神・まぐわい極め道。私がイザナミならばイザナミの悲しみは愛ゆえに。 | 神・まぐわい極め道

神・まぐわい極め道

まぐわいをとうしてアラカン夫婦が本当の愛を循環させる世界平和に在り続けるブログ

マグワイーナちづるです。


神話から紐解く夫婦間のパートナーシップを感じ取ることを

最近結構趣味的にやっているマグワイーナちづるなのですが。。。

 

 

ご存知の方も多いと思いますが、

イザナギ(男性神)とイザナミ(女性神)が国々を生み出して、

イザナミは火の神を産んだ事が原因で亡くなった。

 

こんな一節聞いたことありませんか?

 

 

私はあまり神話を信じてはいないのですが

神や仏の名前はこの世のエネルルギーを言霊にしたものだと思っております。

 

 

なので元は人間だった神様もいて、

その残した偉大なる功績(命を使ったエネルギー)を、固有名詞化している部分も多いのかな?って思っています。

 

 

 

さて、今から10年ほど前。

 

皇大神宮の別宮にあたる月読宮に行った時のこと。

 

一番奥にあったお社から、

とても女性的で、悲しいくらい切ないけれど凛としたエネルギーを感じました。

 

調べてみるとそこはイザナミ宮でした。

 

その頃から私はイザナミノミコトにちょっとアンテナが立つようになりまして。。

 

古事記もそんなに興味はなかったのですが、その頃から読んでいくようになりました。

 

 

 

そして、先ほど書いた古事記の冒頭になるところに、

イザナミの死の章があり、そこを読んだときに感じている事があるのです。

 

 

それを書く前に…。

 

 

 

マグワイヤーという伴侶を得て、

 

「真の世界平和と自己の統合の完結系はまぐわいが大きな鍵になる」とわかり、

二人でまぐわいを極めるということをやり始めました。

 

あの時、私は本氣の本氣の本氣で(あ、今もですが)

一万組の夫婦やパートナーが一斉に、真の循環を起こすまぐわいをしたら

一氣にこの世界はアセンションする!と信じており

 

「まぐまぐで世界平和!」

 

と声高らかにしておりました。

 

 

しかし。

思うほどの広がりにならず、

 

おかしいな?

どうしてだろう?

絶対そのはずなのに?

 

そう思って、少し凹んで諦めかけて、別の道から世界平和を生きようと、

一度、まぐわい極め道から外れて止まりました。

 

 

ところが最近になって、

マグワイヤーが本氣に目覚めた!

 

マグワイヤーが

 

「やっぱり鍵はちづるちゃんと良きまぐまぐするところからなんや!」

 

というところにスイッチが入ったので

私たちは、新しい形のまぐわい極め道に入ることになったのですが。。

 

ん?

これって…。

 

 

女性のイザナミの方から

「まぐまぐしよう♪」

と誘ったらヒルコという醜い神が生まれたので、

女性から声をかけるのがイマイチだった!と氣づいた二人は、男性であるイザナギから

 

「まぐまぐしよ?」

 

と声をかけ国づくりをスタート。

 

すると、どんどんいろんな神を生み出していった…

 

という下にに似てるのでは?と思うのです。

 

 

そう。氣付きは女性からだったとしても、

行動を起こすのは男性が理想。

 

そんな感じ?

 

女性ってやっぱり男性から誘われた方が嬉しいしね♪

 

 

話が少しずれたけれど、

 

イザナミはたくさんの子供(神)を産んで

火の神を産んだらホト(膣)が焼けて死んでしまうという件に戻ります。

 

ホト(女性の大切なところ)が焼ける。

 

膣が硬くなった今の私の状態って、

実はこのホトが焼けるような感覚すらがあるのです。

 

リアルな挿入を伴うまぐまぐを月に2〜3回くらいになった頃から

私のホトちゃんは硬くなる速度が早まってきました。

 

硬くなってしまうホトちゃんに私は、

もう諦めを持ったような感覚になってしまい、

私は3年ほど前から、まぐまぐに意識が行かなくなってしまいました。

 

無意識のうちに避けるようになったと言ってもいいかも。。。

 

 

でもそんな状態になると、私たち二人の仲がとても良くて、いい感じなのは変わらないし、

心がどんどん繋がってお互いを慈しみ合う関係に深まってきたのだけれど、

新しく生み出すことが難しくなってきた(新しい物をクリエイトする力が弱くなってきた)感じがするのです。

 

 

そう。私一人の自力で何かを一所懸命生み出そうとするかの如く頑張っていたのです。

 

 

 

ホトが焼けて死んだ。。

 

ホトちゃんが硬くなり、まぐわいを諦めて終わった。。

 

 

そこが何故か妙に重なったのです。

 

 

ホトが焼けて死んでしまったイザナミを

イザナギが嘆き悲しんで黄泉の国まで迎えにいくわけですが、

イザナミが迎えにきたイザナギに

 

