友人,知人。彼をなんと呼ぶべきだろうか。
この雑記帳を前から見てくれている方はご存じのとおり,私はバレエバレエした人間とはつるまない。
バレエの大学に通いながらバレエ団に通いながら月曜日は休みなので劇場ちかくの国立大学の経済,法律学部の英語科に通っていた。そこで知り合ったというか同じクラスになったジーマである,彼は兵役を終えている
彼がどこの課で徴兵中過ごしたかまでは聞いていない,日本的には彼のことを私は友人と呼んでもいいであろう。彼が誕生日に自分の家でホームパーティーを開いたので,みんなで行った。それ以外に彼との思い出は何もないのだが。
それでも彼のことは覚えているし,そんな彼に赤紙が渡され,徴兵されてしまったというのは,なんとも。
ロシアは平和だったのだ。そのロシアはもうなくて。
いつもそう。この投票ごっこも,いつものことだ。
みんながみんな逃げられるわけではない。大半はパスポートさえ持っていない。
私には親友がいる。私には友人は少ないだろう,だけど親友がいるのです。彼もジーマといいます。
愛称です。本名ドミトリー。でもジーマ,たまにドミちゃん,たまにジームカって呼んでいた。
ジーマもパスポート持っていない。持っていなくても逃げられるカザフスタンなどはあるだろう,しかし逃げられたとして一か月だし,国境のところで赤紙渡されてしまう可能性がある。だから彼は動かない。
彼に対して何かしらの恋愛感情を抱いたことは本当に,まじで一度もありません。結婚式にも呼んだしなんなら娘の洗礼父です。
そうじゃなくて,本当にジーマが連れていかれることは無理。
ジーマが連れていかれるのだけは勘弁。もうここのところはずっとジーマのことばかり考えている。
木許さんが,あとになって気が付くことがある,それは解ではなく謎だと仰っている。そうなのかもしれない。
この状況になって,私にとってジーマが謎めくほど大切な友人だったのかもしれない。と気づく。
夫といえよう人は私の金で9月上旬にロシアに帰りました。彼は兵役経験がないし,まあ
プーチン賛美しているので,,もう話すことはなにもありません。
5月に私は元恋人なくした。戦死だった。志願してしまった。田舎なので,国営放送を信じていた彼は。私よりも若いのに。
あんなおじいちゃんおばあちゃんしか見なくてもいいようなものを,,なぜ見ていたのか,でも彼はきっとそんなロシアの中で幸せに生きていたのだろう,
これ以上だれも失いたくありません。
できることなら今すぐにでもロシアに行って,友人たちに一目会いたい。