安倍晋三とヒトラー | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に向けて、秒読み段階となった日本。「平和の党」を自認してきた公明党は、政権側から政教分離を定めた憲法と活動実態との整合性をつかれ腰砕け。

それどころか、自民党側が提示したとされていた自衛権行使の「新3要件案」が、じつは公明の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせたものだったことが西日本新聞のスクープ報道で暴露され、出来レースであることを露呈した。

  野党各党もバラバラで、安倍の暴走を遅らせることすらできない。主権者たる国民はそっちのけで、戦後から「新たな戦前」へと突き進むスピードが増すばかりだ。

  経済を立て直し、美しい国をつくるなどと聞こえのいいことを叫びながら、其の実戦争への道をひた走る安倍晋三の手法は、かつてナチスドイツを率いたヒトラーのそれと同じである。


憲法前文が示す“戦争は政府が起こすもの”


 お仕着せであろうとなかろうと、戦後の日本に平和をもたらしたのが「日本国憲法」であることに議論の余地はない。とりわけ恒久平和を誓った「前文」と、戦争放棄を定めた「9条」が、重要な役割を果たしてきたことを肝に銘じるべきだろう。


 安倍がやろうとしているのは、事実上の憲法改正。多くの国民の努力と汗で積み上げられた平和や国家への信頼が、一人の政治家によって根底から覆されようとしているのである。


 安倍の思惑次第で武力行使の範囲が拡大していくことは、自民党と公明党の協議過程をみれば歴然。どれだけ「限定的」などという言葉のまやかしを並べても、集団的自衛権を行使することに変わりはない。武力行使はさらなる反撃を招き、本格的な戦争へと拡大していくものだ。しかし、政府の判断だけで国民を戦争に引きずり込むことは許されない。日本国憲法の「前文」には、こう謳ってあるからだ。


 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


 憲法前文にある、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し』との一文は、戦争を起こすのが政府であることを明示し、これを否定したものだ。だが、安倍政権による解釈改憲と集団的自衛権の行使容認は、この憲法前文が否定したはずの「政府による戦争」が、現実になることを意味している。主権者たる国民が無視されている現状も、憲法前文の精神とは相容れないものだ。


ナチスドイツとその時代の再来
 

  国家間で戦争が起きる場合、最終決断を下すのは一人の為政者だ。本当に自衛が目的なら、責められることはない。しかし、狂った人間が国民の支持を得、欲望のおもむくままに戦争を志向した場合、悲惨な結果を招くことは歴史が証明している。ここで想起されるのは、ナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーである。


 ドイツは、第一次世界大戦で敗戦国となったあと、ヴェルサイユ条約によって巨額な国家賠償金を課せられた。疲弊したドイツで台頭したのは極右政党のナチス。政権をとったヒトラーとナチスは、公共事業による国内経済の立て直しを図る一方で、ワイマール憲法を歪め、ヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備を実現する。この後のヒトラーとドイツの歩みは、誰もが知るところだろう。ドイツ、イタリアと「日・独・伊三国同盟」を結んだ日本も、泥沼の戦争に突入し、国民に塗炭の苦しみを与えるに至る。


 安倍晋三と自民党のここ1年の動きは、第二次世界大戦までのヒトラーとナチスに酷似している。右寄り姿勢を強めた自民党の政権復帰は、ナチスの政権奪取過程と同じ。ともに偏狭なナショナリズムに支えられたものだ。国土強靭化と称した公共事業を軸とするアベノミクスによる見せかけの経済再生も、ヒトラーががやったドイツ再生策と基本的には同じ。

かつての治安維持法に比類する特定秘密保護法の制定は、ナチスを象徴する秘密警察ゲシュタポの時代の再来だ。そして解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は、ヒトラーがやった事実上の憲法改正と、ドイツ再軍備にあたるだろう。昨年、麻生太郎副総理が憲法改正問題にからみ「ナチスに学んだらどうか」と発言し、世界中の顰蹙を買ったが、安倍は言われるまでもなくヒトラーの手法を踏襲しているのだ。


 HUNTERには読者から様々なメールが送られてくる。その中には時代を風刺した画像もある。最近増えたのが安倍をヒトラーに模した画像で、下はその中のひとつ。笑う安倍ヒトラー、戦闘機、きのこ雲――日本の未来を予見した1枚と言えそうだ。

安倍.jpg



「「HUNTER」より転載



おおっ、この写真雰囲気出してるなぁ。
こんな悪夢の時代を呼び込まないために、安倍政権の支持率を低下させる取り組みを全国津々浦々で展開しないといけないだろう。
解散総選挙を実現できるような政治状況をどうすれば作り出せるのか。
安倍内閣を政権の座から引きずり下ろす方策は何だろう。