(もどる)
谷駅跡から築堤を進む。
築堤の先端。
築堤先の廃線跡。
先へ進むとこの状態で断念。
道に降りて廻り込む。
道から築堤を振り返る。
この道路の南側を走っていたはずなのですが…
南側へ行く橋を発見。
廃線跡に復帰。
しばらく行くと右へカーブしてしまう。
そのまま行くと団地。
道に迷う。
団地をウロウロしていたら築堤発見!
奥山線は、実は右へカーブしないで、そのまま真っ直ぐ進んでいた。
そして、国道257号線に合流。
国道257号線は坂を下って行き、緩やかにカーブ。
祝田バス停。
この辺りに祝田駅があった。
都田川に架かる新祝田橋を渡る。
この橋の袂に祝田橋の説明板があります。
かつての様子。
祝田橋を渡るラッキョウ軽便。
祝田川を渡るとローランドの本社があります。
しばらく真っ直ぐ進む。
奥山半僧坊まであと9km。
ここから奥山線は左へカーブ。
田んぼに線形が残る。
レストランの駐車場が廃線跡。
曲がりきった所で国鉄二俣線(現天浜線)と合流。
金指駅。
現在の金指駅。
天浜線がやってきました。
上屋とプラットホームが国の登録有形文化財。
高架貯水槽。
これも国の登録有形文化財。
奥山線は天浜線の南側を走っていた。
少しずつ高度を上げて、
二俣線を跨いでいました。
奥山線の方が先に出来ていたのですが、国鉄二俣線は東海道本線の非常時迂回線だったため、奥山線が跨ぐように陸橋が建設された。
跨いだ辺り。
少しずつ高度を下げて、
今度は二俣線の北側を併走。
消防署に線路跡の敷地を食われる。
デカイ消火器。
消防署の先に岡地駅があった。
付近にガーター橋?が残っていました。
岡地駅跡。
プラットホームの上に民家が建っています。
岡地駅跡を振り返る。
気賀高校前駅付近から二俣線と別れ右へカーブ。
ここから真っ直ぐ進む。
気賀口バス停。
ここが気賀口駅跡。
ハローワーク細江の前に説明板が建っています。
説明板。
かつての様子。
奥山線は、ここから井伊谷川を渡って北へ延びていたのですが…
何と、ここでまさかの日没。
マラソン選手は、42.195Kmを2時間ちょっとで走りきる。
奥山線全線25.7kmはその半分ちょっと。
1日で歩き切ると思って歩き始めたのですが、2日でも歩き切ることが出来なかった。
夜の浜松城に寄って帰りました。
グッタリです。
(つづく)
鉄道(目次)へ戻る