韓国語カキクケコ -14ページ目

30.鈴木姓はキムファミリーでしょ!

30.鈴木姓はキムファミリーでしょ!

私の友人にまり子さんという人がいます。
ニューヨークも30年ほどになるそうですが、
ご主人を大事にしながらも冬ソナを愛し、ヨン様を
愛し、今は東方神起のユンホを深く想い、韓流の
水面を優雅に楽しんでいる人です。
この人が私の韓流の裏にある本心をさっさと
見抜き、面白い餌をポーン、ポーンと投げて
くれるのですが、この項では彼女自身が好餌と
なってくれました。

彼女のご実家は九州の福岡県大川市でお隣の佐賀県
とは
隣接
する土地柄ですが、佐賀県と言えばかっての
鍋島藩です。
そして鍋島藩といえば秀吉の朝鮮征伐
では先頭を走り、
郷土への
土産に朝鮮の腕の良い陶工
を無理やり連れて帰り、彼らの
作る焼き物
を伊万里港
から出荷し、港の名前から付けられた
伊万里焼を有名
にした藩です。
それで、
まりこさんの母方の苗字が、鐘ヶ江、と
おっしゃり、
この鐘の字に私が食い付いたという
ことなのです。

金井、金子、金田、金原, 金沢など、金の付く苗字は
朝鮮系
日本人の名前と言われていますが、私は金の字
だけに遠慮せず、
金偏すべてが朝鮮半島から日本列島
移住した人々が苗字を
選ぶときの対象にした字と
考えています。

白川静先生の「字通」の辞書には、金偏の漢字が
174文字
載って
いて、早い話、今まで一度も見たことの
ない漢字の
方が多い
のですが、針、釘、釧、釣、鋼、
鉱、鉄、鈴、銀、
錬、鎌、
鏡、鉢、鐘、釜、など
日本人の苗字に使われている
金偏の字が
たくさん
あります。そしてここに、まりこさんの
ご先祖の
鐘の
字も入っているのです。

その辺りの私の興味を話しました時のまりこさんの
話がまた
驚嘆もので、そうなの、うちの先祖は今から
400年ちょっと前
位に秀吉に連れてこられた陶工の
親方だったらしいの、
と言うのです。
秀吉の朝鮮攻めが1590年代ですから、今から約420年前
です。
そして無理やり連れてこられて半島に帰ること
もなく、
そのまま
列島の住人となった陶工の子孫が
いまニューヨークに
住み、まさに
血が血を呼ぶような
恋情で韓流の帆を高く
挙げて
いるのです。

今年のお正月の韓国テレビのニュースでも 各地の
お正月を紹介する中で佐賀県の窯元を訪れて
いました
が、
そこの家にも
秀吉に無理やり連れてこられた
先祖の銅像が裏庭に
あり、
胸高に紐を一本結んだ韓服に
山高の烏帽子を付けた銅像は、
ふるさと朝鮮の方角を
じっとみつめる姿で立っていました。

秀吉に無理やり連れてこられたこれらの人々の子孫は
とっくの
昔に日本人
となっていますし、それよりもっと
前の
今から約1400年前の歴史に
残る百済滅亡の時には、
実際の数字は
分かりませんが、それでも
百済の人口の
三分の一が日本に
逃げて来たという話です。

逃げて来た人たちが、逃げて来ただけで終わるはずは
なく、
当然
日本列島のあちこちに集落を作り、朝鮮半島
での
暮らしをそのまま
持ち込んでの暮らしを続け、
そして現代の
日本人の先祖となって行ったのです。
そして苗字を持つことになれば、自分に縁のある漢字を
探す
でしょう。 そういう時に金偏を思い付くのです。



「字通」の鈴の字には、声符は令、令の象形は神官が
ひざまづいて
神意を聴く形とあり、鈴は神を呼び降ろし
また神を送る時に
用いる楽器であった、とあります。
鈴鐘は祭器で、旗や車馬の類に
鈴をつけることが多く、
その音を以って邪霊を払った、とも
ありますから、
鈴は厄除けのお守りです。

