくっていると
「ありがとうを25,000回言うと 良いことがおきる

心を込めて言わなくても良い。最初は口先だけで言い続けるだけで良い」

というようなことが書いてありました。 

 

 

 

そして、私にはずっと心に引っかかっていることがありました

「いつもご先祖様に手を合わせて感謝する」のは大事な事と
頭で分かっていてもできませんでした。

お墓やお仏壇の前で手を合わせても 
どうしても後ろめたさがり、

夢の中で手を合わせているような距離感のようなものがありました。

私は封建的な習わしが残る地域の家に長子として生まれれ、
先祖代々のお墓と家を継ぐ役目がありました。
子どもの頃から 「あなたは跡取りだから」と親戚中から
言われて育ちました。

 

でも、それを放棄して主人の元に嫁いだ私は
午前ぞさまに対して顔向けできあないような

罪悪感をずっと感じていました。

 

 

なにか悪いことが起きる度、
「ご先祖様を裏切った罰かもしれない」と考えたりもしました。

感謝を伝えたいと思っても、申し訳ない気持ちの方が大きくて 

向き合うのがとても怖かったのでした。

 

 

 

そこで、正観さんの言うように

「口先だけでも良いと割り切って ありがとうございますと言ってみよう」と
思い立ちました。

その日から六方拝を始め 「ご先祖様、ありがとございます」と

口にしてみました。

 

 

すると3日目に変化がありました。

口先だけで「ご先祖様ありがとうございます」と言うと
身体の内側がジワジワと温かくなってきて、
自然と涙が溢れてきました。

心から「ありがたい」という想いが湧き上がってきて
私の中で何か変化が起き始めました。

 




気づいたらだいぶ長く書いていました、
きょうはここまで、
続きはまた次回に

 

 

ここまで読んで下さり ありがとうございます

 

窓辺の胡蝶蘭、今年は例年になく 

大きな花が咲きました。

それも同時に満開を迎えたので

とっても華やか

ㅤㅤ

 

今年で胡蝶蘭と一緒に生活するようになって32年 


胡蝶蘭の株は割と長生きで
10年くらいは毎年花を咲かせ続けます。ㅤㅤ

ㅤㅤ


これまでたくさんの

胡蝶蘭と一緒に過ごしてきましたが、

自分で購入したものは

一つも無いんです。 

ㅤㅤ

最初の蘭は主人から誕生日プレゼント、

その後、

娘のコンサートのお祝い 

開店祝いのおすそ分け 

主人が仕事で頂いたモノ・・・

ㅤㅤ


株が年老いてくると、

不思議と新しい子がやってくるので

代替わりしながらも

途切れるとなく窓辺にいます。

ㅤㅤ

ㅤㅤ

よく「胡蝶蘭を育てるのは難しいでしょう?」と聞かれますが
その時、私は
「コツは手をかけ過ぎないことです」と答えます。


胡蝶蘭を育てることになった時、どうしたら良いのか全く分からず、
もともとどのような環境でどのように生息しているのかを調べました。
すると、その姿はイメージと違ってとてもワイルドな姿が衝撃的でした。

野生の胡蝶蘭は
熱帯のジャングルの背の高い木にピタッとくっ付いて寄生して、
自由に伸びた花芽は
花の重みで自然に首を垂れていて、
芋虫の様な太さで長い根っこは下方向だけでなく
上にも横にも縦横無尽にくねくねと伸びます。



 



よく見る豪華な胡蝶蘭は本来の姿とは全く違う!



