登城日 2022年 7月18日(月)曇のち晴
難易度 ☆
場所 東京都八王子市元横山町
武蔵七党の一つ、横山党の居館が八王子市にあったとか。
八幡八雲神社。
小野篁の七代後裔の小野隆泰が、延長2年(924)に武蔵国司として赴任した際、京都の石清水八幡宮から勧請し、八幡神社を創建したと云う。
八雲神社は、八王子城のある深沢山頂上にあったが、落城後に転々とした後、当地へ遷座。
現在は、八幡神社と並んでいる。
斜めから見る。
境内の北側へ。
神楽殿の西側に横山神社が鎮座。
参道脇に説明板が建ち並ぶ。
この辺りに横山党館があったと云う。
横山党は和田合戦の際、和田義盛に加担して滅亡してしまい、領地は大江広元(安芸毛利氏の先祖)に与えられた。
大江広元は、横山党の開祖横山義孝御霊を鎮めるため横山神社を創建したと云う。
説明板。
東京帝国大学教授が書いた読めない碑。
酔いしれてる…
境内の東側へ。
摂末社群。
境内を見渡す。
居館跡の痕跡は見つけられませんでした。
境内にあった付近の案内板。
地図を拡大。
境内の北側に位置する妙薬寺へ向かう。
真言宗の寺。
創建は明徳2年(1391)と云う。
縁起碑を拡大。
境内の墓地の横山塔がある。
永禄3年(1560)に建立された横山氏供養塔。
この妙薬寺のある場所に横山党館があったとも。
元横山町付近のこの辺りだったんだろう。
横山町、八日町、八幡町は、滝山城下から八王子城下へ移転し、最後に甲州街道沿いの現在地へ移転したと聞きました。
また、横山という地名は八王子市内だけでなく、相模原市内にもあり、横山党の本拠地については諸説あるようです。
(おまけ)
山田則景の母が梶原景時の姉で、「景」の字は祖父に当たる梶原景清から賜ったと書かれている本を図書館で見つけました。
本当なら、梶原景時は叔父になり、横山党の横山孝(隆)兼は曾祖父になる。
横山孝兼と山田則景の祖父、源季則は共に源為義に従属していたとも。
出典元が書かれていなかったので、信憑性は低そうですが…
横山孝兼の娘は、秩父重弘にも嫁いでいる。
秩父重弘の父、秩父重綱は児玉経行の子、行重と行高を養子にし、西上野の清和源氏山田さんワールドへ児玉党が進出し、さらに秩父平氏が進出しようとした。
児玉行重の系統から秩父成季が出て、白倉氏の祖となった。
山田則景は児玉行高の娘を娶り、生まれたのが児玉氏行で、小幡氏・奥平氏の祖と云われている。
何となく繋がる妄想話です。