通院先での探りとTの呼吸 | Tへ

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ブラックタイガーに濯ぐ .◦☆* 。*◦*~♪

2日連続で病院だった。

一昨日は喧嘩してTは1人で病院へ行くと言う。

でも私は絶対についていく。

Tが嫌なら行かないけれど

そんなはずはないと思う。

昨年

彼を1人で病院へ行かせた日に

彼はガンの再々発で帰宅できなくなった。

あの日、連絡を受けて慌てて病院へ駆けつけた。

その時のトラウマが今も記憶に鮮明に残っている。

だから私は彼の通院へは必ず付き添うことに決めた。

一昨日は大きな病院で2ヵ所の科の受診だった。

急患があり待ち時間も相当だったけど

多くの患者さんが行き交う院内で

通りすがりの人それぞれの人生を空想しながら過ごしていた。

本当は編みかけのスマホケースを編みたいけど

PCのやりすぎで

首と肩を壊して痛むから出来ない。

静まりかえった広い待合室でTに小声で話しかける。

おしゃべりな私は極力、会話を控えるようにしているものの

つい話したくて次々と話題が浮かぶ。

彼は空気の音でうなずいてくれる。

彼の口の動きで言葉を読み取ろうとするものの至難の業だった。

簡単な単語ならわかるけど

長い言葉は解らなくなる。

だから筆談が主だった。

中待合室へ移り待機していると

向こうの方で電気式喉頭で奥様と会話されている男性がいた。

ボリュームが大きくてハッキリと言葉が聞える。

Tに目配せして伝えた。


「上手だね。」


電気式喉頭もジャストな位置にしっかりとあてないと

雑音で言葉がかき消されてしまう。

首か顎にあてるかは人それぞれで

口の動きで機械音が言葉に変わる。

本人の声ではないから

それを使って電話したら不審がられて

切られてしまったという人もいた。

本当は肉声で話したい気持は彼も私も変わらない。


彼は月に

いくつもの通院や検査がある。

全て私は付き添って診察室まで付いていく。

そこで最近、思う事がある。

何名かの医師や看護師さんが

彼が診察室に入ると笑っている。

けして不愉快ではないけれど

楽しそうに笑っている。

しかも看護師さんによっては必要以上に親切にしてくれる。

そう言えば彼が昨年

入院して手術前に病室を訪れた時も

看護師さんたちと友達のように

タメ口をきいて親しそうだった。

そんな様子を見てきて私は確信している。

彼が動画の配信者である事がバレているのではないか。

先週も診察室に入り問診するまえから


「調子よさそうですね。」


とか以前にも


「大夫いい物食べられているようですから。」


とか

話してもいないのに知っているかのように主治医に言われた。

動画の中で彼は、ひょうきんな人でもある。

だからもし

あれだけ広い病院で

ひとりでも彼の動画に気付いたら

噂はたちまち広まりそう。

一時

食べられずに動画をアップできなくて

ブランクのあった時期もあるのに

何故か登録者が増えていったから。

Tは気にしていない様子だけど

診察室に入るときに

いつも私は、探りを入れてしまう。


今夜は寝ると言って起きてきたT。

お腹が空いたというので

本当に食べるのか確認した。

夢遊病ではないけれど

料理を作ったら本人は眠っていたことがあるから。

料理中も起きているか彼の様子を伺う。

冷蔵庫に残っていた彩華ラーメンを茹でて

玉ねぎとゆで玉子をトッピングした。

買物に行っていないので肉は無かった。

いつも自室で食べるのに

珍しくキッチンで食べると言う。

ハッピーもそこにいるから同じ空間で過ごしたいのかな。

洗い物をしていたら

突然、彼の箸の動きが止まって怪訝な表情をしている。

黙ってみていたら

立ち上がってトイレに立った。

飲み込めずに逆流したのかな。

出ていったTをハッピーが気にしているので

かまっていたら

しばらくして寂しげな表情で彼が戻ってきた。

もう食べられないかなと思って様子を伺っていたら

再び椅子に座って食べ出したから安心した。

昨年、手術をして声帯を全て摘出し永久気管孔になってから

今までに無い曇った表情を彼の中に見る事が多くなった。

声を発せない苦しみやストレスは想像を絶するほど深い。

しかも喉に開けた僅か直径13ミリ弱の穴だけが

唯一の呼吸器官だけに少し歩いただけでゼイゼイする。

冬場は乾燥して気管孔の痰が固まり呼吸を妨げるのは毎日だった。

そんな様子を見てきたから

彼の気管孔の呼吸音を、いつしか常に気にかけるようになっていた。

鼻からも口からも息をしていない感覚を想像する。

空気を喉から取り入れる。

不思議だけど大変な事だと思う。

退院当初は何度も救急搬送されたけど

今では吸引をしないで過ごす日もある野性的なTだった。

そんな彼の生き方を見て人間の適応能力の凄さを

改めて感じさせられている。