金偏の中でも特に鈴の字が名前に使われるのは、この
ような神事に係わる大切なものだったからでしょう。


































友人に、まりこさんという人がいます。
ニューヨークも
30年になるそうですが、ご主人を
大事にしながらも
冬ソナを愛し,ヨン様を愛し、
今は東方神起のユンホを
深く想い、韓流の水面の
舟遊びを優雅に楽しんでいる人です。
この人が私の韓流びいきの裏にある本心をさっさと
見抜き、
いろいろな餌をポーン、ポーンと投げて
くれるのですが、
この項では まりこさん自らが
好餌となってくれました。

29. ソ ジソブさんの「ソ」

29.ソ ジソブさんの「ソ」 

韓国に、ソ ジソブという俳優さんがいます。

二重まぶたの流行る中、整形無しの切れ長、一重まぶたの

正真正銘韓国顔の人です。そしてこの一重まぶたの目に

うっすらと涙をためて, スーッと視線を横に走らせる、

などという何とも色っぽい演技をしてくれるのです。

そして、このジソブさんの苗字のソを漢字で書きますと

「蘇」の字なのです。

日本で蘇の字と言えば蘇我氏です。蘇我氏は蘇我さんと

いうことですが、蘇と我の間に返り点を置いて漢文読み

にしますと、我は蘇なり、ですからジソブさんと同じ

苗字ということが分かります。

もちろん、この[蘇」姓の元祖は中国ですが、同じ姓が

中国大陸、朝鮮半島、日本列島に存在していることを

この格好いい韓国の俳優さんによって気が付きました。

但し、中国や韓国と違い、日本で蘇の字の苗字はあまり

見ないのですが、それは蘇我氏が歴史上で謀反人と

されているためでしょう。そのため蘇我氏の子孫や

氏族の集団で生活していた者たちは、蘇の字は使わず

他のソの字を充てて代々を繋いで来たはずです。

例えば、曽我、曽田、曽根さんなどの名の方はもしか

しますと歴史上の大物中の大物がご先祖だったかも

しれないのです。

私も日本の教科書で蘇我氏は悪者側と教わってきました

が、その昔百済あたりでジソブさんのご先祖と親戚関係に

あったのではなどと思うと、あとで藤原を名乗る

新羅系の謀略にやられたのかなどと、蘇我氏の肩を

持ちたくなるなど、想像の世界を遊んでいます。

こういうのも、ある種のオタク症候群なんだろうと

自分でも思ってはおります。

☆☆☆☆☆

蘇の字の意味は、よみがえる、と言われていますが、

私はこの字の象形はは穀物を中心とする食料の集荷場を

描いているのではないかと思います。

蘇の字を分解しますと、くさかんむり、さかな、


稲ですから、野菜、魚、穀物です。

即ち蘇我氏の生業は、食料の流通を一手に握り莫大な

利益を上げていた大商団だったというのが私の推測です。

08-14-2011

28.たらちねの母

28.たらちねの母


「たらちね」は母に掛かる枕詞で、どういう
母かということをきっぱりと言い切る言葉です。

それを誰が言い出したのか、権威ある広辞苑に
まで足乳根、垂乳根などとの当て字で、乳を垂らす
女、乳の足りた女、満ち足りた女の意などを言う
などと訳の分からない解釈が載っています。
乳を垂らす女なら、産後の母乳が出過ぎてその
ためいつも胸に布を当てて垂れてくる乳をぬぐう
女ということです。乳の垂れた女とは違います。
乳の足りた女というのは、自前の母乳だけで
赤ん坊のお腹がいっぱいになる女ということです。
満ち足りた女となりますと、何に満ち足りたのか
にも依りますが、その存在は殆ど奇跡に近いです。
つまり、上記にあげた三様の女が母の枕詞だと
いうのですが、賛同納得されますか。


また他では「垂れ乳ね」で子供を産み育てる母親の
イメージなどとも書かれていますが、垂れ、の
字がある以上、胸はもう弾力もないしツンツンと
上を向いてはいないということで、こんなことを
歌人が母の枕詞になど本当に使ったと思いますか。


母といっても老母だから、胸もしなびて垂れちゃって
それで垂れ乳、などという解釈も見たことがあります
が、垂れ乳があるなら、垂れ尻だって候補になります。
心寂しい旅の途中に想い出すのは胸の垂れた母、
お尻の垂れた母、ですか。冗談でしょう。


