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私的備忘録

書名:坊ちゃん忍者幕末見聞録
作者:奥泉光
出版:中公文庫
内容:出羽(でわ)の国は庄内平野のほぼ真ん中、鶴ケ岡の城下から北へ七里の片田舎で暮らす「おれ」こと松吉は、七歳のとき川向こうの隣村に住む大叔父の横川甚右衛門兼規(かねのり)の養子になった。霞(かすみ)流忍術を伝える十六代目当主である甚右衛門を師匠として、松吉も一通りの忍術修行をした。だが、大した腕ではないし、太平の世に忍術などは不要である。その証拠に前川家は出羽庄内藩から苗字帯刀を許された武士の家格だが禄は貰っておらず、甚右衛門は山から採った薬草を売ったり馬医者をして暮らしをたてている。松吉も十六歳で元服した時に「泰兼(やすかね)」という公家のような名前を貰ったが、しばらくすると本人も周囲も幼名呼びに戻ってしまった。生家で暮らす異母妹の「お糸」に将来は「人を診る医者になったほうがいい」と勧められた松吉だが、医家に師事する銭が無いので諦めてしまっている。そこへ金持ちの大庄屋の鈴木尚左衛門が金を出すし、医者に紹介状も書くと言ってきた。その代わりに江戸に留学する孫の寅太郎のお目付け役をやって欲しいというのだ。寅太郎は松吉と同い歳で、寺小屋では机を並べて手習いを教わった幼馴染みである。この依頼を受けた松吉は、文久三年(1863年)三月六日、寅太郎とともに江戸に向かう。だが、流行の尊王攘夷思想にかぶれていた寅太郎は、同郷の清河八郎が組織した攘夷の軍である浪士隊に合流するため京に行くと言い出す。話を聞いた松吉は途方にくれ、江戸に行かないなら騙すことになるので家に戻って金を返すと寅太郎に告げる。秘事を知った松吉を帰すわけにはいかないと寅太郎は脅したり愛嬌を振り撒いたりし、とにかく京まで同行して戻れば騙したことにならないと説得してしまう。新潟の旅籠で寅太郎の同門の春山平六と合流したあと、松吉たちは旅の途中で乞食のごとく落ちぶれた浪人・苺田幸左衛門と道連れになる。苺田氏も浪士隊に参加すべく江戸から京に向かっているという。だが、動乱の中心地・京に到着してみると、浪士隊は尊王派と将軍守護派に分裂、尊王派の清河は仲間を引き連れ江戸へ向かっており、京に残された芹沢鴨と近藤勇は新たに「新撰組」を組織していた。京へ到着すると同時に目的を失ってしまった寅太郎、平六、苺田の三人。平六は初志の通り清河八郎の攘夷軍に加わりたいと言うが、江戸出発前に貴顕に拝謁したいと長州の京都藩邸に赴く。長州藩の伊藤氏に招かれた平六の付き添いで、寅太郎と松吉も池田屋の宴席に同席する。三人は全国から集まった勤王志士に紹介される。菅沼亘という志士の伝手で公卿に会えることになった三人が宿に戻ると、苺田氏は新撰組に入隊することになったと報告して壬生の屯所(とんしょ)へ去っていった。一方、貴顕との謁見を望んでいたはずの平六は今回は諦めると言い、翌朝、禁裏を拝むと江戸に向けて出発した。同志と別れた形の寅太郎は、親と付き合いのある伏見の材木商・井桁屋(いげたや)に実家からの送金を受け取りに行く。寅太郎の付き添いで主人の茂右衛門と会った松吉は、井桁屋の紹介で医家の書生になることが決まる。次の日、松吉はまたしても寅太郎の付き添いで、黒小路卿という公家に謁見する。その後、吉田蓮牛(れんぎゅう)という医者の書生になった松吉は、宗妙院という寺の敷地内にある吉田家に住み込んで働く。一方、一人になった寅太郎は洛北の久我重九郎の道場に入門し、道場にほど近い大徳寺のそばの農家に下宿することになった。ところが、攘夷思想で公卿や勤王志士と交流する寅太郎は、漢方だけでなく蘭方(らんぽう)の心得もある蓮牛先生を非難する。そんな寅太郎を受け流して、松吉は医者の勉強をしていたのだが、ある夜、偶然目撃した刀の窃盗事件をきっかけに暗殺事件の陰謀に巻き込まれ……。新撰組、長州、薩摩、土佐、公家、攘夷派と開国派が入り乱れて大騒動。物語後半には時空まで歪んで幕末と現代が二重写しになり、松吉たちの騒動にも拍車がかかる。歴史ファンタジー。
※本作は2000年9月から2001年5月まで読売新聞夕刊に連載されたあと、2001年10月単行本刊行。