 

ワイヤーで花芽の向きを決められ整えられた胡蝶蘭は 
補正下着をつけてガチガチに固められているよう、
根っこは本来空中に自由に伸びる習性なのに
通気性のないプラスティック製のポットにこじんまりと押し込められて
更に陶器の鉢に入れられているのは

とても息苦しいだろうと思います。 

通気性の悪い陶器の鉢のまま
水を与えすぎると
根腐れして枯れてしまいます。   


 

 

私が日々行っているのは
朝は「おはよう」
夜は「今日もお疲れさま、ありがとう」 と言葉をかけながら
葉や根の様子の観察です。


時々やる事は、
・鉢の中の水苔がカラカラに乾燥していたら水をあげる
 (毎日はあげません。真夏は3~4日に1回 冬は1~2か月に1回程度です。) 
・直射日光が直接当たっているときは、
 葉がヤケドをしないように鉢の位置や向きを変える。
・極まれに(1年に1~2回) 肥料をあげる
・根が育ち、鉢からたくさんはみ出して窮屈そうになったら
 一回り大きな鉢に植え替える(3~5年に一回)
 

つまりは、枯れないために必要だけど、
それを蘭が自分ではどうしても出来ない事を
私が手伝っています。 

危険から回避をサポートしながら

根も花芽も元気にのびのびと成長するのを見守ってるだけです。


そう、子育てとかなり似ています。

手をかけ過ぎても、なさ過ぎてもなく
それぞれの個性を大切に見守りながら、
必要な事を手助けする事が
何年も花を咲かせ続けるコツです。

imageimage

 

前回、幼稚園に入る前の体験から
「相手が求めている事を正確に伝えなくてはいけない」
というマインドブロックを持ってしまったきっかけを書きました。

 

 

もう一つ
「私は話してはいけない」 

というマインドブロックがありました。
 

もう少し深堀すると潜在意識の中に
「私が話すと相手が不快になる」という恐れがあるようです。



前回と同様、幼稚園生のころの事です。 
母に連れられて美容院に行きました。

私が髪を切ってもらう間、
美容師さんが色々話しかけてくれました。
 

内容の詳細までは覚えていませんが
幼稚園の事、お友達の事、
どんな遊びが好きかなど、
よくある話のやりとりだったと思います。
 
とにかく言葉のキャッチボールがとっても楽しくて楽しくて、 
美容師さんとの会話を楽しんでいたワクワク感と
鏡に映る私がとってもニコニコしていたのを覚えています。





髪を切り終わって
美容院のドアを出た後、
母は少し怪訝な顔にになり、

「あなたはお喋りね。余計な事を言いすぎる。」 と言いました。
 

私はその母の言葉と表情から
「お母さんを困らせてしまった。いけない事をしてしまったんだ」 と、

罪悪感で
それまでの楽しかった高いテンションから 
一気に崖を転げ落ちた感じでした。


更に私の両親はあまり仲が良くなくて、
母はいつも父の事を
「あの人はお喋りでイヤ」 
「お喋りはみっともない」 と言っていいた事が重なり、


美容院を出た後のほんの一瞬に、
「お喋りはお母さんに嫌われる」 
「お喋りは悪いこと」  と心に刻み込んでしまいました。

 


前回のエピソードで書いた、
「相手が求める、正しいことを言わなくてはいけない」と
組み合わさり 
話すことへのネガティブなビリーフ(思い込み)は強化されました。 

 

小学校に入り、授業で先生が
「分かる人は手を上げて」という場面、
私の中では答えが分かっていて
それが正しいと確信があっても
手を上げて発言することができませんでした。

指名されて発言を求められたときは
蚊の鳴くような声で話すので
「聞こえません」 と言われ
ますます怖くなり 
大勢の前で言葉を発することに神経質にになってしまいました。



 

両親は「相手の話をちゃんと聴きなさい」 とも教えてくれました。
確かに大切な事です。

他にも家庭の中で「言葉」が大きな影響を持つこと、
僅かなニュアンスの違いで恐怖を感じる体験を何度もした私は
(それらの体験はいつかブログに書いていこうと思います)

「余計な事は言ってはいけない」
「お喋りは良くない事」 
「しゃべり過ぎると相手に嫌われる」というビリーフ(思い込み)を
頑強なものに変わっていきました。 

 

