場所 京都市左京区南禅寺福地町86-11
応仁の乱における西軍の総大将の墓所です。
山名持豊(宗全)は、室町時代の武将、守護大名。
家系は新田氏庶流の山名氏。
室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。
但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。
山名時熙の三男で、母は山名氏清の娘。
諱は持豊で、宗全は出家後の法名。 応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。 (wikipediaより抜粋)
山名宗全の墓所は、南禅寺の塔頭真乗院にある。
南禅寺の中門を潜る。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/b2/c2/j/o0400030014659924808.jpg?caw=800)
中門をから入ってすぐ右手に真乗院があります。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/82/52/j/o0400030014659924810.jpg?caw=800)
境内奥にある山名宗全の墓所です。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/9d/2d/j/o0400030014659924811.jpg?caw=800)
山名宗全は、文明5年(1473)3月18日(4月15日)に死去。
その2ヶ月後の5月11日(6月6日)に東軍の総大将の細川勝元が相次いで死去。
応仁の乱は終息に向かうこととなった。
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