※タイトルの冒頭に「坊ちゃん」と付いているのは、夏目漱石の「坊っちゃん」に由来する。

鰯油(いわしゆ)の行灯(あんどん)に火をいれて
しゅっと音がしたから、擦り付木(すりつけぎ)を使ったんだろう。点った提灯
魚油のやつに較べるとだいぶ明るい。

中食:ちゅうじき

書名:ギャラクティック・バウンティ 天空の秘宝
原題:Galactic Bounty
作者:ウィリアム・C・ディーツ(アメリカ作家)
出版:ハヤカワ文庫SF
内容:バウンティ・ハンターのサム・マッケイドは、賞金首のカディエンを追って地球帝国ニュー・メキシコ州に来ていた。カディエンはプロの殺し屋だが、地球帝国皇帝の姪をターゲットの巻き添えで殺して指名手配犯となっている。銃撃戦の末にカディエンを仕留めたマッケイドだが、自身も負傷して意識を失った。マッケイドが目覚めると、地球帝国航宙軍基地の拘禁室で治療されていた。治療が終わったマッケイドのところに、元同僚のウォルター・スワンソン=ピアス大佐が現れる。十年前は二人とも航宙艦『インペリアル』で勤務する大尉だったが、マッケイドの方は上官の命令に従わなかった罪で軍法会議にかけられ不名誉除隊となっていた。マッケイドが航宙軍に拘束されている不満を言うと、スワンソン=ピアス大佐は無理矢理こじつけたような理由で拘禁中だと答えて去った。マッケイドがほとんど回復すると、宙兵隊員二人が迎えにきて提督のもとへ案内された。キートン提督は初代皇帝のもとで地球帝国航宙軍を創設した伝説的人物だ。そのキートン提督から行方不明のイアン・ブリッジャー大佐を捕縛か殺害するよう依頼される。ブリッジャー大佐はマッケイドと因縁のある元上官だ。現金に加えて航宙船という報酬は、マッケイドの夢を叶えるものだったため彼は承諾する。先ほどの宙兵隊員たちと戻ろうとしたマッケイドだが、途中で暗殺者三人に襲われる。とっさに床に転がりブラスター・ビームを避けるが、宙兵隊員が殺される。殺された宙兵のエネルギー銃をつかんだマッケイドは反撃して暗殺者を殺し、残りの暗殺者は宙兵に倒されていた。負傷した宙兵が病院へ運ばれ、マッケイドは交代の宙兵隊とともに地上車に乗る。車はマッケイドを航宙軍情報部に運んだ。マッケイドは通された執務室で、バウンティ・ハンターに航宙軍士官の捜索を依頼した事情をスワンソン=ピアス大佐から聞く。ブリッジャー大佐は妻子を宙賊に殺されてから復讐に固執し、そのせいで出世コースをはずされてアカデミー(士官学校)の教官になっている。失踪したブリッジャー大佐は、地球人の敵であるイル・ローン人に知識を提供して宙賊の壊滅に手を借りる気ではないかとみられている。ブリッジャー大佐は休暇のたびに超古代種族の遺跡惑星を調査しており、最近になって軍事的価値のあるものを発見したらしい。だから、イル・ローン人にブリッジャー大佐が接触するまえに連れ戻せということのようだ。ブリッジャー大佐と一緒にアカデミーの士官候補生マーシャ・ヴォテーバも姿を消したという情報を聞いていた時、昼食を運んできたロボット・ワゴンが爆発した。右腕を負傷したスワンソン=ピアス大佐は、部下の女性大尉ローレン・ロウに後を任せて出ていった。その日の夕方、ロウ大尉の手配で自分の船になった航宙軍の偵察艇「ペガサス」にマッケイドは乗り込んだ。船内コンピューターから航宙軍情報部のデータ・バンクにアクセスしたマッケイドは、六週間前に失踪したブリッジャー大佐の情報を精査する。ブリッジャー大佐が遺跡惑星で発見した「案内板」と呼ばれる金属板に刻まれた超古代種族の文字は大きな話題を呼んだようだ。どうやら大佐は超古代種族の言語を解き明かし、利用価値のある情報を得たらしい。マッケイドは次にヴォテーバ士官候補生を調べた。ブリッジャー大佐と恋愛関係ではないらしいが、故郷の火星にいた頃とアカデミー入学後では別人かというくらい性格が違う。そして、ヴォテーバはブリッジャー大佐の講義をすべて履修している。マッケイドはヴォテーバが提出したレポートと論文を調べた。貨物を星系外へ輸送する方法についての論文がマッケイドの目を引いた。マッケイドが考えていると、チャイムが鳴った。入ってきたのはロウ大尉で、基地に残っていたマッケイドの私物を持って来てくれたのだ。手入れされたスラッグ・ガン(鉛弾銃)を見て、マッケイドは礼を述べた。マッケイドが大佐の居所に見当をつけたと察したロウ大尉は、便宜を図る見返りに同行を申し出る。六時間後、ロウ大尉が操舵する小型戦闘員輸送艇に、装甲宇宙服を着たマッケイドと宙兵隊員たちが乗っていた。隊員たちはマッケイド暗殺未遂の件で怪我をした宙兵隊分隊長エイモス・ヴァン・ドレンと、殺された宙兵の仲間たちだ。マッケイドは士官候補生の論文で提案されていた、新方式の無人貨物船に大佐たちが身を隠していると考えている。ブリッジャー大佐とヴォテーバ士官候補生は軍の捜索が終わるまで地球に潜伏している。二人が隠れていると思しき巨大貨物船「リヴァイアサン」は周回軌道を離れ、もうすぐハイパースペース(超空間)航宙に入ろうとしていた。マッケイドたちの小型艇が貨物船に近づくと、大気圏シャトルが現れる。そして通信スクリーンに少佐の階級章をつけたヴォテーバが映し出され、航宙軍を名乗り、針路を変更しなければ発砲すると脅す。シャトルから十二人が排出され、無反動エネルギー砲を据えた宇宙ソリを引っ張っている。ロウ大尉の操作でマッケイドたちも艇外に射出され戦う。敵を制圧したあと、貨物船を停止させようとするがブリッジャー大佐らしき声に拒否される。マッケイドは貨物部のハッチに取りついて中に入ろうとするが、ブリッジャー大佐は貨物部を切り離し、パワー・コントロール部を船として独立させてハイパースペースに消えた。残されたマッケイドたちは地球に帰還し、怪我の治療のために病院に収容された。マッケイドの病室に現れたスワンソン=ピアス大佐は、ブリッジャー大佐がまだイル・ローン人と接触していないならチャンスはあると言う。マッケイドは自分の船になった「ペガサス」で、ブリッジャー大佐を追って貨物船「リヴァイアサン」の目的地である辺境宙域の発展途上の惑星ウェラーに向かった。スワンソン=ピアス大佐の命令で、ロウ大尉とエイモス分隊長もマッケイドに同行している。三週間後、ブリッジャー大佐が仕掛けた魚雷の罠を破壊したマッケイドたちは、乗り捨てられた「リヴァイアサン」のパワー・コントロール船を見つけた。放棄された船には、タグ・ボート(曳航船)会社の制服を着た三名の死体が残されていた。床にはブリッジャー大佐の筆跡で支離滅裂で意味不明なメモが散乱し、ロウ大尉を含む老若男女の地球人の写真が残されていた。ブリッジャー大佐は病気か、正気を失いかけているのではないかとマッケイドは不審に思う。惑星ウェラーのイル・ローン公使館を見張って二日が過ぎたマッケイドは、エイモスと交代してホテルに戻って休んだ。悪夢で目が覚めたマッケイドは、ふと物音に気づく。枕の下の麻酔銃を握って待ちかまえていると、ロウ大尉が現れてピストルでマッケイドを狙う。マッケイドは連射してロウ大尉を倒し、スラッグ・ガンをつかむ。電気をつけて確認したマッケイドは、緑色のゼリー状の塊を見つける。その時ドアが開き、ロウ大尉が駆けこんできた。そのときアメーバが話し始めた。「下等動物め、これこそトゥリールの真の姿」と言い、致命傷を負ったと嘆く。マッケイドが尋問すると、返事の代わりにヴォテーバ士官候補生の姿に変わる。他生物への変身能力をもつ異星人トゥリール族はイル・ローン人に従属しているのだ。トゥリールは「ブリッジャーが天空の秘宝が隠された『戦いの惑星』に導けば、イル・ローン人は無敵だ」と言い、人類の滅亡を宣言する。『戦いの惑星』についてマッケイドが尋ねようとした時、ロウ大尉がマッケイドに向かって麻酔銃を発射した。裏切られたマッケイドの意識が戻った時、どこかの留置所にいた。マッケイドは横たわったまま考え、ロウ大尉は宙賊のスパイだったのだと結論づけた。その時、マッケイドに「火、あるか?」と声をかけてきた熊のように毛深い大男がいた。二人で葉巻を吸いながら雑談すると、大男は惑星アリスから来たフレドリコ・ホセ・ロメロことリコだと名乗り、此処は町営の酔っ払い収容所だと教えてくれた。朝になって解放された二人は、マッケイドの宿泊しているホテルで朝食をとることになった。ホテルに着くと、待っていたエイモスに経緯を説明する。ロウ大尉はチェックアウトしており、トゥリールも始末されたらしく痕跡すら残っていない。トゥリールによればブリッジャー大佐は病気らしいが、ロウに連れ去られているはずだ。マッケイドが宙港に問い合わせると、ペガサス号がロウに盗まれていた。腹を立てながらレストランに現れたマッケイドに、事情を聞いたリコが航宙船を貸そうと提案する。リコの航宙船「レディー・アリス」でマッケイドとエイモスは宇宙に出た。マッケイドは銃口を向け、「誰に指図されて、おれに近づいた?」とリコに詰問する。マッケイドの疑惑を肯定したリコは、辺境宙域の行政組織の人間だと認める。氷河期の惑星アリスに到着したマッケイドたちを、評議会のメンバーが待ちかまえていた。評議会の首席政務官セーラ・ブリッジャーは、宙賊に殺されたはずのブリッジャー大佐の娘だった。マッケイドは航宙艦「インペリアル」のクルーだった頃に憧れていたセーラとの再会に驚くが……。
地球帝国航宙軍基地から、辺境の雪と氷の惑星、宙賊の本拠地である元牢獄惑星、奴隷商人の惑星、遺跡惑星と、宇宙を股にかけたアドベンチャーSF。
※原書初版1986年
※本作は作者のデビュー作。初刊行時のタイトルは『War World』だったが、1997年に現在のタイトルで出版しなおされている。続編も三作発表されてシリーズ化された。
※巻末の解説によると、「本作の舞台は、人類がハイパー・ドライブと呼ばれる星間航行の技術を手に入れ、数多くの惑星が植民された未来である。地球人は宇宙でさまざまな知的生命体と出会ったが、その中で地球人の脅威となったのはイル・ローン人だった。地球人とイル・ローン人は同じくらいの勢力をもつ巨大な帝国を形成しており、全面戦争一歩手前のきわどい関係にある。一方で、地球帝国は内部にも宙賊という敵を抱えていた。宙賊は、もともと帝国の反乱分子だったのが、今は理念を失った犯罪者たちだ。辺境の植民惑星を略奪したり、商船に海賊行為を働いたりと、残虐さで知られている。地球帝国は宙賊を壊滅することもできるはずなのだが、イル・ローン帝国との緩衝材がわりだとでもいうように、いまは宙賊を野放しにしていた。おかげで、地球帝国の辺境宙域の住民たちは苦しめられている。バウンティ・ハンターも、こういった帝国の政治形態から生み出された存在である。銀河規模での帝国警察組織を作るにはお金がかかる。だから、惑星警察の手を逃れて宇宙へと逃げ出した犯罪者は、賞金稼ぎ=バウンティ・ハンターに任されるようになったのだ。惑星外へと逃げ出した犯罪者を捕らえると、バウンティ・ハンターは指定の賞金を手に入れる。凶悪犯人を捕らえれば賞賛はされるが、ならず者の仲間のように見られることも多く、きつい仕事だ。本作の主人公はそんなバウンティ・ハンターの一人である。」
※物語の年代は、作中に「有史以来、三千百十二年間にわたって、地球人は何百もの惑星を居住地としてきた。」という文がある。

ウォルト:ウォルターの愛称
ローリー:ローレンの愛称
リコ:フレドリコの愛称

スラッグ・ガン:鉛弾銃
ブラスター:熱線銃
ライナー:定期航宙船
タグ・ボート:曳航船
クローラー:水陸両用車

 

