悲しくて、悲しくて・・・ | KANNA MAGAZINE.COM

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お父ちゃん、お母ちゃん、三兄弟の家族の日々。
2015年9月生まれの優は、常位胎盤早期剥離のため新生児仮死で生まれてきました。脳に大きなダメージを負ってしまい不自由な体になってしまいましたが、毎日頑張る優を家族みんなで大切に育てています。

3日前より、泣き続けています。つらくて涙が止まりません。

優の、主治医の先生が、亡くなられました。

本当に大好きだったんです。このブログでも再三、大好きなんだと言っていたと思うのだけど、本当に大好きで。旦那さんがやきもち焼くくらい、おうちでも先生の話ばっかりで、「恋人か!」って言われるくらい。

女医さんなんだけど、ボーイッシュでさばさばしていて、それでいてとっても優しくて心をほぐしてくれるような笑顔の先生で。初めて会った時から大好きでした。

NICUにいた時からずっと見てくれていたから、優のすべてを知ってくれているし、細かい症状や優の体調も、全部全部理解してくれていて、何かあった時のためにと自分の電話番号を教えてくれて、先生とメール交換もしていました。

今日まで笑顔で優のことを育ててこられたのも、先生がいてくれたおかげ。

病院までの道のりは遠いけど、それでも毎回先生に会えるのが楽しみで、先生にこれを報告しよう、あれを話そう、この写真を見せよう。そんなことばかりいつも考えていました。

いつも優しい笑顔でわたしの話を聞いてくれて、優のこともいつも可愛がってくれて、私だけじゃなく、優も先生のことが大好きで、あまり体調が良くない時でも先生の顔を見れば笑顔になっていました。

大きな病院だし、転勤もあるかと心配で、そんな話もしていたら、先生はもう転勤もなく、特に出世欲もなく、とにかく臨床医としていることが好きだったので、「優ちゃんのことをずっとこうやって見ていたい」と言ってくれたばかりで、安心していたのに。

6月に会ったのが最後でした。その次の7月の受診日は体調不良だということで先生不在で、たまたま体の調子崩しただけだと思っていたのに・・・次の受診でも居なくて。

看護士さんに詰め寄りました。大丈夫??先生大丈夫なん?!って、もう、その時点で不安でぼろぼろ泣いてしまってわたし・・・。

看護士さんたちは、「大丈夫よー」って言ってくれてたから信じていたのに。

3カ月したら元気に戻ってくるって信じて、そしたらその時は、先生にぎゅーってハグしよう!って、その日が夢に出てくるくらいに待ちわびてて・・・。

先生不在の病院通いはほんとに退屈で、とにかく先生の復帰を待ちわびていました。

大きな後悔は、優の2歳の誕生日に先生にありがとうメールを送らなかったこと。体調悪いのに、メールばかりも迷惑かな、もうちょっと経ったらメールしてみようかな、と、なぜだかためらっているうちに・・・・。なんであの時すぐに連絡しなかったんだろう。優の誕生日は、先生へ感謝する日でもあるのに。

誕生日だけじゃない、色々伝えたい感謝が山のようにありました。

先生が復帰して来たら言おうと思っていたことも、報告しようと思っていたことも、全部全部言えなかった。

先生大好き、っていうのも。

先生と優のツーショット写真も一枚もない。一枚も撮ってない。なんで写真、撮らなかったんだろう。

先生も読書が好きだったので、私が読んで面白かった本を先生に貸してあげるのが楽しみでした。

「すごい面白かった!」って一気読みしてくれたものも。先生が戻ってきたら次に渡す本も決めていたのに。

こんなことになるってわかっていたら、迷惑なんて顧みずに会いに行ってたのに。伝えたいことだらけ。心残りだらけ。先生、なんで優と私を置いていくん?!これから優と私、どうしたらいいん?途方にくれる。

 

闘病は6年間だそうです。先生が何か病気を患ったのだろうというのは気づいていました。でも、いつも元気そうだったし、そんな「私今体調悪いから」とかいう先生ではありません。自分の体より、まず子供たち、という先生でした。私、何も気づいてなかった。なにも知らなかった、分からなかった。だから何も先生に恩返しできなかった。それなのに、先生は最後まで優やほかの子たちを心配して・・・。

いつも同時に診てもらっていた脳神経の先生も、お通夜に来られてました。私の手を握って、一緒に泣いて、慰めてくれました。最後、8月末に、「優ちゃんのことも、頼みますねってお願いされたの。お願いされたから、ちゃんと診るからね」って、強く強く手を握ってくれました。

もちろん、復帰するつもりでの休養でした。まわりの家族も、病院のチームの人たちも、みな、そう信じていたみたい。あまりに急であまりに早くて。

42歳です。あり得ません。早すぎる。

お葬式に参列して、なんで私が先生のことが大好きなのかよくわかった。先生の人柄がよく分かった。

本当にすばらしい人でした。ドクターなのに偉そうにすることも全くなく、いつも患者に寄り添ってくれて、どんな質問にも丁寧に答えてくれて、診察の日、ちょっと早めに行って休憩室で優にご飯を食べさせてあげてたらいつもわざわざ休憩室に会いに来てくれたり、入院してても、一度帰宅した後でももう一度様子見に来てくれたり。

誰からも愛されていて、素敵な家族に囲まれていて。なんでそんな先生が、こんなに早く亡くならなくてはいけないの。

旦那さんもとても素敵な人でした。ご家族が一番つらいと思います。私の悲しみなんて比べものにならないくらい。

でも、わたしも悲しいんです。息も止まりそうに悲しい。三日前から食欲もなく、寝れなくて、呼吸が苦しくて、涙ばかり出る。

突然、大切な人を失う経験は初めてです。おじいちゃんやおばあちゃんは見送ってきました。だけど、みんな長生きでした。

人生半ばの人を失うのは、全然違う。辛すぎる。立ち直れそうにありません。こころにぽっかり穴が開いてしまった。きっと、先生の患者さんで、やはり優のように重い障害を抱えた子の親は、みな、同じ気持ちだと思います。それだけ、みんな、先生に信頼を寄せて、頼り切ってたんです。電話がかかってきたママも言ってました。先生がいたからあの病院に行ってたのに、これからどうしよう・・・って。

 

私がしっかりしないといけないのは、わかってます。優を守れるのは親だけだから。前を向かなきゃいけないのは分かってる。

先生をちゃんと見送りたい。ちゃんとお別れしないと前に進めない。そう思って最後のお別れにも参加したのだけど。全然進めない。日に日に悲しみが深くなってくる。

先生のことを頼りすぎてしまった。先生のことを好きすぎたんです。困ったなぁ。ほんとに困ったな。

 

今すぐ先生にもう一度会いたい。

立ち直るにはまだまだ時間がかかりそう。

 

追記

ちなにみ、看護士さんが知られてくれました。唯一、それが私の救いです。もし、知らせてくれなかったら、後悔はもっともっと大きかったと思います。特に気にかけてもらっていた患者さんに伝えてくれたそうです。感謝しかありません。ただ、毎日その電話を、悪夢のように思い出しては息が止まりそうに辛くなります。未だに受け入れたくありません。でも、看護士さんには感謝しています。