新しい出会い | KANNA MAGAZINE.COM

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お父ちゃん、お母ちゃん、三兄弟の家族の日々。
2015年9月生まれの優は、常位胎盤早期剥離のため新生児仮死で生まれてきました。脳に大きなダメージを負ってしまい不自由な体になってしまいましたが、毎日頑張る優を家族みんなで大切に育てています。

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iPhone触ってたら、いつぞや旦那さんから送られてきてた、こんな可愛い写真見つけた!
なんかまるで優がちゃんとハイポーズ!してるみたい♡
たしか、私が夏に夜遊びした日の夜、寝る前の子供たちの写真だったと思います♡
 
さて、主治医の先生が亡くなったショックから全然立ち直れず、しばらく泣いてばかりでした。
病院に行ってもつらくて、とにかく看護士さんに話を聞いてもらわないと、と思い、自分の気持ち、色んな質問、そして、これからのお願い事、わんわん泣きながら聞いてもらって・・・。色々話してくれました。
先生は、優のことを見てくれながらも、自分自身、抗がん剤も放射線治療もしていたこと。そして、自分は医者であり、患者さんを診る立場であって、心配される立場ではないと言い、決して患者には誰一人として病気のことは伝えてなかったこと。優のことも、とにかく最後まで気にかけていてくれたこと。色々いろいろ。だけどもう、先生冗談じゃないよ。言ってよ!心配させてよ!先生のこと、一緒に心配して応援したかったよ、私は。交通事故で失ってしまったようなものです。ある日突然。前触れもなく。何の心の準備もなく。看護士さんは言ってました。「私は6年間の闘病を見ていたから、6年かけたから受け入れられているのかも」って。そうですよ。1カ月やそこらで受け入れられません。
次の検診の時も、ママ落ち着いた?って聞かれて、落ち着かないよ~そんなの言わないで~~とぼろぼろ涙。
リハビリ先の理学療法士の先生にも報告しながら泣く。リハビリ先の小児科の先生の前でも、泣く。
どうにも心の整理がつかず、色んな闘病記、がんについての本、様々な闘病blog、色々読んで、ようやく最近落ち着いてきました。
がんという病気への理解、本人の気持ち、家族の気持ち、終末医療、緩和ケア、ホスピスのこと。知ることで、落ち着いてきました。
落ち着いたけど、毎日毎日、先生のこと考えてます。
今まで、先生がいたから金沢の病院に通い、入院もしていたけど、先生がいなくなってしまったので、神経の診察と発達は月一今まで通り通うけど(今見てくれてる先生とも良い関係を築けているので)、風邪などの入院となると、地元の病院にかかろうと決めました。
今までも、再三、地元の病院とつながっておきなさいと、リハビリ先の小児科の先生に言われてたんだけど、はーいと言いながら、どんな時も大好きな主治医の先生に診てもらいたくてなかなか足を運べませんでした。でももう入院は遠くは嫌です。先生いないし。
だから、ようやく紹介状書いてもらって、地元の総合病院、行ってきました!
結果、良かった!みな、良い先生でした。先週、部長である先生に診てもらい、1時間も喋ってしまいました。あれやこれや。優のこと、少し手足の動きもあるし、何か意思を感じる、と褒めてもらいました。お口から頑張って食べてることも、偉いね、と褒めて貰えて、私は有頂天。
いつでも診てくれるということで、ちょっと難しい子リストに名前も入れておくから、って言ってもらえ、心強いです。
 
で、今日もまた、他の先生にも診てもらっておこうということで、別の先生の診察に行ってきました。
うー、久々書くからまとまらない。
続きはまた次回☆