書名:坊ちゃん忍者幕末見聞録
作者:奥泉光
出版:中公文庫
内容:出羽(でわ)の国は庄内平野のほぼ真ん中、鶴ケ岡の城下から北へ七里の片田舎で暮らす「おれ」こと松吉は、七歳のとき川向こうの隣村に住む大叔父の横川甚右衛門兼規(かねのり)の養子になった。霞(かすみ)流忍術を伝える十六代目当主である甚右衛門を師匠として、松吉も一通りの忍術修行をした。だが、大した腕ではないし、太平の世に忍術などは不要である。その証拠に前川家は出羽庄内藩から苗字帯刀を許された武士の家格だが禄は貰っておらず、甚右衛門は山から採った薬草を売ったり馬医者をして暮らしをたてている。松吉も十六歳で元服した時に「泰兼(やすかね)」という公家のような名前を貰ったが、しばらくすると本人も周囲も幼名呼びに戻ってしまった。生家で暮らす異母妹の「お糸」に将来は「人を診る医者になったほうがいい」と勧められた松吉だが、医家に師事する銭が無いので諦めてしまっている。そこへ金持ちの大庄屋の鈴木尚左衛門が金を出すし、医者に紹介状も書くと言ってきた。その代わりに江戸に留学する孫の寅太郎のお目付け役をやって欲しいというのだ。寅太郎は松吉と同い歳で、寺小屋では机を並べて手習いを教わった幼馴染みである。この依頼を受けた松吉は、文久三年(1863年)三月六日、寅太郎とともに江戸に向かう。だが、流行の尊王攘夷思想にかぶれていた寅太郎は、同郷の清河八郎が組織した攘夷の軍である浪士隊に合流するため京に行くと言い出す。話を聞いた松吉は途方にくれ、江戸に行かないなら騙すことになるので家に戻って金を返すと寅太郎に告げる。秘事を知った松吉を帰すわけにはいかないと寅太郎は脅したり愛嬌を振り撒いたりし、とにかく京まで同行して戻れば騙したことにならないと説得してしまう。新潟の旅籠で寅太郎の同門の春山平六と合流したあと、松吉たちは旅の途中で乞食のごとく落ちぶれた浪人・苺田幸左衛門と道連れになる。苺田氏も浪士隊に参加すべく江戸から京に向かっているという。だが、動乱の中心地・京に到着してみると、浪士隊は尊王派と将軍守護派に分裂、尊王派の清河は仲間を引き連れ江戸へ向かっており、京に残された芹沢鴨と近藤勇は新たに「新撰組」を組織していた。京へ到着すると同時に目的を失ってしまった寅太郎、平六、苺田の三人。平六は初志の通り清河八郎の攘夷軍に加わりたいと言うが、江戸出発前に貴顕に拝謁したいと長州の京都藩邸に赴く。長州藩の伊藤氏に招かれた平六の付き添いで、寅太郎と松吉も池田屋の宴席に同席する。三人は全国から集まった勤王志士に紹介される。菅沼亘という志士の伝手で公卿に会えることになった三人が宿に戻ると、苺田氏は新撰組に入隊することになったと報告して壬生の屯所(とんしょ)へ去っていった。一方、貴顕との謁見を望んでいたはずの平六は今回は諦めると言い、翌朝、禁裏を拝むと江戸に向けて出発した。同志と別れた形の寅太郎は、親と付き合いのある伏見の材木商・井桁屋(いげたや)に実家からの送金を受け取りに行く。寅太郎の付き添いで主人の茂右衛門と会った松吉は、井桁屋の紹介で医家の書生になることが決まる。次の日、松吉はまたしても寅太郎の付き添いで、黒小路卿という公家に謁見する。その後、吉田蓮牛(れんぎゅう)という医者の書生になった松吉は、宗妙院という寺の敷地内にある吉田家に住み込んで働く。一方、一人になった寅太郎は洛北の久我重九郎の道場に入門し、道場にほど近い大徳寺のそばの農家に下宿することになった。ところが、攘夷思想で公卿や勤王志士と交流する寅太郎は、漢方だけでなく蘭方(らんぽう)の心得もある蓮牛先生を非難する。そんな寅太郎を受け流して、松吉は医者の勉強をしていたのだが、ある夜、偶然目撃した刀の窃盗事件をきっかけに暗殺事件の陰謀に巻き込まれ……。新撰組、長州、薩摩、土佐、公家、攘夷派と開国派が入り乱れて大騒動。物語後半には時空まで歪んで幕末と現代が二重写しになり、松吉たちの騒動にも拍車がかかる。歴史ファンタジー。
※本作は2000年9月から2001年5月まで読売新聞夕刊に連載されたあと、2001年10月単行本刊行。
※タイトルの冒頭に「坊ちゃん」と付いているのは、夏目漱石の「坊っちゃん」に由来する。
鰯油(いわしゆ)の行灯(あんどん)に火をいれて
しゅっと音がしたから、擦り付木(すりつけぎ)を使ったんだろう。点った提灯
魚油のやつに較べるとだいぶ明るい。
中食:ちゅうじき