それで音を頼りに韓国語の辞書で追いかけました所、
これでしょう、というのが出てまいりました。


다라지다[タラジダ]:形容詞(よほどのことには
驚かないほど)粘り強い、どっしりしている、大胆だ。
他にも、たくましい、肝が据わっている、などの
例文もあります。


そうでしょう!垂れた胸などお呼びでなかったのです。
母親の性はタブーです。話題には出来ません。
それで「たらちねの母」とは、ちょっとやそっとの事
では驚かない、どっしりと肝が据わり粘り強い母、
のことだったのです。


☆☆☆☆☆


白川静という偉大な学者がいらっしゃいました。
数年前ご高齢で亡くなりましたが、残された業績、
功績はとても人間業とは思えない、神掛かった仕事
振りのものです。


そしてこの先生が梅原猛さんとの対談の中で、
「日本語は百済人が作ったものであろう」と仰ったのです。
白川先生の象形文字の世界を勉強していましたが、この
一言が私を一気に日本の古代史に目をむけさせました。


還暦を過ぎて、やっと今、頭の中が楽しくなって来た
ところです。

27.トラ トラ トラ

27.トラ トラ トラ


トラ トラ トラはご存知、真珠湾奇襲作戦の際の
暗号ですが、但し、攻めるぞ、ではなく、奇襲に
成功したからこれから帰る、の意味に使われています。


トラと言えば虎をイメージするのが日本人ですから、
この虎を3回も繰り返せば、いかにもこれから勇猛に
戦いに挑むぞという姿勢がミエミエで、奇襲の暗号

には使いかねます。
それで奇襲の暗号には[新高山のぼれ一二〇八」と

台湾の山の名前を使い、一二〇八はもろに12月8日を

指しています。


それではこの、帰ります、に使われたトラは何だと
いうことで、これは私は韓国語の、回る、から来た
言葉だと判断しました。


      돌다 [トールダ]: 回る、回転する。


もちろん、このトールダの基本形だけでは説得力に
かけますので、これなら分かります、という例を

出しますと、1980年代に流行った「トラワヨ 釜山港へ」

という歌があります。


このトラワヨが韓国語であることは皆さんご存知でしょう。


돌아 와요 [トラ ワヨ]
帰って来てください、戻って来てください。


日本の朝鮮統治も30年経ち、軍部が敵国に暗号解読

されぬよう、韓国語の、帰って、に当たる言葉を、

これから帰る、の暗号に使ったとしても不思議はありません。


☆☆☆☆☆


実はこのトラが動物の虎ではなく韓国語の、トラ-帰って、
ではないかと思ったのはもう随分と前だったのですが、
何といっても日本軍にとっては太平洋戦争の唯一花とも
言える戦勝の暗号ですから、言い切ることにはためらいが
ありました。


しかし、ソ ジソブさんの[ロードナンバーワン」の最終回
のシーンに、危険な地域に戻って行ったまま帰って来ない
上官を案じて、戦闘帽をかぶり機関銃を手にした橋の上の
兵士たちが暗闇に向かって、トラ、トラと押し殺した声で、
戻って来い、戻ってくれと呼ぶ姿を見ました時に、やはり