 

 

 

特に自分の考えや経験を話すことは大きなマインドブロックが
でき上りました。 

 

 

 

大人になってからも それは続きました。

例えば、
仲の良い友達と食事に行くなどの楽しい時間を過ごした後





「私は他の人より たくさん喋ってしまっていなかったか?
相手の言葉を遮ってしまっていかなかったか?
不快な思いをさせてしまったのではないか? 
「お喋りな人だ」と思われて嫌われたのではないか?」

と、50代半ばまでの長い間 
ずっとずっと「ひとり反省会」を続けていました。

 


 

***********


 

それから長い年月は経ち、今から2年ほど前、
コーチングサービスの個別相談会に申し込みました。

 

 

私の病気の事、これまでの経験などを一通り話し終わり、 

「あっ、また私はしゃべり過ぎてしまった。
余計なことまで言ってしまったのではないか?」
 と

自己反省に入りそうになった時、

「はるちゃんの話、めちゃくちゃ面白い!
話の内容も興味深いし、 話がとっても分かりやすい。
もっと聞きたい」

と言われ 

私は 「え? 私は話してもいいの?!」  

と、目の前が開けた感じがしました。







子どもって誰かに「おかあさんは優しい?」 と聞かれると
「優しいけど 怒るとすごく怖い」
なんてやりとりよくありますよね(笑)


そんな感じの、よくある場面だったのかもしれません。

母は元々は優しい人です。
私に罪悪感を植え付けようとした訳ではないでしょう。
でも、ほんの短い時間の出来事が
50年以上も私を縛り付ける大きなブロックになっていました。 

 


誤解のないよう書き添えますね。
 

「私が発信するのが怖いのは、母のせい」 と言いたいのではありません。
そのブロックを持ち続けることを決断するのは私自身、
それに気づいて手放すかどうかは
母ではなく、私の課題です。 


 
もし、読んでくださったあなたが
心の奥に何かブロックを持っていると気づいているなら
自分が決めれば、いつからでも変わることは出来るとお伝えしたいです。


 

もし、あなたが育児の真っ最中ならば、
ちょっと気をつけていれば防げるメンタルブロックや親子間のトラブルを
無駄に作らないための参考になれば嬉しいです。

  

  ***

子ども、特に3~6歳の子供の脳は
親から言われることは100%正しいことと取り込み
その後の人生にも大きな影響を与えます。
 

 

例えばママ友と立ち話しをしているとき、
「うちの子って○○もできないのよ。手がかかって困るわ~」
「そうそう、うちも・・・」  
などど言っている場面はよくあると思います。

 

決して子どもを責めるつもりはくて、
たとえ本心でなく、むしろ手がかかることも可愛いと思っていてたとしても、
 

 

子どもは
 

「お母さんは自分をできないと思っている」
「自分はお母さんを困らせる存在なんだ」  と感じてしまいます。

子どもは聞いていないようで 
パパ、ママの言葉は聞こえています。


私は全ての子どもが

安易な事で
自尊心を失うことが無いようにと願っています。


 

 

先ずはパパ、ママが心から笑顔でいられるように
自分自身を慈しみ大切にしてほしいと思います。
 

自分が満たされないまま、周りをしあわにしようとするのは難しいです。
不足感や不安は子どもへの不必要な批判やストレスを生みます。

 

 

 

でも、パパ、ママが笑顔でいれば
それだけで自然と子どもの笑顔を増やすことができます。 





まず、自分が心地よくいること

それは親子関係だけでなく
会社でも友達でも、すべてにおいて
自分も周りにも幸せを広げるために
とても大切なこどだと私は考えています。 








 

 



 

