赤松村(愛知県安城市) | 三日月の館

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場所 愛知県安城市赤松町

 

赤松円心が来住したと云う


播磨の英雄、赤松円心に由来する地です。

 

【赤松村】

村説に往古赤松円心本村に来住す。村名此に起ると云う。円心の茲に来ること甚だ疑わし、按ずるに赤松満祐の男教祐播磨より逃げ来りて三河に居る。本村に住みしは其の親族なるべし。赤松某の城跡は字丸山にありて今尚的場の址あり。又字茶屋根は茶室のありし處なりと言い傳う。

(安城町誌より)

 

JR安城駅からあんくるバスに乗り、「赤松新屋敷」下車。

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付近の町名は赤松町。

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周辺の字名は「新屋敷」。
赤松氏の足跡を訪ねて、集落の中心にある本楽寺へ。

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境内の様子。
明治初期には安藤現慶なる住職がいたとのこと。

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赤松氏の足跡は見当らなかった。

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集落の中で一際立派な本楽寺を後にする。

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次のバス停は「赤松」。
付近の字名は「前川」。

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若松社へ。

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表参道。

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境内の様子。
室町時代の明徳5年(1394)8月26日に創建されたとか。
足利義満の時代ということになる。

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赤松氏の足跡は見当らなかった。

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隣りは農村総合整備モデル事業「赤松農村公園」。

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土地改良碑。
範囲は旧字名で、西下・堀切・西ノ山・茶連木(?)・向・前川・隅田川・宮後・鐘山・小山・恋塚・上・擂鉢・山ノ神・新屋敷・北新屋敷・留山・大北・石那園・茱萸木。
赤松氏の城跡はこの辺りではないらしい。

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若松社から真っ直ぐ進んで半場川を渡って振り返る。
新屋敷周辺は周囲より若干高台になっている。

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次のバス停は「赤松向」。
周辺の字名は「向」かな。

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バス停の南側の字名は「的場」。
字「丸山」は近いのかな。

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南下すると東隅田川と合流して大きくなった半場川に突き当る。

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対岸にこんもりした丘。
あれか?

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渡りたいんだけど…

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対岸はデンパークという公園。
安城市がかつて日本のデンマークと呼ばれていたことに由来し、平成9年(1997)に開園した花と緑の公園。

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大周りして半場川を渡る。
この辺りの字名は「東下」。
昭和55年(1980)に字「茶屋根」を吸収。
茶室はこの辺りにあったのかな。

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先程のこんもりした丘は不思議の森だった。
昔の地図を見ると開園前からあったようで、鉄砲山と呼ばれていたらしい。
字丸山の城跡はあれかも?

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残念ながら閉園時間となってしまい、入ること出来ず。
結局、字丸山の城跡も赤松氏のことも解からぬまま、またあんくるバスに乗って帰りました。

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三河の歴史を見ていると、赤松教祐なる人物が極たまに出てくる。
赤松教祐とは、赤松教康のことか。
この辺りでは、伊勢から大隅ではなく三河へ逃れてきたという伝承が残っているのかもしれない。