これだ、と確信した次第です。

尚、私はこのドラマは英語字幕で見ましたので、この
トラの訳には、come back、come backと出ていました。 


山本五十六元帥も、無事で戻って来い、との祈りを込めて
トラ トラ トラと繰り返したのでしょう。

軍人がそんなふうに思うかと言われるかもしれませんが、

こういうところに歴史に名前を残す男の心情が出るもの

なのです。


26. 痛い、痛い、チェ ドンハの死が痛い。

26. 痛い、痛い、チェ ドンハの死が痛い。


2007年1月5日に初めて sg wannabe のCDを聞いて

以来、この子達の歌しか聞かずに5年が経ちます。
韓国語もこの子達が何を歌っているのか知りたくて
始めたのでした。

それなのにその内の一人がこの5月27日にうつ病が

原因だとかであの世に旅立ってしまいました。

最後は周りの人が止めるほどのうつ病のクスリを

飲んでいたそうです。
それでこの項はたまたま私が絡んだうつ病のクスリに
ついて書きます。


☆☆☆☆☆


2007年の3月中端に東京の弟から、体調悪し、の

連絡が入り、大急ぎで実家に帰ったことがあります。


弟は定年退職の後、悠々自適の毎日を送っていた

のですが、何かの拍子に耳鳴りが始まり、ネットで調べた

ところ信濃町の慶応病院が一番いいということで診て

貰ったのですが、念のためこちらでも診て貰って下さいと

言われ、廻されたのが精神科で、そこで初期のうつ病と

診断されたのです。


理屈が多い割りに権威に弱い男の習性で、弟も慶応病院の
医者の処方を信じ、まじめにクスリを飲み続けたのですが,
耳鳴りは一向に止む気配もなく、そのうちに頭痛、めまい、
吐き気、食欲不振、不眠、倦怠感などの症状に見舞われ、
いよいよ不安になり、私へのSOSとなったのです。


私が着いて3日目に、今日は特にいけない、別に死にたい
わけではないが、いつどこで飛び込み、飛び降りても
おかしくない心境だ、と物騒な話となり、朝9時前に
タクシーに飛び乗り信濃町まで走りました。
そして待合室のベンチで待つこと2時間半。気分が悪い、
クスリが切れてきたみたいだと言って弟が男物バッグから
紙を取り出し、このクスリだ、と私にホイっと処方箋を
渡したのです。私が着いて直ぐに何のクスリを飲んでいるのか
聞きました時に、それはいいんだ、と話を無視したのを
思い出したのでしょう。


それで渡された紙に目を走らせましたところ、そこには

頭痛、めまい、吐き気、食欲不振、不眠、倦怠感なる

文字がズラッと並んでいたのです。

「あれっ、あんたの言っている症状、みんな副作用のところに
書いてあるわよ。」


瞬間、長身をくの字を縦に二つ繫げたような格好でベンチに
坐っていた弟の眼がギローリと光り、自分で改めて処方箋を
睨み、一言。「なんだか、馬鹿らしくなってきたな。」
これでうつ病の診断からは解放されました。


それなら耳鳴りは何が原因なの、ということですが、人間
60にも近くなれば、目だって歯だってヨレヨレ、ガタガタ
してくるではありませんか。耳も然りで、水の音、風の音
だけ聞いて暮らしているわけではあるまいし、東京の

ど真ん中で騒音の中で暮らしているのですから、耳の

鼓膜だって悲鳴くらいあげるでしょう。

老化現象でもあるでしょうし、男の更年期症状と呼んでも

いいでしょう。


それを定年退職後の無力感、脱力感に簡単に結びつけた

慶応病院の愚か者。問題は慶応病院の医者です。

そりゃ、クスリの副作用を確認しなかった患者が悪いと

言いたかったら言ってもいいですよ。でも、体調が悪く、
ただでさえ気が弱くなっているところに副作用への注意も
せずにクスリを処方しっ放しだった慶応病院の医者。


病名を診断し、クスリの処方をしたら、そのクスリで患者が
回復したかをきちんと確認しないで何が医者の仕事です。
自分の仕事が正確であったかを確認しないどころか、患者に
与えたクスリが、患者が死にたい願望まで引き起こす危険な
副作用を持つものであることを知らずにいた慶応病院の
精神科の医者の怠慢、傲慢、無知、無礼、幼稚、愚かさ、
勉強不足、無責任、脳足りん。

「無知もまた罪なり」と言いまして、知らなかった、知らな
かったの、は許されない倫理の罪なのです。


ということでチェ ドンハに戻りますが、彼もおそらく
副作用に混乱、混迷し、クスリのドツボに落ち込んだのでは
なかったのでしょうか。
私の若い友人で韓国通のかおるさんの話では、韓国では
家族や身内に精神病の人がいたりしてもそれを世間に隠して
専門の病院や医師を訪れないのだそうです。ドンハは
母一人、子一人の母子家庭だったそうで、人にも相談出来ず
ひとりで苦しい戦いをしていたのでしょう。これでもし
強気のお姉さんでもいてくれたら、なにか解決策を見つけた
はずと思います。
最後の方は周りから止められるほどクスリを飲んでいたそう
ですが、医師の処方であれば一定期間の一定量が決まって
いますから、ドンハはそれ以上を市販のクスリを飲んでいた
のでしょう。 


