元夫,セルゲイとの結婚当時,書類関係で国際結婚の壁にぶちあたり
しかし生活をしているうちに国際結婚だということは忘れ
日本に帰国してから,国際結婚だったのだと思い出し,
セルゲイへの申し訳なさと,セルゲイの家族への罪悪感が常に,常に気持ちの根底にあり,
「ロシア人女性と結婚したほうが君も家族も幸せだったんだと思う」
って,私,ある日言っちゃったんです。それはもう軍事侵攻も開始していて,
常に戦争の話になってしまい,意見が180度違い,偏った歴史,日露戦争の話にまで遡ったり,WW2の話にもなり,,
もう家のなかで生きた心地がなかった。
その時セルゲイは初めて,泣いた。僕は君を愛しているのになんでそんなことを言うんだ。って。
それからものすごく私を怒っていて,というか軍事侵攻以降,プーチン否定するたびにメス犬と呼ばれていたし
友人が犠牲になったし,赤紙渡されそうで逃げ回ってる状況だったし,で
もう愛しているとか好きとか嫌いとかそういう,具体策としては結局何もなさない感情は,なかったのかもしれない。
何か話すと戦争の話になるし惨く悲しい,何も生まない,学んできたものがまるで違う,歴史って何が正しいんだ,
とりとめのない喧嘩になるので意図的にお互い何も話さなくなった。
そこから。ある日元夫セルゲイは
2024年5月14日の朝だった。「カーナ,君を愛している。僕のロシア,祖国を守らなくてはどうにもならない」
と言い
私はもう,思考停止状態。返す言葉もなく,何も口から出てこなかった。私は出張のため空港へ行った。
その間に,彼は私の父に見送られながらロシアへ帰った。
道中,「止められなかった」という背徳感が押し寄せて,もうズタボロの気持ちでいた。
セルゲイは,ロシアへ帰国→ワグネル戦闘員になる→プリプリ死亡でロシア一時帰国→3月からアフリカへ8か月契約
で。今9月なので残り数か月で彼はロシアへ帰還する,予定。
今の私は,
日本人と再婚した。セルゲイが帰国してしまってから,ああ子育てと家事と仕事とどうやって一人で
やりくりするのだろう,と放心状態になっていたときに今の夫が夫になった。彼には感謝している。
今の夫に感謝していない日はない。
じゃあ,なぜ。ロシアに行きたい生徒がいたら応援するのかって。
留学したいという気持ちを止める権限は私にはない。私は本人でも親でもないのです。
留学したい,と私に伝えてきてくれる人がいたら,ロシアにいた者として,今どう思っているかはきちんと伝えた上で,
それでも彼らが行きたい,先生お願いしますと伝えてくるのだったら,それを叶えるよう力になってあげようと思っている。
セルゲイのママが,私の生徒たちを孫のようにかわいいと思っていてくれている。会いに行くし,会いに来てほしいらしい。
私は彼女の連絡先を生徒たちに教えていて,いつでも連絡が取れるようになっている。
今ロシアに行かせるのはどうなのっていう意見が上がっているのも知っているし
私が叩かれているであろうと,まあ容易に想像できる。匿名だとか,私の知らないところで何を言われようが,私にはそれ
関係ないのです。
無力な私が,力になることで,志す子たちの助けになるのであれば,どう見られても,何を言われても
結局のところ,その子がよければそれでいいと思っている。バレエって,やるもの。批判したり,
外野にいて,なにかいうものでもないから。
でもね
ロシアに行きたいか,住みたいか,と聞かれたら,私自身は。
その答えには「考えることを放棄している,乖離しています」というのが本音かな。
この戦争によって,
というか2014年からだけども。
友達をたくさん失った。でも,もっと強くなった絆の友達もいることがわかった。
これを同志というのだろう,ああこれもスターリンの言葉か。親ロ派とか言われてしまうのだろうか。
こないだ本屋で子供向け絵本の,戦争の本を立ち読みした。
泣けた。
戦争,戦争ってなんだ。人を殺して,敵を殺して,領土を拡大して,それが勝ちなんですか。いいえ,それは負け
この辛くて,悲しい戦争も,もう長い。