私はこうして誰もが見ることができるSNSで
発信していますが
本当はめちゃくちゃ怖いです。 



「間違ってはいけない」
「適切な言葉で、ちゃんと伝えなくてはいけない」

「誤解されるのが怖い」


おまけに写真はこれで良いのか? まで考え込んでしまいます。


時間をかけたからと言って 
質の良い文章が書けるとは限らないので
私としては もっと気軽に
サクサクっと書きたいのですが・・・ 

それがなかなかできないのが悩みです。
 

 

「とりあえず書いて、たくさん書くことで上達する」 と頭では
分かっていても

間違ったことは言ってはいけない
正しく伝えなくてはいけないブロックが重くのしかかるので
毎回 一つの記事を書くのに言い間違いはないか
分かりやすい言葉か もっとよい表現の仕方はないかと考えるので
とても時間がかかってしまいます。

 

 

 

SNSの発信だけでなく、普段やり取りするLINEやお喋りも同じ


 

更に会話に関しては
「お喋りは良くない」 というブロックも加わり
仲の良い友人と楽しくおしゃべりして

楽しい時を過ごしたはずなのに
 

「こんなことを話して嫌われなかったか」
「相手が嫌な思いをしたんじゃないかな・」 と

 

50年以上、ひとり反省会を続けてきました。



幼少期の体験がそうさせていると思います。

 

幼稚園の入園前の面談の時に
発育状態を確認するためだろう、いくつかの質問をされました。




その中で

色紙が並べれていて先生が指さした色を答えるように言われました。

 

先生 「これは何色?」
私  「赤」
先生 「これは?」
私  「黄色」
先生 「では、これは?」
 
 

このようなやり取りが続いて 
何枚目かで先生が指さしたのは
私が大好きな色でした。

 

私は大好きな色を 大好きなお花を連想しながら 
ワクワクと、
それまでより自信をもって 

明るい声で 

ピンク!」 と答えました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時 空気が変わりシーン 
 

僅かな間の静寂と 
先生の顔から何とも言えない緊張感を感じました。 


 

「桃色ね」  先生の言葉にドキッ 心はゾワゾワ…

 

「えっ? ピンクじゃないの? おかあさんはピンクって教えてくれたし
 ずっとピンクって言ってきたけど間違ってたの?」  

 

ものすごく動揺して隣に座っていた母の顔を見ました。

 

母はにこやかに 「桃色ね」 と答えてくれました。

先生も「ピンクは英語ね」

この時、4歳の私は
「相手が求める、正しい事を言わなくてはいけない」 と思いこんでしまいました。

 

もう少し大きくなって、自分の服を自分で選ぶようになった年ごろに、
ピンクの服も 
花柄の服を着ることも 
頑なに避けていました。

(今の私をみたら嘘のようですが…  )



子ども頃の体験 とくに一番身近なお母さんとの関りは
大人になってからも大きく影響します。
だから、今はお母さんが笑顔になるお手伝いをしたいと思うんです。


次回は 「お喋りは悪い」と

思いこんだエピソードを書きますね。


*追記*

今まではなぜか
一つのテーマは
一度に全部、書き切らなくてはいけないブロックがあったのですが
手放してみます。

読んで下さる方には 
お手間かもしれませんが 
別の方向から見れば 
長い文章に時間をとられるのも困りますよね

という訳で
「発信するのはめちゃくちゃ怖い」 は続きます。

また、お立ちよりいただけると嬉しいです。
 

                  かのう はる





 

先日、

電動車椅子WHILLを使うようになってから

初めて飛行機に乗りました。



以前、普通の車椅子で乗ったことはあり

その時も一般の方より時間やお手間をおかけしたのですが、

電動車椅子だと

更に時間に余裕が必要な事が分かりました。



航空券を購入する前に
車椅子で搭乗することができるかを各航空機会社の
HPやお問い合わせ窓口に電話で確認します。


飛行機に乗る予定が決ったら
利用日より前に航空会社の相談窓口やサポートセンター等に電話をして
搭乗予定日、車椅子の仕様、どのようなサポートが必要かを
伝えておくと当日の流れがスムーズです。

 