昨年の夏に去っていったパク ヨンハも同じだったのでは
ないでしょうか。

私の弟が自分を分析して、別に死にたい訳では無いが、

急に何をしでかすか分からない心境、と言った言葉に

ドンピシャに当てはまるのがドンハとヨンハです。
二人とも大勢のファンが待っている日本公演を控えて

いながらの突発的な行動でしたから。


私と弟は日頃それほど仲のよい姉弟ではありませんが、
それでも弟のうつは有り得ない位は分かる血のつながりは
あります。
そういう血の縁が慶応の権威を乗り超えた次第でした。


☆☆☆☆☆


グループ sg wannbe は、いま大流行のk-popのアイドル達とは
一線を隔す歌の上手いグループで、私は中でもキム ジーノに
シビレ、シビレて、彼の声をビタミン代わりに毎日の元気を
貰っていました。でももう、ドンハの声は哀れで聞けません。
もうこの子達の歌を楽しみに聞く、という楽しみは私からは
無くなってしまいました。



06-19-2011


25.オレのスケに手を出すな!

25.オレのスケに手を出すな!


今時こんなセリフを吐く人もいないでしょうが、

ちょっと前までの日本のヤクザ映画では必ず

誰かが偉そうに言い切ったもので、スケは一応、

女、を意味していました。
しかしこのスケなる言葉には同じ民族同士で

ありながら、人を人格を持たぬ奴隷や奴婢に

落とし差別した、朝鮮の歴史上の汚点が

意味されていたのです。


        수캐[スケ]:雄犬


スケは雌ではなく雄の犬の意味ですが、私の

読みました本に,スケは漢字で寿介と書き、この

寿介の字は李朝の奴婢の売買文書の中に有り、

[犬っころ」を意味する当て字とありました。

奴隷をそれ以下に貶めた呼び名です。

それでも犬っころと呼びますと、ころころと丸っこい

子犬のイメージがありますから、どこか救いが

有りそうですが、そこがまた韓国、韓国では犬を

スープにして食べるという習慣があり、家畜扱いです。

愛玩用ではありません。


  보신-탕[ポシン-タン]:補身湯。強壮の効力が

    ある肉のスープ。 しばしば犬肉のスープを   

    いう。犬鍋。


と言う訳で、「おれのスケ」とは、[私の雄犬」という

意味なので、日本人がいつ誰にこんな言葉を教えて

貰ったのかは分かりませんが、ここで私のブログを

読んで下さった方は、スケはヤクザの情婦ではなく

単なる雄の犬と知っていて下さい。
そしてこのスケはこれからは強い女性の決め文句に

使えそうです。


  わたしのスケ(オス犬)に手を出さないで!

24.ヨンさまの「しまった!」

24.  ヨンさまの「しまった!」


昨年、ぺ ヨンジュンさんの著書「韓国の美をたどる旅」が

出版され、私も直ぐに日本語と韓国語の両方を購入しました。

日本語の本は読む為ですが、韓国語の本は韓国語を始めた

者のコレクションといった感じで、持っているだけで満足して

いる次第です。
それでも日本語で読んでいて、これはヨンちゃんは韓国語で

どう言っているのだろう、と思った時などそちらの方を開いて

見るという楽しみがあり、そういう中、陶磁器を語る文章の中

にヨンさまの「しまった!」を見つけた次第です。
彼は「アッチャァ」と言っています。


아차[アッチャ]:あっ、しまった。(不注意や失敗に気づいて出す声) 

          

