播磨国分尼寺跡(兵庫県姫路市) | 三日月の館

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場所    兵庫県姫路市御国野町国分寺

 

播磨国分尼寺は播磨国分寺の北にあったとか。

 

国道2号線国分寺交差点から北へ進み、突き当り付近に播磨国分尼寺があったと云う。

播磨国分尼寺跡参考地の碑が建っています。

碑の説明板。

【播磨国分尼寺跡参考地碑由来記】

 

昭和40年頃、播磨国分寺跡は荒廃の極みにあった。

姫路市当局に再三その保護を訴えた結果、発掘調査されて、徐々に保存へ向かうことになった。

然し国分尼寺跡は、この御国野町に 、尼寺の前、尼寺の道、尼寺が池などの地名と共に、礎石や古瓦などの出土による有力な推定地が専門家に指摘されていながら全く放置されていたので、この推定地の湮滅を防ぐため、以前に礎石の残存する土壇があったというこの場所に、国分尼寺跡参考地碑を立てておかれるよう、市当局に請願すること数年、且つ費用の一部を寄進して、昭和46年建立されたのが、隣接の参考地碑である。
その建碑について、播磨国分寺史跡保存会長故N氏に絶大な献身的協力を頂いたことは感激の極みである。

また土地所有者H氏と母堂による建碑地の提供と礎石の返還、更に地元石材店主Mの多大な物質的協力等、 私の請願に大きなご援助を頂いた右各位に心から深謝する次第である。
後日、もし尼寺跡が正式に解明されて地域に移動があった場合にも、この尼寺跡保護のために先駆した民間人の努力の跡が、全国の志ある方々へのはげみともなるよう、尼寺跡参考地碑ならびにこの由来記碑の二基は、播磨国分尼寺跡保護の経緯を語る資料
として、必ず共に遺跡の一隅に永久保存されることを念願するものである。

昭和54年(1979)11月
諸国国分二寺保護発願者 東京都杉並区 H・I 記

 

説明板。

伽藍推定図を拡大。

ここに金堂があったのか~

今後の調査が待たれます。