書名:景福宮(キョンボックン)の秘密コード ハングルに秘められた世宗大王の誓い 下
作者:イ・ジョンミン(韓国作家)
出版:河出書房新社
内容:西暦1438年晩秋、朝鮮王朝の都・漢陽(ハニヤン:高麗時代から続くソウルの地名)。王の住まう宮城・景福宮で集賢殿(チツピヨンジヨン)の学士が次々と殺害される。洌上真源(ヨルサンジンウオン)の井戸で死体が発見されたチャン・ソンスを皮切りに、鋳字所(チユジヤソ)で殺され、焼けただれた姿となったユン・ピル、集賢殿で殴り殺されたホ・ダム。殺人事件の捜査を任された若い兼司僕(キヨムサボク)のカン・チェユンは、三人の学士の死に五行が関わっていることに気付く。次に殺されるのは土を暗示する学士だと推測したチェユンは、掌苑署(チヤンウオンソ)の温室で草花を栽培する集賢殿の学士キム・ジョンギョムを警護する。冬でも花が咲く温室の仕組みについて教わったチュエンは、キム・ジョンギョムには殺された学士たちのような刺青が無いことに気付く。慌てて辞去したチェユンは、馬を駆って集賢殿に向かう。キム・ジョンギョム以外に土を扱う集賢殿学士として思い浮かぶのは、十年前に刊行された『農事直説』の編纂者ジョン・チョだ。集賢殿でジョン・チョの姿を探すチュエンに、後からやって来た兼司僕のユン・ジョンフが声をかける。「慶会楼(キヨンフエル:国の祝宴行事のための楼閣)に行ってみろ」すぐさま慶会楼に向かったチュエンは、ジョン・チョが自害したと聞く。だが、チェユンは他殺だと確信し、ジョン・チョの部屋を調べに行く。文机に置かれた日誌の最後の紙面が破られていることに気付いたチュエンは、破かれた部分の次の紙に滲んだ墨の痕跡を見つける。亀の甲羅模様をした六角形が連続して九つつながっており、それらの組み合わせからできる三十個の円。そしておのおのの頂点の中に、数字のような文字が書かれてあった。チャン・ソンス殺害の時に発見した魔方陣が思い出された。カリオンの検死により、ジョン・チョの死は鍼を使った殺人であることが判明する。王の護衛監ムヒュルに鍼術の心得があると知ったチェユンは、彼が携帯する鍼袋をカリオンに調べさせるが、殺人の痕跡はなかった。四日連続で四人の学士が殺された。末端の著作から、博士、校里、判事の順で被害者たちの身分も高くなっており、意図が感じられる。チェユンは集賢殿のソン・サンムン学士を訪ね、ジョン・チョが殺されて慶会楼(キヨンフエル)の大梁に吊るされていたことを報告する。ソン・サンムンの部屋に飾られた絵に、隠された暗示があることをチェユンは知る。チェユンは慶会楼に足を運び、老棟梁から楼閣に秘められた世界を教えられて驚く。一連の事件を貫く手がかりを得たチェユンは、殺された学士との痴情が取り沙汰される宮女ソイについて調べるため大殿(テジヨン)の侍女尚君(シニヨサングン:王室の文書を担当する尚君)を訪ねる。侍女尚君から「ソイは王世子妃が実家から連れてきた宮女」だと教えられる。集賢殿の直提学(チツジエハク)シム・ジョンスに呼び出されたチェユンは、五行と理気論を解き明かす『太極図説』を見せられ、経学の奥深い理論について学ぶ。シム・ジョンスは市廛(シジヨン:許可を得た店舗)商人を束ねる頭目とされる大行首(デヘンス)ユン・ギルジュを訪ねる。財力を背景に朝廷の堂上官(タンサングアン:高官の呼び名)たちを抱き込んだユン・ギルジュは、禁乱廛権(クムナンジヨンクオン:乱廛〔無許可の店舗〕を禁止して市廛商人の市場独占を認める権利)を求め、シム・ジョンスは文官たちが上疏をあげて認めさせると約束する。一方、秘書庫(ピソゴ)の禁書を調べていたチェユンは、蔵書官のユン・フミョンに魔方陣は算学ではなく占術だと言われる。助言に従ってチェユンが書物を開くと、殺された学士たちの腕に刻まれていた刺青と同じ図が描かれていた。その模様は五行を象徴する数字を意味していただけでなく、魔方陣の数字配列とも一致する。チェユンは殺されたユン・ピルが握っていた活字の筆法を分析するために、ユン・フミョンに教えを乞う。宮城の後苑でソイと筆談をしたチュエンは、次第に彼女に心を奪われていくのに気付く。未の刻(午後二時前後)、ソン・サンムンに撃毬場(キヨツクジヤン)へ連れてこられたチェユンは、二人で馬を駆り、撃毬に興じる。チェユンは死んだ学士たちの体に刻まれた刺青の意味をソン・サンムンに問いただす。ソン・サンムンは「芍薬詩契(しゃくやくシゲ)の契員(ケウオン)を意味する刺青」で、芍薬詩契の実体は秘密結社だと秘密を明かす。さまざまな雑学を議論する場だが、伝統を重んじる経学派の大提学(テジエハク)チェ・マンリは実用学派の学士を排斥しようと動いている。実用学派の巨頭が失脚し、学士たちが命を落とし、王世子妃を攻撃する不穏な噂が流れているという。一方、外焼厨間(ウエソジユカン)の裏手奥にある屠畜場にいたカリオンは、義禁府の兵士たちによって集賢殿学士四人を殺害した罪で逮捕され……。ハングル制定前夜の景福宮を舞台にして起きた連続殺人事件を描く歴史ミステリー小説。
※原書初版2006年
※『訳者あとがき』によると、本書の原題『根の深い木』は、ハングル制定と同時に、文字の普及策の一環としてハングルで最初に書かれた詩歌『龍飛御天歌(ヨンビオチヨンガ)』からの引用文で、韓国ではハングルを象徴する言葉として広く知られている。
※ソウルは城壁に囲まれた要塞のような都だったことから、かつては都城(トソン)と呼ばれていた。

手決(スギヨル):漢字を変形させたサイン
上疏:王に差し出す上申書
記里鼓車(キリコチヤ):距離を測定する荷車
事大慕華(サデモファ):中国の文物を崇拝する思想
火箭(フアジヨン):矢に火薬をつけた火器

龍の化身である王

松の煤(すす)で作った松煙墨(しょうえんぼく)
油煙墨(ゆえんぼく)

「天・地・人の三才。三才と五行を合わせた周易の八卦」

「周濂渓(しゅうれんけい)という宋の聖学が、五行の根拠となる太極の原理を、たった一枚の絵で説明してみせた」
「『太極図説』は人性論と宇宙論を一枚の絵で表現している。後代の朱熹(しゅき)によって理気論(万物の根源と秩序を究めた思想)の原理として認められ、性理学の母胎となった」
「太極とは、なにを意味するのですか?」
「宇宙の万物と人間の存在との究極的な原理。五行も太極から発現したものだ」
  無極は即ち太極なり。太極は動いて陽を生み出し、その動きが極に達すると静まる。静まれば陰が生み出され、静けさが極に達すると動きへと戻る。
「『太極図説』は、無極から万物に至る宇宙の生成変化、ならびに人の倫理道徳を、一つの法で説明したものと考えればよい」
「つまり、自然と人倫を究明する原理、ということになるのでしょうか」
「朱熹は万物を貫くものを一つの太極とし、一物には、それぞれ一つの太極、即ち理があると考えた。つまり、万物の普遍的な運行原理である理を、太極と同一視したことになる」
「万物が生成され無限に変化するには、気が発現されるからだ。太極は陰と陽の理気に分かれ、さらに水・火・木・金・土の五行を生み出す。陰陽五行は気を意味するのであり、それこそが理気論の発現となる」
「自然の原理が、人の存在や倫理道徳にまで影響を及ぼすとお考えなのでしょうか」
「人の理性は太極、善心と悪心は陰陽、仁・義・礼・智・信の五常は五行が範となっている。人に認識する力と道徳が兼ね備わるのは、そのためだ。と同時に、情欲を避けるのは困難なため、人には修養が必要となるのだ」

  無極而太極
  陽動 陰静
  水・火・木・金・土
  乾道成男 坤道成女
  萬物化生

司諫院や司憲部を除くほとんどの官員は、卯の刻(午前六時前後)には登城していなくてはならなかった。王が召集する朝会である常参(サンチヤム)に参席するためだ。夜明け前の城外の六曹通りは、高官が座る輿の行列の先頭に立ち、道行く人に「控え!控え!」と叫ぶ喝道(カルド)の掛け声が絶えなかった。
 