 

 

JAL 

https://www.jal.co.jp/jalpri/

 

 



👇のサイトの説明はとても分かりやすいです。

 

image  image

 

 


チェックインカウンターには
     「遅くとも」飛行機の出発時間の1時間以上前に行きます。

     (国際線は遅くとも2時間以上前)

できるだけ早く、時間の余裕をもって
カウンターに行くことはとっても重要です。


ここを甘く見ると
飛行機の出発時間を遅らせてしまい、空港、運行会社、他の乗客の方
他の飛行機の出発にも影響が出て
多大な迷惑をかけることになります。 


最近はカウンター前に立たずに自動チェックインができますが、
電動車椅子を預けるには一般の手荷物とは違い、
サイズ、折り畳み可能かどうか、本体の重さや電源の種類と重さなど
状態を細かくチェックします。

飛行機を安全に運行するために必要な手続きです。

 

電源がリチウム電池の場合は貨物室に預けると
発火などの危険があるので
本体とは別に機内持ち込みになります。


image

 

 

自分の車椅子はカウンターで預けてしまうので
そこから飛行機に乗り込むまでは空港の専用車椅子で移動です。



乗客の中で一番長く、機内に滞在します。

登場開始時に一番最初に機内に案内されます。
搭乗口に30分前には待機、
一番最初に飛行機に乗り込みます。 


・歩くスピードが違く時間がかかる
・飛行機のドアの前で車椅子を止めるので
   他の方の通行の妨げになってしまう 
・最後に乗り込んむと 他の方の荷物などで
   私が移動しづらくなる  等を避けるためです。 

私の場合は多少は自分で歩くことができるので
ドアから席までは杖を使って歩いて移動します。
安全に席につけるようCAさんがサポートしてくださいます。




逆に降りる際は他のお客様が全員降りるまで
座席でゆっくりと待機です。

他のお客様が下りた後は
私と主人だけになるので
まるでチャーター機の様な風景に😊

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CAさんがアテンドしてくださり
飛行機のドアの前でグランドスタッフさんが
車椅子を準備して待っていてくださいます。


たくさんのスタッフさんにお世話になります。

 

チェックインカウンターでは確認事項、コンピューターへの情報登録事項が多い上、車椅子の梱包、空港内用の車椅子の準備、行き先のスタッフの手配などの
申し送り事項がたくさんあるので、その対応に2名以上のグランドスタッフさん


保管検査場を通る時は、車椅子を押してくれる方と
私の代わりに手荷物のトレーを運んで検査を通してくださる方、


搭乗口まえのホールから飛行機のドアサイドまで

車椅子を押してくださるグランドスタッフさん
 

ドアから席までアテンドして下さるCAさん、
 

と、身の回りだけでも
少なくとも6名のスタッフの方が
私の為に動いてくださいます。

貨物に預ける電動車椅子は 
電源だけ取り外して機内持ち込になり、
自走しないので
重い本体を係の方が手で押して貨物室に運んでくださいます。


一般的には飛行機より、電車の方が手軽に利用できる乗り物ですが

車椅子ユーザーの私には
電車より飛行機の方がずっと利用しやすい乗り物です。
もちろん、その快適さはとてもたくさんの方のサポートのお陰です。
本当にありがたいことです。

 




車椅子だと「不便」とか「身体が不自由」とか
マイナスなイメージが多いですが
公共機関では最高レベルのサービスを受けることができ、
それと同じだけ「ありがとございます」 と
言葉にする機会がたくさんあるので
実はけっこう良いことがたくさんあるんです。


今回もたくさんの方にお世話になりました。
ステキな時間を過ごすことができ 
心より,ありがとうございました。

 



・追記・ 
手動の車椅子、ベビーカーやゴルフバック、その他
大きな大きな荷物を持ち込む場合も
出来るだけ早めに手続きをすることが
利用者、航空会社、空港の三方良しに繋がります。

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