所在地 長野県長野市青木島町大塚133-6
山号 降魔山
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建 文亀元年(1501)
開基 祐尊
赤松氏ゆかりの寺 |
赤松則村の玄孫が建立したと云う。
2年前の夏と同じく高崎からR18、R406、R292(草津温泉から迂回せず)経由で向かいました。
R18とR19バイパスが交差する大塚南交差点の一つ南の不動寺交差点。
周囲四町が境内地だった不動寺に由来。
この細い道をアルピコ交通の路線バスが行き来するので注意!
境内への近道。
最初は解らなかった。
行き過ぎて菅谷不動尊へ。
紛らわしい。
関係あるのかな?
寺と言えば安養寺。
元は永禄10年(1567)にここより北の青木島町綱島に創建されたが、天明7年(1787)犀川の洪水によって流出し、ここに移転。
周囲を一周しても見つからない。
お寺ないないなぁ~。
Google先生によるとここから進むとのこと。
なんとこの民家が不動寺。
家の表札にも書いてありました。
二十三夜塔など。
寺伝では、赤松則村の玄孫の赤松満村が、長禄2年(1458)に高野山龍光院で出家し、祐尊と称した。
そして、延徳元年(1489)善光寺に参詣し、飯綱山で断食修行中に延命地蔵のお告げを受け、当地に下り一宇を建立し、自ら高野山より行基菩薩作の不動明王を招来して、文亀元年(1501)現在の降魔山地蔵院不動寺を建立したと云う。
説明板。
天文24年(1555)の川中島合戦の折り、 武田信玄は、当寺付近に在陣して参詣、不動明王の威徳を感じて、周囲四町を境内地とし て寄進した。
そこで当寺周囲の集落名を不動寺と称するようになった。
やっぱり民家やん。
北にある長野市立更北中学校が、第二次川中島の戦いの際武田信玄が本陣を置いた大堀館跡と知ったのは帰宅後だった
ビーナスラインを通って帰りました。
長野で見つけた赤松氏の史跡でした。
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