荷田春満旧宅(京都市伏見区) | 三日月の館

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場所 京都市伏見区深草藪之内町57

 

国学の四大人の一人、荷田春満の居所で国指定史跡です。

 
【春満旧宅(史跡)について】
国学者荷田春満(かだのあずまろ)大人生誕の居宅で、その竣工は元和元年(1615)大坂城落城の日であったと伝えられる。
古来伏見稲荷大社の社家は秦姓に荷田姓が加わり、幕末には両家の分家を合せ15家、即ち秦姓は11家にて神主職を継ぎ、荷田姓は4家・その内1家が御殿預職もう1家が目代職を世襲した。
以上15家の内3家ばかりは境外に居住したが、残る12家は社頭に居を列ねていた。
荷田春満大人は、楼門南脇の御殿預家の屋敷で信詮の二男として出生した。
往昔の社家の結構皆無に等しい中にあって、御殿預家の門・塀・神事家及び屋敷の一部が現存するのはまことに貴重という他ない。
大正10年12月23日文部省史跡に指定、昭和27年解体修理。
尚、東に隣接の東丸神社は、御殿預屋敷地の東部位に、伏見稲荷大社の摂社として明治23年に創建されたものにて、その後その経営を羽倉氏に委ねて今日に至る。
建物の様式は木造屋根四連棟造りで、玄関は切妻造り敷台つき、屋根はすべて桟瓦葺で、壁は真壁塗り、総畳敷きである。
縁は榑板張り、澪縁は切目張りで、間仕切りの上の欄間は大手に考案された杉板の透し彫りがはめこまれている。
出書院には花頭窓があって紙張り障子がはめられ、上部に透欄間がある。一方には違い棚や二段の袋戸棚が設けられているのも一般と趣を異にし、違い棚の筆返しは形よくできている。
(「拝観の手引」より)
 

伏見稲荷大社の南脇にある荷田春満旧宅。

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通常非公開、かつ最近は修理で見ることが出来なかった。

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今夏、お茶屋と共に特別公開がありました。

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開いてる!

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説明板。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/b/e/bedc3322.jpg

配置図。

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式台つき玄関。

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中はやはり撮影禁止。
荷田春満旧宅かた伏見稲荷大社の楼門を見る。

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花頭窓から見た南側の庭。

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庭にある亀。

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庭は最近造ったそうです。

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荷田春満旧宅を出る。
周りを囲む塀。

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櫓のような神事舎。

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東隣には東丸神社があります。

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鳥居。

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東丸神社由緒略記。
荷田春満の旧宅敷地の東側に明治23年創建。
学問守護の神として荷田春満を祀る。
伏見稲荷大社とは独立した神社。

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としまいりの石。
「としまいり」とは、願主の年齢と同じ数だけ祈願を重ねること。

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社務所にあった竹棒。
竹棒を歳の数だけ持ち本殿と「としまいりの石」との間を心静かにまわりお願いの都度一本づつ箱に納める。

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手水舎。

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脇に荷田社。

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説明板。

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【荷田社】

荷田社は東丸神祭神荷田東丸命の遠祖荷田殷、嗣、早、龍の4霊を合祀しています。
和銅4年(711)稲荷大神稲荷山三ヶ峯鎮座の際、最初に奉仕したのが第21代雄略天皇の皇子磐城王の裔である荷田殷であって爾来荷田家は代々稲荷社正官御殿預職をつとめましたが、この祖神のうち特に龍は髙徳で学問をよくし弘法大師とも親交あり龍頭大夫、龍頭太などと称せられました。
弘仁8年(817)12月13日その帰天のとき、雷鳴風雨はげしく、早咲の梅花悉く裏向きに降らし黒雲を呼びあたかも龍神昇天の如くであったと伝えられています。
これを記念して荷田家の定紋は一重裏梅花を用いています。
また毎年12月13日を荷田祭と称し祭典が行われ毎年13日に月並祭が斎行されます。

 

荷田春満を祀る本殿。
受験の神様として信仰を集めている。

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最後に、東丸神社の東側、お茶屋との間に「荷田東丸大人墓道」の碑が建つ。

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行ってみる。
突き当たりを左へ。
ここにも道標があるので分かる。

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その先をまた左へ。
ここには何故か道標が無いので迷う、注意です。

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すぐに墓地が見えてきます。
ここからちょっと難しいです。
墓地を通り抜けた所を左折し、墓地に沿って坂を登って行きます。
民家の塀の手前辺りから墓地に入って行くとあります。

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荷田春満は、神職に就かず古典・国史を研究し、『万葉集』『古事記』『日本書紀』や大嘗会の研究の基礎を築いた。
元文元年(1736)に死去。
弟子に賀茂真淵がいる。

 

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