この言葉は私の父や叔父などの昔の東京の男がよく口にして

いた記憶がありますが、念のため、大正生まれの母に問い合わせ

ました所、「うん、言うね、あっちゃって言うよ。」との返事でした。

それでも、「へぇ、ヨンさまもそう言うの、へぇ~」と、このあたりは

もうひとつピントが合わない様子でした。


私の父は明治の生まれですから,時代的にどうにも抜き難い

中国人や朝鮮人に対しての差別意識を持っていましたが、

その父が, しまった、と言えばいいのに、アッチャァ、と韓国語と

知ってか知らずか口にしていたのです。

その辺の事情を聞きたいと思いますが、父にはもう連絡は

取れません。時間とは口惜しいものです。しかし、まだ母がいます。

それでまた電話をしましてなぜ、しまった、という日本語があるのに、

うちのそういう親父がアッチャァと言ったのかを聞きましたところ、

母が言うには、「これは芸人さんが流行らせた言葉だったね」と

いうことでした。

そう言われて見れば、カックンとかトッポイなども韓国語にありますし、

「何よ、それ」などと言うのを「なんじゃらそ」とふざけて言ったり

しましたが、これなども韓国語で、남자라서[ナmジャラソ]:男じゃ

ないか、と言う意味です。
ちなみに、キム ヒョンジュンというきれいな男の子が、ナンジャラソ、

ナンジャラソ、男じゃないか、男なんだから、という歌詞の歌を歌って

います。
なお、アッチャはアジャとも言われていたと思います。


  가끔[カックン]:時たま、時々、たまに。


  더뻑[トッポッ]: 前後を考えずにとっさに行動する様子。

          うっかり、つい、いきなり、無分別に。



☆☆☆☆☆ 



「韓国の美をたどる旅」は、読むというより、純度の高い魂を

見つめる、という思いで著者と向き合って話を聴いている、

そんな気持ちのする本です。
ヨンさまは日本の記者から受けた質問に触発され、自分を

応援してくれる人々へのお返しにこの本を書いたのだそうですが、

本当に読む人の気持ちを優しくさせてくれる内容ばかりです。

写真も懐かしい想いを呼び起こす伝統文化のものが多いのですが、

ちょっと息抜きに目を留めたのでしょう、143頁の猫ちゃんなど

「お前、ヨンさまに写真を撮ってもらって良かったねぇ]、と声を

掛けたくなるような田舎の年寄り猫で、こういう猫に眼を向ける

心の優しさがどのページにも詰まっているのです。


ところでこの本は、中国で優秀図書にノミネートされたとニュースで

読みましたが、日本ではどうなのでしょうか。

日本人記者の質問に心を動かされ、日本のファンへのために

書かれたものなのに、日本では単に韓流スターの本としか扱われて

いないのでしょうか。
文化に対する視点、目線のところで、何か中国に先を越されたような、

上を行かれたような、悔しい思いが残ります。




05-30-2011

23. チョンまげ

23.チョンまげ


チョンまげと言えば、日本の時代劇の男の

人は皆このヘアスタイルなんですが、

ここにもなにやら韓国語っぽい、チョン、

の音があります。


実はずいぶん前にある方から、ちょん髷も

韓国語でしょうか、とのお題を頂いていた

のですが、なかなか手掛かりがなく、字も

見つからずにおりました.

それがたまたま下の写真のような文章に

出会ったのです。



韓国語/日本語の中の韓国語

(この写真は見にくいので後で改めて入れ直します。)

チョンではなくチョッなのですが、また、

ちょんまげは日本語では男の人のまげを

言いますが、韓国語のチョッ(まげのこと)