書名:景福宮(キョンボックン)の秘密コード ハングルに秘められた世宗大王の誓い 上
作者:イ・ジョンミン(韓国作家)
出版:河出書房新社
内容:西暦1438年晩秋、朝鮮王朝の都・漢陽(ハニヤン:高麗時代から続くソウルの地名)、王の住まう宮城・景福宮。寅の刻(午前四時前後)を少し過ぎた頃、景福宮の北にある洌上真源(ヨルサンジンウオン:澄んだ水の源という意味)と呼ばれる井戸で、水汲みにきた十四、五歳の下女が死体を発見した。宿直の新米兼司僕(キヨムサボク:景福宮の護衛隊員)カン・チェユンの立ち会いのもと、井戸の中から死体が引き上げられた。死体は胸に短剣が突き刺されたままの若い男性で、集賢殿(チツピヨンジヨン:朝廷の研究機関)の著作(チヨジヤク:下級官吏)チャン・ソンスだという。死体は検案所(コムアンソ:検死する場所)に運ばれ、屠畜を業とする泮人(パンイン)のカリオンによって調べられる。チャン・ソンスは絞殺されたとカリオンは鑑定する。遺体には大小さまざまな青痣があり、昨夜何者かに襲われたのであろう。死亡推定時刻は子の刻(深夜零時前後)。事件の手がかりは、遺体の握り拳の中から出てきた玉製のボタン。兼司僕を束ねる兼司僕将の立場にあるチョン・ボグァン別監(ビヨルガム)は登城して殺人事件を知ると、責任を追及されて地位を失うことを恐れる。チェユンを呼び出したチョン別監は、彼が北関(プツクアン:朝鮮半島最北部の地方)の戦場を渡り歩いた元兵士であるから死人を見慣れていることを口実にして殺人事件の調査を任せる。保身のことしか頭にない日和見(ひよりみ)主義者のチョン別監は、上から事件を追及された場合は矛先をチェユンに向けさせて責任を被せようと考えていた。チェユンは集賢殿に出向き、ソン・サンムン学士に会って被害者について尋ねる。殺されたチャン・ソンスは滅んだ高麗王朝に仕えた家門の出身で、没落した一門を再興しようと科挙を受け、国王によって見出されたという。集賢殿では最下級の官吏として雑用に追われていたチャン・ソンスは、焚書の仕事を任されていた。チェユンは宮城の北側を囲む北岳山(プガクサン)の裾野にある焚書炉に向かった。カリオンの鑑定では、被害者は井戸以外の場所で殺害されたというから、それは焚書炉ではないか。チェユンは焚口から窯の中に入って調べ、次に焚書炉の周りを見回した。すると、焚口から掃き出された灰の上に奇妙な図柄が描かれていた。正四角形の中に碁盤の目のように九つに仕切られたマス目があり、その中に漢数字のようなものが書かれてあった。灰で汚れた体を井戸で清めたチェユンが兼司僕庁に戻ると、チョン別監に事件は解決したと告げられた。博士(パクサ:集賢殿の下級役職)のユン・ピルが、昨夜の亥の刻(午後十時前後)にチャン・ソンスのあとをつけて焚書炉に行ったという。ユン・ピルを取り調べて自白させるようにと、チョン別監に命じられたチェユンは集賢殿に向かう。宮城にある鋳字所(チユジヤソ)の仕事を任されているユン・ピルに面会したチェユンは、彼が着ている羽織のボタンが一つ欠けていることに気付く。ユン・ピルは焚書炉に行ったことは認めたが、犯行は否定する。ユン・ピルは大提学(テジエハク:集賢殿の最高官職)の命令で焚書される『告君痛書(コグントンソ)』という書物を探しに行ったが、すでに焚書した後だったので直ぐに戻って大提学に報告したと経緯を述べた。チェユンは死体が握っていたボタンについて言及し、ユン・ピルに兼司僕庁への同行を求める。しかし、下級官吏のチェユンには捕縛する権限がないとユン・ピルに指摘された。平民出身の身の程を思い知らされたチェユンは、明朝に上級兼司僕を訪ねさせるので、今夜は宮城から出ることを禁じる通知を出すとユン・ピルに告げた。宮城の天文研究機関である書雲観(ソウングアン)の官吏イ・スンジは、算学と宇宙論の大家である。イ・スンジが簡儀台(カンウイデ:宮城に設置された天文台)から下りてくるのを待っていたチェユンは、焚書場で書き写した図柄を見せて教示を頼む。図柄を見たイ・スンジは「魔方陣」だと答える。曰く、「難しい算術だ。方とは方形を意味し、九つのマスにある数字は、縦、横、対角線の数字の合計が、いずれも同じ数になるように配列されてある。各々の数字は一度しか使えない。バラバラに書かれた九つの数字が、ある法則に従って一つにまとまる仕組みだ」。禹王(うおう:古代中国の堯舜〔ぎょうしゅん〕時代の聖人)が治水工事をしていた時に現れた亀の甲羅に描かれていた洛書(らくしょ)に起因し、神秘的な文様として伝えられ、民衆の間では呪術になってしまっているという。チェユンが宮城で魔方陣に長けた者を尋ねると、イ・スンジは大殿(テジヨン:寝殿をはじめ王が使う宮城の中心的な殿閣)に仕える宮女ソイの名を挙げる。その日の夕暮れ、酒場の一室に六名の集賢殿学士が集まっていた。士大夫の社交場として流行りの詩契(シゲ:詩を楽しむ集まり)である。カン・フィアン、チェ・ハン、パク・ペンニョン、ソン・サンムン、イ・ゲ、イ・ソクヒョンは、芍薬(しゃくやく)詩契の契員(ケウオン)で、実は殺されたチャン・ソンスも新人契員だった。殺人事件の経緯を知った学士たちは動揺し、不安を感じていた。宮城の台所である外焼厨間(ウエソジユカン)に属す屠畜場がカリオンの仕事場である。チャン・ソンスの左手の上腕に黒い点が二つ刺青されていたとカリオンはチェユンに報告する。そのうえ、チャン・ソンスは殺される数日前に、大提学の指示で司憲部に連行されて棍杖の刑を受けたという話だった。チェユンは驚いて処罰の理由を尋ねると、王の命で高麗史を編纂していたチャン・ソンスの文に問題があったという。チェユンは集賢殿大提学チェ・マンリを訪ね、チャン・ソンスを罰した理由を問いただす。チャン・ソンスが数学遊びに耽溺するという学問に対する誤った態度のために罰したとチェ・マンリは答える。さらに、ユン・ピルが供述したチェ・マンリの命令をチェユンが確かめると、チェ・マンリは否定した。つまり、二人のいずれかが嘘をついている。集賢殿を出たチェユンは、宮城の北側にある香遠池(ヒヤンウオンジ)と呼ばれる蓮池に佇み、キム・ジョンソ将軍の配下として北方辺境の戦場で働いた日々を思い出す。将軍の命令で宮城に勤めて数カ月、チェユンは右往左往している。夜遅くの兼司僕庁への帰路、昼でも人気のない宮城の北側でチェユンは意外な人物に出会う。内侍府(ネサブ:王の身辺を補佐する宦官の部署)のムヒュルである。王の側近であり、王を警護する最高責任者である。鋳字所に向かう角を曲がるムヒュルの姿を見送ったチェユンは、王を警護する武士が夜の宮城の片隅にいたことに首をかしげる。兼司僕庁で待ちかまえていたチョン別監に捜査の報告をしたチェユンは、『告君痛書』が保管されていた宮城の秘書庫(ピソゴ)から二日前に紛失したと通報されていたことを教えられる。チャン・ソンスが殺された前日に書物が紛失していたなら辻褄の合わない話だ。チェユンが『告君痛書』について尋ねると、チョン別監は外部に漏らさぬようにと釘を刺しながら調査のために渋々話し出す。宮城に『告君痛書』が出回ったのは二十年前のことで、その書物は弾劾され、書物を読んだ士大夫たちが棍杖の刑に処された。『告君痛書』の筆写本は焼き払われ、原書だけが、宮城の秘書庫に仕舞われたという。これ以上禁書を調べるなと言って話を締めくくったチョン別監は、直提学(チツジエハク:集賢殿で大提学と副提学に次ぐ地位)から聞いた宮城に現れる幽霊の噂をチェユンに伝える。千秋殿(チヨンチユジヨン)の西側に欽敬閣(フムギヨンガク)という建物ができてから、罷漏(パル)の鐘(漢陽を囲む城壁の開門を知らせる夜明け前の鐘)が鳴る頃に、奇妙な姿をした幽霊が妙な音を出しながら歩き回るという。その幽霊が学士を殺したと噂になっているというのだ。チョン別監は幽霊の正体を明らかにするようチェユンに命じる。真夜中、兼司僕庁の宿直棟で悪夢から覚めたチェユンは、窓を開けて火事に気付く。雨の中を火元の方角へ駆け出したチェユンは、炎に包まれた鋳字所を目にする。雑役たちや禁軍、巡視兵たちが走り回っているなかに加わり、チェユンも桶に水を汲んで火にかけた。空が白む頃に火は消えた。ふと人だかりができているのに気付いたチェユンが走り寄ってみると、そこは溶かした鉛を鋳型に注いで活字を作る鋳物工房だった。工房の前に転がっていた坩堝(るつぼ)から、鉛が前庭に流れ出て、その先に黒い塊が横たわっていた。その塊は学士ユン・ピルだった。坩堝から二、三歩離れた場所に倒れていたユン・ピルの羽織は焼け、体のほとんどに火傷を負っていた。チェユンが火事を最初に見つけた職人に事情を聞くと、昨夜は合宿棟にユン博士一人で宿直していたという。夜が明けて現場に駆けつけたチョン別監に事件を報告したチェユンは、死体があった場所が雨に濡れていないことを示し、火事が起きる前にユン・ピルが殺された疑いがあると告げる。死体はカリオンの指示で検案所に運ばれた。兼司僕庁の前庭でひれ伏しているチェユンに、「チャン・ソンスを殺したユン・ピルが失火で焼死した」とチョン別監は結論づける。殺人の動機を問うチェユンに、「魔方陣に夢中になっていた宮女ソイに、二人の学士が心を奪われていたという話だ」とチョン別監は答える。チェユンは事故死に見せかけた殺人だと主張し、検死をしたカリオンの所見も「火事の前に死亡していた」ということで、事件は振り出しに戻った。一方、集賢殿の実用学派学士たちは彼らの精神的支柱だった官吏チャン・ヨンシルが投獄されたことを知り動揺していた。チェユンは検案所のカリオンを訪れ、ユン・ピルにも刺青があったことを教えられる。カリオンの案内で地下の密室に下りたチェユンは、死体の両手の握り拳からは十一個の活字「根之木風亦源之水旱亦渇」を摘みだした。チェユンは集賢殿にソン・サンムンを訪ね、殺されたユン・ピルが高麗歌謡を収集していたことを聞く。下品な表現が嫌われ禁じられた歌詞を、高貴な家柄の学士が収集していたとは信じ難い話だ。交泰殿(キヨテジヨン:王妃の寝殿)の北側に広がる後苑で洗濯をしていた宮女ソイを訪ねたチェユンは、チャン・ソンスが書き残した図を見せて問いただす。ところが、ソイは口がきけず、筆談で意思疎通するしかなかった。チェユンは魔方陣の答えを尋ねるが、ソイは「自解」と書いただけであった。放っておいても自ずと解ける、それとも自力で解けという意味なのか。どっちでも良いと考えたチェユンは立ち去った。チョン別監は殺人犯のユン・ピルが事故死で一件落着させたいと考え、兼司僕庁に戻ったチェユンを叱責する。チェユンは死んだ学士たちの刺青が事件と関係すると考え、集賢殿学士すべての体を検査すべきだとチョン別監に訴えると、大提学の許可をとるようにと言われる。チェユンは集賢殿の大提学チェ・マンリを訪ね、身体検査の許可を求めるが拒否される。代わりにチェユンは学士の勤務名簿を閲覧させてもらう。チェユンは雅楽の大家パク・ヨンを訪ね、郷楽の歌詞を収集していたユン・ピルについて尋ねる。だが、パク・ヨンは奉常寺(ポンサンシ:祭祀を扱う部署)を追い出され、宮廷の音律とは無縁になった自分の境遇を嘆くばかりだった。楽聖のパク・ヨンでさえ追い出されたのだから、郷楽の研究は集賢殿学士にとり命がけの行為だったに違いない。チェユンは検案所で飲んだくれていたカリオンを訪ね、書物の墓場である秘書庫について尋ねる。カリオンは秘書庫を誰も近づかない縁起の悪い場所だと言い、呪われた場所に取り憑いた書物の霊について語る。チェユンは禁書『告君痛書』に関わる二十年前の出来事をソン・サンムンに尋ねる。ソン・サンムンは二十年前の戊戌(ぼじゅつ)の年(西暦1418年)に、王妃の父である領議政(ヨンウイジヨン)シム・オンが大逆を犯して断罪される事件が起きたと語る。『告君痛書』には、獄事(オクサ:反逆などの重大犯罪)の責任をとらされて賜死したシム・オンを慕い、その死に至る事情が細かに記されていたという。獄事の後、この書物が宮城で噂になった。書物は筆写に筆写を重ねて出回り、学士たちは書物を求め、たちまち禁書の目録にあがった。議政府や六曹が動いて漢陽に出回っていた三十二冊の書物を探し出し、獄事から一年後に残らず焚書したという。チェユンは鋳字所を訪ねて職人を監督するジョン・チョルギに会う。殺されたユン・ピルが握っていた活字を印字した紙をジョン・チョルギに見せ、チェユンは活字の書体を作った人物を知っているかと問いかける。ユン博士でなければ分からないと親方は答え、ユン・ピルが人知れず製作していた活字の存在をチェユンは知る。鋳字所の親方ですら知らない書体の謎を突き止めるには、秘書庫が打ってつけの場所だとチェユンは考える。秘書庫は、景福宮後苑の中でも最北端の山の麓にあった。書庫内は書棚に書物が隙間なく埋まっていた。チェユンが手当たり次第に書物を開いてみると、ガラガラと凄まじい音をたてながら書棚が右へ左へと動き出した。悪霊の仕業かと、チェユンは凍りつく。「禁域を犯すのは何者だ!」という声と共に、薄暗い部屋の奥で官服を着た男の姿が浮かび上がった。男は車輪のついた椅子に座り、肘掛にニ十本ほどの縄をつないでいた。縄は天井にある滑車を通して書棚とつながっていた。これが動き回る書棚の秘密のようだ。男が車椅子を動かしてチェユンの前に来たので、兼司僕として学士の死を調べていると話した。警戒心を解いた男は「秘書庫の官吏をしているユン・フミョン」だと名乗った。焚書の仕事のために出入りしていたチャン著作についてユン・フミョンに尋ね、チェユンは他に秘書庫に出入りする人物がいないか確かめる。するとチャン・ソンスが死ぬ前日、ユン・ピルがモンゴルの男女の情愛を描いた書物『夢恋花雨』を借りたという。チュエンがその書物を確認したいと言うと、昨夜護衛監のムヒュルが持ち出したという。さらに大提学チェ・マンリもこの淫書を探していたとユン・フミョンは証言する。最後にチェユンは印字した紙切れをユン・フミョンに渡し、「この書体に見覚えがないか」と尋ねる。ユン・フミョンは「初めてみる文字だ」と答え、紙切れを預かって似たような書体の書物を見つけたら取り置きしておくと約束する。秘書庫を後にしたチェユンは、護衛監ムヒュルに対する疑いを強め、彼の居所に向かう。内侍府の合宿閣は王の寝殿の裏手にある。合宿閣の庭に入ったチェユンは、隅から隅まで探し回り、縁の下まで入り込んで芯まで焼け焦げた松明を見つける。ムヒュルに行動を咎められたチェユンは、使い捨てられた松明を証拠に、昨夜ユン・ピルと護衛監が長い時間一緒にいたことを指摘する。ムヒュルは犯行を否認するが……。ハングル制定前夜の景福宮を舞台にして起きた連続殺人事件を描く歴史ミステリー小説。
※原書初版2006年
※本書の原題は『根の深い木』

