賀茂真淵生誕地(浜松市中区) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

場所 浜松市中区東伊場

 

国学の四大人の一人、賀茂真淵の生誕地です。

 

賀茂真淵は、京都伏見稲荷大社の神職の出である荷田春満の弟子。
賀茂というくらいだから真淵も京都の出かと思っていましたが、浜松出身でした。
生誕地は、以前「300系なう。」で訪れたJR東海浜松工場の前にあります。
JR浜松駅から遠鉄バス舞坂駅行きに乗り商工会議所バス停下車。
バス停から少し西へ行った所にあります。

イメージ 1

  【賀茂真淵の一生】

賀茂真淵は、元禄10年(1697)3月4日遠江国敷智郡浜松庄伊場村(今の浜松市中区東伊場)に賀茂神社の神官岡部政信の三男として生まれました。

11歳の時から荷田春満の姪で、浜松諏訪神社の大祝杉浦国頭の妻真崎に習字などを学びました。

26歳の時浜松の杉浦国頭歌会で春満に会い、国学への目を開きました。

31歳のころ上京し春満に入門、詩歌・学問に励みました。

春満没後は江戸に住んで、50歳の時、八代将軍徳川吉宗の次男田安宗武の和学御用となりました。

64歳で隠居し、著述と門弟の養成に努めました。

明和6年(1769)10月30日江戸で亡くなり、品川の東海寺に葬られました(73歳)。

(賀茂真淵記念館パンフレットより)

 

生誕地は「真淵翁顕彰碑広場」として整備されています。
井戸跡。
産湯の井戸だろうか?

イメージ 2

説明板。

イメージ 3

奥の記念碑。

イメージ 4

賀茂真淵の肖像と主な著書。

イメージ 5

記念碑前には著書の碑。
「万葉集」巻第一 57
引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣仁保波勢 多鼻能知師尓

イメージ 6

肖像画の右側の歌碑

イメージ 7
秋の夜のほがらほがらと天の原てる月影に鴈なきわたる
こほろぎの鳴くやあがたのわが宿に月かげ清しとふ人もがも
あがたゐのちふの露原かきわけて月見に來つる都人かも
こほろぎのまちよろこべる長月のきよき月夜は更けずもあらなむ
にほどりの葛飾早稻にひしぼりくみつゝをれば月かたぶきぬ  

 

生誕地を後にする。

イメージ 8

賀茂真淵記念館へ。

イメージ 9

灯籠坂を登る。

イメージ 10

急坂を登った所にある賀茂真淵記念館。

イメージ 11

開館時間 午前9時30分~午後5時
休館日   月曜日(祝日除く)、祝日の翌日等
入館料   大人300円。

イメージ 12

賀茂真淵とその門弟について学べます。

イメージ 13

記念館の奥に縣居神社。

イメージ 14

由緒書。

イメージ 15

賀茂真淵を祀る。

イメージ 16

浜松城主水野忠邦書「縣居翁霊社」の碑。

イメージ 17

境内には歌碑?がいっぱい。

イメージ 18

また灯籠坂を下りて真淵翁顕彰碑広場へ戻る。

イメージ 19

広場から少し東へ行くと賀茂神社があります。

イメージ 20

掠れて読めない由緒書。
賀茂真淵の祖先が祀られているらしい。

イメージ 21

神池。

イメージ 22

手水舎。

イメージ 23

拝殿。

イメージ 24

賀茂神社献詠歌。
荷田春満の和歌と真淵の長歌。

イメージ 25

縣居神社遺址の碑。
旧鎮座地を示すもの。

イメージ 26

こちらの説明板も掠れて読めなかった。

イメージ 27

以上、賀茂真淵生誕地でした。

 

(おまけ)

 

ザザシティの所に賀茂真淵が養子に入った浜松宿脇本陣梅谷家があった。

イメージ 28

少し西へ登って行くと五社神社・諏訪神社がある。

イメージ 29

境内にある諏訪神社跡の碑。
戦前は国宝指定されていたが、昭和20年の戦災で焼失。

イメージ 30

昭和35年に両社合祀して再建された。

イメージ 31

境内裏手の石垣は浜松城より立派な石垣。

イメージ 32

境内前の五社公園を見る。

イメージ 33

ここに賀茂真淵が師事した杉浦国頭の邸宅があった。

イメージ 34

五社公園内にも万葉歌碑がある。
この歌碑の文字は賀茂真淵直筆の『万葉集遠江歌考』から拡大転写したもの。

イメージ 35

賀茂真淵は31歳頃まで浜松にいましたが、一旦家を捨てて上京しました。