「遅かったよ。迎えに来るのが遅かったから黄泉の国のご飯食べちゃったよ。

でも、あなたが迎えにきてくれたなら、そっちに帰りたいし、ちょっと待ってね。でも、その間、絶対に私の姿を見ないでね。」

 

そう言って、黄泉の国の偉いさんに話をつけにいったのです。

 

なのに待ち時間が、待ちきれなかったイザナギ。

 

イザナミの言いつけを守らず彼女の姿を見てしまった。

 

ウジがいっぱい沸いている彼女の屍を見たイザナギは、一目散に逃げました。

 

それを追いかけるイザナミ。

 

1000人いないと動かせないような大きな岩を黄泉の国の入り口に置き、イザナミを振り切って逃げたイザナギ。

 

そう。イザナミを黄泉の国に置いて逃げたのですよね。

 

 

 

考えてみて?

 

 

 

愛する人の子供を産んで

その出産が原因で死んでしまったけれど

愛する人がまた迎えに来てくれた。

 

彼女は待ってたんじゃない?

 

 

だって、

 

「迎えに来るのが遅いから黄泉の国のご飯を食べた」

 

と言ってる段階で、

イザナギが迎えにきてくれると思っていた事がわかりますよね?

 

ただ、その時すでに遅しだったにしろ、

迎えにきてくれたイザナギの言葉が嬉しくて、

もう一度蘇ろう!(生き返ろう!)と決めた女の心を考えてみてくださいな。

 

 

無理かもしれない。

 

復活できるかどうかわからない。

 

でも、やっぱり愛する人ともう一度やり直したい…。

 

だって、男性から言ってきてくれたんだもん。

 

それなのに、イザナギは逃げるんですよ。

 

「早く!待てないよー!」という、ちっぽけな理由で、

見ないでねというお願いを無視して、彼女の姿を勝手に見て、

挙句にそれを怖がって逃げるのですから、

そりゃ悲しかったでしょうね。

 

辛かったでしょうね。

 

復活を試みようとしたイザナミの喜びとその反面の怖さ。

考えただけでも切なくなります。

 

 

でも、イザナミは、逃げたイザナギに止めを刺す言葉を言いました。

 

それを聞いたことでイザナギは一気にイザナミを本氣で嫌いになり、

イザナミを諦めて、高天原で一人で神々を産んでいく道を選択するわけですが。。。

 

 

こんな子供っぽいイザナギが、固執していたイザナミを諦めさせることって

実は彼女が意志を持って伝えない限り、彼は諦められなかったのでしょうね。

 

ただ、愛している人に強烈な呪いの一言を言い放つイザナミの悲しみは如何なる物だったのか?

 

 

復活をかえりみようとしたのに

いざ、振り返ると男が逃げた。。。

 

深い悲しみは怒りに変わった。

 

でも、最後の愛を持って、とどめの一言で、

もう2度とイザナギを黄泉の国に来させないように仕向けたのだと思うのです。

 

「もう、こっち(黄泉の国)にきちゃいけないわよ?」

 

ダメンズを大人にさせるための女性の計らいのような思いやり。

 

なんてね。

 

切ない私のイザナギとイザナミの愛の神話。

 

 

ただ一つ、この神話と

私のエネルギーが違うのは

 

マグワイヤーはイザナギのように逃げない!と、私が信じていること。

 

だから私自身の醜い姿もさらけ出します。

 

イザナミのように隠さずに。。

 

 

妻の醜い姿…

硬くなったホト(女性の大切なところ)

濡れにくい膣。

 

マグワイヤーはそれら全てを受け入れて、迎えにきてくれた。。。

 

 

実は勝手に思っているだけですが

マグワイヤーはイザナギの息子である

スサノオノミコトのエネルギーを多分に持っている人だと感じています。

 

父と特に母を恋しく忘れられずやんちゃだった

荒々しいスサノオノミコトのエネルギーの時代が終えて

成熟したスサノオノミコトのエネルギーを持つ

今のマグワイヤー。

 

 

私はイザナギのエネルギーを越えて

クシイナダ姫のように

彼と共に家を作っているようなそんな感じ♪

ちなみにスサノオノミコトとクシイナダ姫は

須我神社のあるところに二人の家を立てたそうです。

 

「八雲たつ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」

 

スサノオノミコトが歌ったと言われるこの和歌。

 

スサノオノミコトは本当はとてもロマンティックな人なのです。

 

そして、たくさんの雲が立つ山間に愛する妻のために家を定めたらしいのです。

 

ロマンなのか?

幻想なのか?

勝手な解釈なのか?

 

なんでもいいんです。

 

私がそう感じているのだから、そうなのです。

 

☆☆☆☆☆☆

 

こんな私たちが、次なるまぐまぐの道を赤裸々に語り、

あなたの成熟させるパートナーシップに灯火を着ける

 

【新・まぐわい座談会】

 

11月1日の夜

淡路島で静かに、でも深く凛として再開いたしますのでお楽しみに!