龍袍:王の衣装
燕朝:王が安息をとる宮殿
六畜:馬・牛・羊・豚・犬・鶏の六種家畜
経穴(けいけつ):鍼灸のツボ
斯文乱賊(サムンナンジヨク):儒教の教理に反する者
賜死(しし):身分に鑑み毒薬で自害させる刑罰

鯨油の灯
「蠟燭の灯りより倍は明るい」

罷漏(パル)の鐘(漢陽を囲む城壁の開門を知らせる夜明け前の鐘)
宮城の閉門を知らせる人定鐘(インジヨンジヨン)が鳴った。

「五行とは、宇宙の森羅万象を形作る五つの根源を指す。木、火、土、金、水の五つは、それぞれ独自に存在するが、人を含めたすべての自然に通じる」
「色に喩えれば、木は葉が青いので青、火は赤く燃えるから赤、金属は白く輝くから白、深い水は深淵な黒、土が積もり黄になる。季節に喩えれば、芽を出す春は木、暑い夏は火、水がかれる秋は金、寒い冬は水となる」
「五行が肉体に入れば、水は腎臓、火は心臓、木は肝臓、金は肺臓、土は脾臓になる」
「五行の行という字は、動きを意味する。動かぬことは、即ち死を意味する。この五行の動きを命に託すことにより、医学の原理を得ることも可能となるわけだ」
「五行は『生』と『克』により、生成、あるいは消滅する。木は燃やされて火になるから、木生火。焼き尽くした灰は土に戻るから、火生土。土に埋もれた中から鉄が出てくるから、土生金。清らかな水は岩から浸み出してくるから、金生水。水が木を生かすので、水生木」
「水克火を考えてみるがいい。燃え盛る炎も、水をかければ消えてしまう。次に火克金。火は金を溶かし、その形態をも変えてしまう。頑丈な鉄は木を切り裂く、これが金克木だ。その木は、地中に根を張って土を苛(さいな)むから木克土となり、そして、土は水を堰きとめ土克水となる。五つの気運の相生と相克によって、宇宙は存在する。人の生死、国家の興亡盛衰もまた、五行の原理と無縁ではない」

一度草稿に使われた紙を水で溶いて作りなおした再生紙だった。黒ずんだ粗い紙なので、筆圧を強めて書かないと紙に墨がなじまない。そのため、次の紙に文字が滲むことも多々ある。
 