は女の子のまげを言っています。

チョッと日本語のまげをダブルで言う反復

同意語のチョンまげは、チョッまげから、

まげ、の、ま、の音が発音しやすいように、

チョンまげ、になったものでしょう。

ハングルのチョッの文字は自分では見つける

ことが出来ず、結局ハドソン河の向こうの

Fort Leeという町の韓国人の本屋さんで

教えてもらいました。


[チョッ]:(小さな物が)垂れ下がって

いるようす、だらりと。


の字には子音のkの音が付いているのですが

これがハングルの難しいところで、私のような

ビギナーには到底この字を辞書から探し出す

ことは出来ません。



☆☆☆☆☆



娘たちが小学生だった頃、実家の母がたとえ

孫たちが来ていても、これだけは絶対に見な

ければ、といった態勢で杉良太郎さんの捕り物

番組を見ていたのですが、娘たちにあのヘア

スタイルは格好イイわけ?などと聞かれて

返事に困っていたのを想い出します。

たしかに頭のてっぺんを剃り、横、後ろは長く

伸ばして結い上げるというあのヘアスタイルは

世界中どこを探してもありません。


それにしても、チョンマゲとはいつ頃から

言い出した言葉なのでしょうか。

江戸時代に既にあった言葉なのか、統治時代に

雑ざって出来た合成語なのか、知りたいもの

です。








22. ほな、

22.ほな、


日本語の辞書には載っていない言葉ですが、

京都弁として知られる、ほな、が韓国の

ドラマ「朱蒙」では、ヨンタバル商団の

軍師、サヨンの口から、ほな、ほな、と

連発されていました。


  허나 [ホナ]:しかし、けれども。


京都弁の、ほな、は、じゃあ、それじゃあ、

という程度の軽い接続語と思っていましたが、

なかなかにしたたかな、とよく言われる

京都人のお腹の中には、ほな、とつかみ所の

ない言葉を言いながら本当は、しかし、

けれども、としっかりとした反対を唱えて

いるのです。


また、ほな、が地方言葉の京都弁なのと同じ

ように、韓国語のほなも方言なのではないで

しょうか。

普通の会話では、クレソ、とか、ハジマン

と言っています。


☆☆☆☆☆


「朱蒙」の最後のシーンはソソノさんが、

息子たちの為に高句麗を出て新しい国を

造ります、というところで終わってるのです

が、実はこの事こそが日本の古代史に繋がって

行くのです。

ソソノさんの百済建国は本家である高句麗に

対し、分家です。

そして百済の地は高句麗の南ですから、

より温暖な地域を求めての南下です。

分家と南下を続ければ、朝鮮氏族による半島

から日本列島への移動は時間の問題です。

そして、ほな、が日常語にあった氏族が

ある時から京都に住み始め、そして今だに

住み続けているわけです。


たかがテレビドラマから古代史を語るか、

などと見下げてはいけません。

ニュートンはりんごが木から落ちるのを

見て、地球の引力を発見したのです。

落ちるのはりんごだけではなく、木の葉も

雨も机の上の本もみな下に落ちるのに、なぜ

ニュートンさんはりんごでヒントを得たのか

です。

それの答えはひとつ、彼はりんごが好き

だったからです。だからりんごの落ちる

のが気になったのです。

私の「ほな発見」もヨンタバル商団の

軍師サヨンを演じた ぺ スビンという

俳優さんが気になったため、彼のせりふの

中の、ほな、を私の耳がキャッチしたのです。


01・27・11

21.チャラチャラするなよ。

21.チャラチャラするなよ。


チャラチャラするなよ、とか、あの人すぐチャラ

チャラするんだから、などと人の素振りに対して

いらつく時などに言いますが、言われた方も、

チャラチャラなんかしてないわよ、と大分むっと

来る言葉です。

じゃあ具体的にどんな態度がチャラチャラなのか

と言いますと、それは韓国語が教えてくれます。


  자락-자락[チャラ-チャラ]:

    日増しに自分勝手にふるまうようす、

    ますます遠慮なく、いよいよ自分勝手に、

    ますますわがままに。


       ☆☆☆☆☆


자락[チャラ]をアルファベットで書きますと

cha ra となりますが、kの音はクと発音されずに

k    

隠れています。

ここが韓国語の難しいところで、外国人には

なかなかに覚えきれるものではありません。

それでは韓国の人はどうやって覚えるのですかと

先生に伺いましたら、「ですから、韓国では

子供の時からたくさん書き取りの練習をします。」

と自慢そうにおっしゃいました。

しかし、大阪の大学で日本語を勉強されたこの

方は日本語はもっと難しいです、とおっしゃって、


    しんぶん-新聞

    さんさい-山菜

    ほん  -本


の3例を挙げて、ん、の発音の違いの難しさを

説明されました。ふだん無造作に発音している

言葉ですが、なるほどねえ、と感心したものです。

この方にはもっともっと教えて頂きたかった

のですが、半年ほどでカリフォルニアに移られて

しまい、本当に残念な想いをしております。