書名:若草物語
原題:Little Woman
作者:オルコット(アメリカ作家)
出版:光文社古典新訳文庫
内容:南北戦争中にアメリカ東部ニューイングランドの郊外で暮らすピューリタン一家。クリスマスを間近にひかえた夕べ、マーチ家の四姉妹は暖炉の近くで編み物をしながら母親の帰宅を待っていた。長女のマーガレットことメグは十六歳で、優しい色白の美人。次女のジョセフィーンことジョーは十五歳で、男に生れたかったじゃじゃ馬娘で、本の虫。三女のエリザベスことベスは十三歳で、ピアノを弾くのが大好きな恥ずかしがり屋。四女のエイミーは十二歳で、絵を描くのが好きなおませさん。「クリスマスなのに、プレゼントのやりとりもしないなんて、クリスマスじゃない」と、ラグの上に寝そべっているジョーが文句を言った。「わたしたちには両親も姉妹もいるじゃないの」とベスが言うと、ジョーが悲しそうに「パパはいない」と言ったから、全員が戦場にいる父親のことを考えた。やがてメグが「今年はクリスマス・プレゼントのやりとりは止めましょうってママが言ったのは、男の人たちが軍隊で命がけの毎日を過ごしているときに、わたしたちだけが自分のお楽しみのためにお金を使うべきじゃないって思っているのよ」と言った。「自分のお金で買いたいものを買うのはいいんじゃない」と、ジョーが声を上げた。その言葉にメグが同意する。ベスが母親のルームシューズを暖炉の火で温め始めると、「ぼろぼろじゃない」とジョーが指摘した。ベスが「わたしのお金で買おうと思っていたのよ」と言うと、姉妹たち全員が「自分が買う」と言い出し、結局ジョーがプレゼントすることに決めた。すると、ベスが「みんなでママにひとつずつプレゼントするのよ」と提案し、メグは手袋を、ベスはハンカチを、エイミーはオーデコロンの小瓶をプレゼントすることに決める。ベスが夜食用のパンを炙りはじめると、他の姉妹たちはクリスマスの夜にやるお芝居の練習をする。大笑いのうちに芝居のリハーサルが終わると、マーチ夫人が帰ってきた。母子が夜食を済ませると、マーチ夫人は従軍牧師として戦地に行ったマーチ氏の手紙を娘たちに読んで聞かせる。「……みんなにはそれぞれの務めを果たして欲しい……各自の義務を忠実に果たし、心の奥底にひそむ敵と勇敢に闘い、自分との闘いに打ち勝ってもらいたい……家に戻ったとき、わたしはわたしのリトル・ウィメンを、いとおしく、誇らしく思うでしょう」これを聞いた姉妹たちは涙を流し、父親の期待に添えるようになろうと心に誓う。マーチ夫人は姉妹が小さかったころ、『天路歴程』のまねをして巡礼ごっこをしたことを思い出させ、今度は遊びではなく真剣にやってみるように勧める。そして、「クリスマスの朝に枕の下に道案内が見つかるわ」と約束した。このあと九時まで針仕事をしてから讃美歌を歌い、姉妹は眠りについた。クリスマスの朝、四姉妹は約束通り枕の下に小さな本を見つけた。長旅をしなければならない巡礼には最高の道案内となる物語だ。メグが「この本を毎朝少しずつ読むことにする」と妹たちに宣言すると、本を読み始める。妹たちも賛成して本を読んだ。三十分後、階段を下りるとマーチ夫人は居なかった。メグが生まれた時からマーチ家で暮らしている家政婦のハンナが「奥様は物乞いに来た貧しい人の家を訪ねにいきました」と教えてくれる。四姉妹はプレゼントをいれてあるバスケットをソファの下に隠した。そこへマーチ夫人が帰ってきて、「六人の子どもと生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて横になっている貧しい女の人がいて、食べ物も薪もないというの。だから私たちの朝食をクリスマス・プレゼントとしてあげられないかしら?」と、姉妹に提案した。誰もがお腹を空かせていたけれど、「食べ始めないうちで良かった!」とジョーが叫び、他の姉妹も賛成した。朝食を包んでフンメル家を訪ねると、火の気のない粗末な部屋に病気の母親と子どもたちがいた。薪を運んできたハンナが火をおこし、一家に食事をさせると、子どもたちは「ディ エンゲル・キンダー!(天使みたいなお嬢さんたち)」と声をあげた。マーチ家の人々は帰宅すると、陽気な気分でパンとミルクだけの朝食でがまんした。四姉妹はプレゼントを渡す準備を整えると、部屋にマーチ夫人を迎え入れた。娘たちからのプレゼントにマーチ夫人は驚き喜ぶ。夜になると、ジョーの書いた劇を姉妹で上演した。十二人ほどの少女たちが観客で、幕が下りると拍手喝采だったが、最後に桟敷(さじき)の代わりにしていた折畳み式のベッドがいきなり畳まれてしまって、観客たちを呑み込む。役者たちが駆けつけ、全員無事に引っ張り出されたが、皆で笑い転げる。まだ騒ぎがおさまらないところへ家政婦がきて、夜食の支度ができたと告げる。豪勢なテーブルを見て、四姉妹はびっくりした。二種類のアイスクリーム、ケーキ、果物、フランス製のボンボン、テーブルの中央には温室咲きの大きな花束が置いてあった。マーチ夫人は隣家のローレンス氏からの贈り物だと言った。マーチ家の家政婦がローレンス家の使用人に、マーチ家の姉妹が貧しい一家に朝食を届けた話をしたのだという。それを知ったローレンス氏はマーチ夫人の父親を知っているので、マーチ夫人に手紙を寄越して、マーチ家への友情のしるしに、クリスマスのお祝いに贈り物をしたいと伝えてきたのだという。それで皆でご馳走を食べ、贈り主のローレンス家のことを話題にした。「ローレンス家は近所づきあいしない。お孫さんも家庭教師と一緒に乗馬するくらいで、あとはお勉強させられてる」と聞いたジョーは、「前にうちの猫が逃げ出したとき、あの子が連れてきてくれて、塀越しにおしゃべりしたことがあるんだ。あたし、きっと友だちになる」娘の決意を聞いたマーチ夫人も、友だち付き合いなら構わないと言った。数日後、メグとジョーはガーディナー家が大晦日に催すダンスパーティーに招待される。困ったことに身に着けるものに無頓着なジョーはドレスに焼け焦げを、手袋をレモネードの染みだらけにしてしまっていた。手袋なしではマナー違反なので、結局二人はメグのきれいな手袋を片一方ずつはめて、染みのあるほうは手に持つことにする。大晦日の夜、パーティーの支度をするメグとジョー。メグが額の髪をカールしたいと言い出したので、ジョーが焼きゴテではさんでカールを作ろうとしたが、真っ黒に焼け焦げた髪は取れてしまった。ショックを受けたメグが泣き出し、後悔したジョーも涙を流すと、エイミーが「そこはリボンを結べば流行の髪型に見える」と慰めた。メグはきついハイヒールを我慢して履くと、上品にふるまうと約束したジョーと出かけた。ガーディナー家に到着すると、招待してくれたガーディナー老夫人に挨拶した。老夫人は娘のひとり、サリー・ガーディナーに二人を任せた。ダンスが始まると、メグはすぐに申し込まれた。ジョーは背中の焼け焦げを隠すために、注意深く壁を背に立っていた。ところが、若者がやって来るのに気づいたジョーはダンスを申し込まれたら大変と、カーテンが引かれているコーナーに滑り込んだ。そこには恥ずかしがり屋の先客がいた。先客のローレンス家の少年は、「良かったらどうぞご一緒に」と言ってくれたので、ジョーはクリスマス・プレゼントのお礼を述べた。少年は自分のファーストネームであるセオドアが好きではないから、ローリーと呼んでとジョーに言った。ジョーも自分の名前が大嫌いだから「ジョー」と呼んでもらいたいと応じる。来月十六歳になるというローリーは、ジョーをダンスに誘い……。従軍牧師として戦場に赴いている父親に代わり、家を守る堅実な母親と、心優しく感受性豊かで個性的な四姉妹の一年間の物語。隣家のローレンス氏や少年ローリーらとの交流を通し、ティーンエイジャーの娘たちは大人に近づいていく。四姉妹の日常を生き生きと描いてベストセラーとなった不朽の名作。
※原書初版1868年
※『若草物語』は作者ルイーザ・メイ・オルコット(1832年~1888年)の自伝的小説。
※巻末の『解説』によると、『若草物語』はオルコット一家の物語である。ルイーザが1840年代の後半に過ごした思春期のエピソードをふまえて書かれているが、作中の時代は南北戦争(1861年~65年)の最中という設定だ。登場人物のモデルは、メグが長女アンナ、ジョーはルイーザ自身、ベスは三女エリザベス、エイミーは四女アバ・メイ、マーチ夫人は母親アビゲイルで、性格もほとんどそのままに描かれている。ただ、牧師のマーチ氏と父ブロンソンの性格は違う。それでもブロンソンの愛読書だったピューリタン文学の代表作、ジョン・バニヤンの『天路歴程(てんろれきてい)』が物語の中で重要な役目を果たしていることによって、彼の信条が作品に反映されている。隣家のローレンス氏は母方の祖父ジョーゼフ・メイ大佐、マーチ伯母のモデルはいないとルイーザは言っているが、母方の大伯母ハンコック夫人だともいわれる。ローリーの家庭教師のジョン・ブルック先生は姉アンナの夫となったジョン・プラットをモデルにしている。少年ローリーのモデルは一人ではなく、姉アンナの家に下宿していた少年と、ルイーザがスイスのヴヴェーに滞在していたときに強い友情で結ばれたラディスラスというポーランド人の青年を合わせたものだといわれている。マーチ(三月)という姓は、母の姓メイ(五月)からの連想だと思われる。『若草物語』の原題『リトル・ウィメン(小さな女性たち)』は、実際に父ブロンソンが娘たちのことをそう呼んでいたことからといわれる。『若草物語』の第一章でマーチ牧師が戦地で書いた手紙にも四姉妹を指して『リトル・ウィメン』と呼んでいる。
※『訳者あとがき』によると、南北戦争は「ブルー・グレイ戦争」ともいわれていて、北軍はブルーの、南軍はグレイの軍服で戦った。作中の四姉妹が「ブルー」の軍隊用ソックスを編んでいることから、マーチ家は北軍を支援しているのだということが分かるそうだ。ちなみに、合衆国では「フォート(砦)○○○」という地名が珍しくないそうだ。
※寓意小説『天路歴程(The Pilgrim's Progress)』:作者のジョン・バニヤンは十七世紀イギリスの宗教作家。『天路歴程』第一部は1678年刊。第二部は1684年刊。主人公クリスチャンが「破滅の街」を逃れて巡礼の旅に出発し、さまざまな誘惑や苦難を克服して「天上の都」に到達するまでの過程を描く、聖書の内容をふんだんに取り入れた寓意物語。

「せめて男の人みたいにジョーって呼ばれること(略)」

「ローリー・ローレンス――すごく変な名前だわ!」
「ファーストネームはセオドアなんだけど、好きじゃないんで。友だちがドーラなんて呼ぶから。それでローリーって呼ばせることにしたんだ」

勉強にはげむ若いクジャクのような態度
※クジャク(孔雀)には見栄坊、これ見よがしにいいところを見せるという意味がある

クジャクみたいにうぬぼれてやろう
※雄のクジャクは尾羽を広げてこれ見よがしに歩き回ったりすることから、容姿や服装などについて見栄や虚栄を張る人のこと

カササギのようにいろいろなものを溜め込んでいた
※カラス科の鳥。やかましい声で鳴き、小さな光るものを巣に運び込む習性があることから、がらくた収集家の意味がある。

親孝行な若いコウノトリのようにせっせと給仕
※欧米には、この鳥が巣をかけた家には幸運が訪れ、赤ちゃんを運んでくるという俗信があり、親孝行、長寿の象徴とされている。

ナン:アンナの愛称
フィーメール:女性

プラムフィールドって楽しいどころか墓場みたいなんだから、行きたくない

マラプロップ:イギリスの劇作家リチャード・ブリンズリー・シェリダンの喜劇『恋敵(こいがたき)』に登場する老婦人。教養があるところを見せようとしてむずかしい言葉を使うのだが、言いまちがえてばかりいる。マラプロピズム(ある言葉を似た響きをもつまちがった言葉に置き換える文学技法)の由来となった人物。

マリア・シュトゥーアルト:「メアリー・スチュアート」のドイツ語読み

オーバーシューズ:靴の上に履く防寒・防水用の靴

人差し指には、スカイブルーの石がちりばめられた指輪がはめてあり、小さな黄金の両手が握り合っている風変わりな金の留め指輪で留めてあった。
※結婚指輪が抜けるのを防ぐためにその上にはめる指輪

灰色と金色と栗色と濃い茶色の髪を編んで作ったブローチ

「毛を刈られてわが家の黒羊がおとなしくなったのかどうかは分からない(略)」
※白い羊の群れの中に現れる黒い羊。転じて家族などの恥になるような厄介者、もて余し者の意だが、ここでは枠におさまりきれない個性的な変わり種のこと。
 

書名:メキシカン・ゴシック
原題:Mexican Gothic
作者:シルヴィア・モレノ=ガルシア
出版:早川書房
内容:1950年、メキシコ。首都メキシコシティでメキシコ女子大に通いながら、優雅な社交生活を謳歌している22歳の女性ノエミ・タボアダ。ある夜、ボーイフレンドと仮装パーティーに出席したノエミは、父親からの電話で家に呼び戻される。ノエミの父親は化学染料を商う事業を成功させた資産家であるレオカディオ・タボアダだ。その父が気に入らないボーイフレンドとの仲を邪魔したのだとノエミは考えた。だが、父親は従姉のカタリーナから手紙を受け取ったと切り出す。五歳年上のカタリーナは一年前に英国人ヴァージル・ドイルと電撃結婚し、その後は疎遠になっていた。手紙には『夫に毒を盛られ、亡霊に苛まれている』といった異様な内容が乱れた筆致で綴られ、ノエミの助けを求めていた。幼い頃に両親を亡くしたカタリーナを父親が家に引き取ったので、ノエミとは姉妹のように仲が良かった。心配した父親は何があったのか確かめる手紙をヴァージルに送ったが、返信には『少し前からカタリーナは原因不明の錯乱状態にあったが、いまは快方に向かっている』とあった。何度か手紙のやり取りをしていたが、今夜ノエミ宛の電報が届いたという。月曜日ごとに運行される列車でノエミにカタリーナに会いに来てほしいと。父親はドイル家が財政難であることを指摘し、ヴァージルが妻の財産目当てで手元から離さないのではないかと危惧していた。だからノエミに様子を見てきてほしいと父親が頼む。ノエミは落第するかもしれないと渋るが、父親はメキシコ国立自治大への進学を許すと言い出す。女子大卒業後も学業を続けたいと希望するノエミに両親は難色を示していたので、これはチャンスだと彼女は引き受ける。こうして列車に乗り込んだノエミは、険しい山の斜面に位置するエル・トリウンフォという町に到着した。人気のない駅舎を出ると、二、三十年前の高級車が一台だけ駐車していた。ドイル家の当主ハワードの言いつけで迎えにきたという若者は、ヴァージルの従姉の息子で「フランシス」と名乗った。ノエミとさして歳の違わないフランシスは、太陽の光を浴びたことがないような白い肌に金髪の容姿だ。フランシスの運転する車で町を通り抜けてドイル家に向かう。エル・トリウンフォは良く言えば「古風な趣(おもむき)」の町だが、かつて銀山で栄えた町は採掘を終えて寂れた場所になっていた。その町からさらに霧深い山を登った先の山頂にそびえる古い館「ハイ・プレイス(山頂御殿)」で、ドイル一族は暮らしている。フランシスの説明では、ハイ・プレイスはどこもかしこも英国式で、家族はスペイン語を話せず英語で会話しているという。霧のなかから姿を現わしたハイ・プレイスは、ヴィクトリア朝期の建築様式にこだわった建物である。ドイル家のシンボルだという「己の尾を噛む蛇」で装飾された館は古びており、いたるところにカビが侵食している。ノエミを出迎えに現われた女性は、当主の姪でフランシスの母親であるフローレンス。ノエミの握手の手を無視したフローレンスは、ハイ・プレイスは自分が取り仕切っているのでルールに従うように宣言する。ドイル家は沈黙とプライバシーを重んじる一族だと告げ、カタリーナへの干渉や無断外出を禁じ、最後にこの家では禁煙だと言い渡す。喫煙の習慣があるノエミは鼻白む。案内された寝室には古めかしい四柱式寝台などの家具が置かれ、発電機の電気量では照明をまかなえないので蠟燭とオイルランプを使うように説明される。フローレンスの話が終わると、ノエミは「カタリーナに会わせてください」と申し出る。フランシスの口添えでノエミは五分だけ会うことを許可される。窓辺に置かれた椅子に座っていたカタリーナは魂が抜けたような様子で、結核に罹患したとノエミに話し、フローレンスに世話されるままになっていた。午後七時、息子のヴァージルに肩を借りながらディナーの席に現われた当主ハワードは、ノエミの肌の色と髪の色がカタリーナよりも濃い色であることを指摘し、アメリカ先住民の家系かと尋ねる。カタリーナの母親はフランス人だが、自分の母方はマサテコ族の血を引くとノエミは答えた。するとハワードは、「優等人種と劣等人種の混交について、どう考えるか?」と問いを重ねる。ノエミは不快になったが、メキシコの人類学者の論文に言及することで答えに代えた。ドイル一族はどの人も肌が抜けるように白く、金髪だった。父親のハワードが退席すると、ヴァージルは居間でノエミと話し合った。お伽話やロマンティックな物語を好んだカタリーナが結婚した夫は、35歳の金髪碧眼の美男子だ。カタリーナを心配する父の懸念をノエミが伝えると、ヴァージルはドイル家の信頼する主治医アーサー・カミンズが毎週診察していると説明し、精神科医に診せるという意見には否定的だった。木曜日に診察に来る主治医と話をすると決めて、ノエミはヴァージルとの話を終えた。翌朝、英国風の朝食をとった後、ノエミは屋敷内を探訪した。大半の部屋は使われておらず閉ざされたカーテンと白布をかぶせた家具類ばかり。三人いる使用人に挨拶しても無言で頭を下げるだけで取り付く島もない。裏口から外に出ると、フランシスに声をかけられて英国人墓地に案内される。墓碑を見たノエミは、どれも1888年以降のものであることに気付く。スペイン人から銀山経営をハワードが引き継ぎ、連れて来た大勢の英国人労働者に作業させていたが、伝染病が広がったせいで殆どが死んで埋葬されたとフランシスが説明する。メキシコ人労働者たちはエル・トリウンフォのほうに埋葬されたという。木曜日、カタリーナと面会したノエミは、町に住む女性マルタ・デュバルに調合してもらった薬が切れたので同じものを貰って来てほしいと頼まれる。カタリーナに誰にも喋らないでと言われたノエミは約束する。そこへ主治医が診察にやって来たので、終わるのを待ってノエミは面会した。しかし、ヴァージルに紹介されたドクター・カミンズは一方的な説明を述べると、ノエミの質問をはぐらかしたり言いくるめて帰ってしまった。どこか他人事な態度のヴァージルに、ノエミはセカンドオピニオンを求める許可をもらう。その夜、ノエミは奇妙な悪夢を見て汗をぐっしょりかいていた。翌朝、フランシスに頼んで車を借りたノエミは、自分で運転して町の診療所を訪れた。浅黒い肌の若い医者は、フリオ・エウセビオ・カマリーリョという名前である。カタリーナの往診を頼むと、ドクター・カマリーリョは「ハイ・プレイスの人たちは土地の人間と交わらない」と消極的だった。鉱山が操業していた頃に伝染病が労働者に蔓延した時も、土地の医者には頼らなかったそうだ。ただ伝染病がどういうものだったかは謎だという。ノエミは情に訴えて往診の約束を取り付けると、次にマルタ・デュバルについて尋ねた。すると、ドクター・カマリーリョは「彼女は民間療法師だ」と答え、結核患者に人気の咳止め茶を処方すると教えた。描いてもらった地図を手に、ノエミは徒歩で女療法師の家に向かった。中央広場から離れた荒廃した町の一画に建つ療法師の家は、小さいが手入れが行き届いていた。マルタ・デュバルは年老いた女性で、ノエミを家に招き入れた。治療薬を頼むためにカタリーナを憶えているか尋ねると、老女は以前の依頼について話した。カタリーナが町の教会に通っていた頃に訪ねてきて「悪夢を見るので寝つきがよくなる薬が欲しい」と言ったという。最後に会ったときは手紙の投函を頼まれたそうだ。悪夢と聞いたノエミは、自分の見た不気味な夢を思い返した。ノエミが治療薬を頼むと、老女は「薬は一時しのぎだ」と応じ「あの一族は呪われているんだ」と言った。ノエミが伝染病について聞いていると答えると、老女は「ミス・ルースが起こした乱射事件」の話だという。どうやら語り部でもある老女に対価を約束すると、ハワードの娘でヴァージルの姉であるルース・ドイルについて語り始めた。まだドイル家が盛んで使用人が大勢いた頃、ルースはいとこのマイケルと結婚が決まった。ところが式の一週間前、ルースはライフル銃でまず花婿を、続いて母親と叔母と叔父まで撃ち殺してしまった。父親も撃ったが、彼は命拾いした。最後にルースは銃口を自分に向けて発射した。事件のあと、使用人たちは屋敷を離れ、ハイ・プレイスに残ったのは生き延びた家族と長年仕えていた人間だけ。ところがある日、ミス・フローレンスが旅行に出かけ、若い男と結婚して戻ってきた。夫のリチャードはドイル家の人間とは違って話好きで、車で町に来ては酒とおしゃべりを楽しんだ。そうこうするうち、幽霊とか精霊とか邪視とかの話をするようになり、痩せ細って町におりてこなくなった。姿を見せなくなったあと、谷底で死んでいるのが見つかった。フランシスの父親は享年29歳だったという。ノエミが「痛ましい話だけど、呪いで片づけるのはどうかしらね」と言うと、「あの家の連中が触れるものは全部腐るんだ」と老女は言う。ノエミが前回と同じ薬を依頼すると、老女は「薬じゃなにも解決しないよ。問題はあの家だよ、あそこは呪いの館なのさ。さっさと列車に飛び乗ってあそこを離れちまいなって、あんたのいとこにも言ってやったんだ」と言い、薬を作るのに時間がかかると答えた。ノエミが支払いをすると、老女は一週間後に来るようにと言った。その夜のディナーで、ノエミは外出と喫煙をフローレンスに咎められる。食卓にハワードは居なかったが、使用人が伝言を届けに来た。食後に部屋に来てほしいという。皆でぞろぞろと階段をのぼってハワードの寝室を訪れる。手招きされて、ノエミはハワードのかたわらに腰をおろした。暖炉の上に並んで掛かる二枚の肖像画がノエミの目に留まった。よく似たふたりの面立ちはドイル家特有の顔だった。ノエミが「お身内ですか?」と尋ねると、「どちらも妻です」とハワードが答える。アグネスはこの土地に移住して間もなく他界し、二度目の妻アリスを娶った。アグネスとアリスは姉妹で、ハワードのいとこだという。ノエミが驚くと、ハワードはイギリス王室の例を出す。アグネスの肖像画には1885年、アリスの肖像画には1895年と描いてある。ノエミはハワードのいやらしい目つきが不快だった。ハワードは息子にノエミを温室に案内するよう勧め、ヴァージルが承諾して会話が終わる。その夜、ノエミは奇妙な夢を見た。月曜日の正午、ドクター・カマリーリョが約束通り往診にきた。だが、カタリーナは診察の途中で音が聞こえたと言い出し、「壁の中に死んでいる人たちがいる」と嗚咽をもらした。「墓地に行けばノエミも目にするはず」とカタリーナは言い、咳きこみだした。そこへフローレンスとメイドがお茶を運んできて、医者をせかしたので二人は部屋を出る。ノエミが医師に意見を聞くと、やはり精神科での治療が必要だろうと言われる。医師を見送って戻ると、ヴァージルが待ちかまえていた。ノエミは温室に案内してもらうと、精神科医に診せるべきだというドクター・カマリーリョの所見をヴァージルに伝え、カタリーナをメキシコシティに連れて行くように訴える。だが、ヴァージルは拒否した。火曜日、カタリーナの言葉が気になったノエミは墓地に足を運ぶ。墓地のなかを漫然と歩き回ったノエミは、なにかが動くのを見た。霧のせいで視界が悪かった。墨色の明確な輪郭を持たず、霧に浮かび上がる暗い染みのような何か。それは視線を離した僅かの間に消え、ブゥーンとうなるような音がノエミの耳に届く。ノエミはカタリーナの言葉を思い出す。「墓地にいるのよ」ゴシック・ホラー小説。
※原書初版2020年
※作者はメキシコ生まれのカナダ人作家。1981年、メキシコで生まれたシルヴィア・モレノ=ガルシアは、両親がジャーナリストだった為メキシコ国内およびアメリカ合衆国の各地で育ち、マサチューセッツ州のエンディコット・カレッジを卒業してメキシコに帰国する。その後メキシコで結婚し、2004年に夫とともにカナダに移住する。「訳者あとがき」によると、作者が母語であるスペイン語ではなく英語で作品を発表する背景には、メキシコには怪奇・ファンタジー作品を受け容れるマーケットがまだ確立されていないという事情もあるようだ。
※「訳者あとがき」によると、小説の舞台エル・トリウンフォは、イダルゴ州の山岳地帯に実在するレアル・デル・モンテという町がモデルになっている。そこはかつてスペインの入植者たちが開発した銀山町のひとつで、独立後のメキシコに進出した英国資本が採掘を再開したことで英国風の町並みが形成され、いまでは「リトル・コーンウォール」の愛称で親しまれているそうだ。ここには作中に登場するような英国人墓地があり、作者はホラー映画に出てきそうな霧深いそのたたずまいに本作の着想を得たという。

「ウロボロス」
「蛇が自分の尾をくわえた図は、天上界と地上界における無限を象徴しているんです」

ア・ラングレーズ:英国風
ゲストハウス:高級下宿
コーチハウス:馬車庫
ピューター:白鑞
フラスク:携帯酒瓶

ふたりとも金髪で、一方の女性の髪は赤みがかったストロベリー・ブロンドで、他方は蜂蜜色の髪だ