大徳寺(京都市上京区) | 三日月の館

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所在地  京都市北区紫野大徳寺町53
山号   龍寶山
宗派   臨済宗大徳寺派
本尊   釈迦如来
創建   正中2年(1325)
開基   宗峰妙超

 

赤松円心の帰依を受けた宗峰妙超開基の寺


臨済宗大徳寺派大本山。
大燈国師(宗峰妙超)は、赤松円心の家臣浦上氏出身で、円心の帰依を受け洛北紫野の地に小堂を建立した。
これが大徳寺の起源とされる。

 

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【大徳寺沿革】
臨済宗大徳寺派の大本山で、広い寺域に別院二ヶ寺と二十一の塔頭を有する。
鎌倉末期の正和4年(1315)に、大燈国師(宗峰妙超)により開創され、花園天皇と後醍醐天皇の厚い信仰を受けた。
室町時代には、幕府の保護を辞退して在野の禅院として独自の立場を貫いた。
応仁の乱で建物は焼失したが、「一休さん」として親しまれている四十七世住持の一休宗純が堺の豪商の保護を受けて復興し、豊臣秀吉や諸大名により建物や寺領が寄進され、江戸時代初期に現在の建物はほとんど整えられた。
三門・仏殿・法堂・経藏・庫裏(以上いずれも重要文化財)・方丈(国宝)など、主要建物がすべて保存され、禅宗の典型的な伽藍(がらん)配置を示している。
唐門(国宝)は聚楽第の遺構と伝えられており、豪華な彫刻に飾られた桃山時代の代表的建物である。
方丈の室内を飾る狩野探幽の襖絵(重要文化財)をはじめ、書画、古文書などの多くの寺宝を蔵する。
茶祖・村田珠光、千利休など多くの茶人の帰依を受け、茶道とのかかわりが深い。

京都市

 

境内案内図。
どこが大徳寺なのか良く解らない。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/1/0/105af812.jpg

総門から境内へ入る。

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勅使門。
後水尾天皇から拝領したと伝えられる。

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平康頼の墓。
敵将である源義朝の墓を再建したとされる人で、愛知県の野間大坊にも墓がある。

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千体地蔵塚。

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お地蔵さんがたくさん並ぶ。

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三門(山門)。
金毛閣と呼ばれる。
大徳寺最古の建造物の一つで、国の重要文化財。
応仁の乱で焼失後、大徳寺中興の祖一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により一階を創建。
60年後千利休によって、現在の二階二層門となった。
この楼上に利休の木像を置いたことから秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因といわれている。

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三門を裏から。
楼上は広い一室で、釈迦如来座像や利休寄進による羅漢像が安置されている。
天井龍は長谷川等伯筆。

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大徳寺のイブキ。

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説明板。
仏殿創建当時に植えられたと云う。

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仏殿。
寛文5年(1665)京の豪商・那波常有によって再建。
国の重要文化財。

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中の様子。

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仏殿を側面から。

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仏殿から裏の法堂まで廊下で繋がっています。

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法堂。
国の重要文化財。
寛永13年(1636)、小田原城主稲葉正勝の遺志により、子の正則が建立した。
天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作だそうです。
見たかったぁ~

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法堂と大方丈へも廊下で繋がっています。

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ここから大方丈へ。
通常非公開。
今回は特別拝観ということで、拝観料800円を払って入る。

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宗務本所。
ここで荷物を預け、手ぶらにて大方丈へ。

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大方丈は、寛永12年(1635)、玄関はその翌年、豪商・後藤益勝の寄進で建てられたもので宗峰妙超300年遠忌を記念して新築されたもので、国宝に指定されている。
通常の方丈建築は、前後2列、左右3列の計6室を並べる平面形式が多いが、大徳寺方丈は前後2列、左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の前後2室は、宗峰妙超の塔所(墓所)である雲門庵となっている。
雲門庵の一部は方丈北面の広縁を越えて北側に突出している。
宗峰妙超は、「自分の死後に、墓所として別の寺院を建てるには及ばぬ」と遺言していたため、このような形式になっている。
方丈の障壁画は狩野探幽の作。
枯山水庭園は国の特別名勝および史跡に指定されている。
また、庭園には聚楽第の遺構である唐門が移築されている。
唐門は国宝に指定されており、日光東照宮の日暮門の模型となっている。

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800円も払ったのに撮影が制限されていて残念でした。
今度は、大方丈裏の真珠庵へ向かいました。

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真珠庵。
ここでも特別拝観料800円を取られる。
一ヶ所ずつ500~800円取られると堪ったものではないです。

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門前に「史蹟及特名勝 真珠庵庭園」の碑が建つ。

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【真珠庵】
大徳寺の塔頭で、永享年間(1429~1441)、一休禅師(宗純)を開祖として創建されたが、応仁の乱で焼失し、延徳3年(1491)、堺の豪商尾和宗臨によって再興された。
方丈は寛永15年(1638)の建立で、内部の水墨画「山水図」、「花鳥図」は室町時代の曽我蛇足の作、障壁画「商山四皓図」、「蜆子猪頭図」は室町時代の長谷川等伯の作といわれている。
また、書院の通僊院は、正親町天皇の女御の化粧殿を移築したものといわれ、金森宗和好みの茶室、庭玉軒が付属する。
庭園(国の史跡及び名勝)は方丈の東庭、南庭及び通僊院庭園があり、東庭は室町時代の作とされ、石組みの配列から「七五三の庭」と呼ばれている。
寺宝として、国宝の大燈国師墨蹟をはじめ、紙本著色苦行釈迦像、墨渓筆の紙本墨画達磨像など、多数の重要文化財を蔵している。
また、境内には、茶道の祖、村田珠光の墓がある。

京都市

 

ここも撮影が制限されていて残念。
境内には一休禅師の肖像画がある。
(某新聞紙より)

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アライグマに引っかかれたことで話題になりました。
(某新聞紙より)

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そのままの状態で置かれていたのでビックリ!
大丈夫ですかね。
次に聚光院へ向かいましたが、残念ながら16時で締め切り。
たった1分遅れで入れなかった…

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早すぎるぅ〰
ここまでの往復の運賃を考えると非常に残念です。
大徳寺は、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進。
それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた寺です。
境内にはたくさんの塔頭が建ち並びます。

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南門から出る。

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梶井門への道。

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梶井門。
天台座主在京時の梶井御所の門で開かず門。

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この門の前の橋で、義経と弁慶が出会ったとも。
「御所の橋」がいつも間にか「五条の橋」になったとか何とか…
最後に御朱印。

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今日は時間切れで塔頭を廻ることが出来ませんでしたが、いつか全部見て廻ってみたいものです。

 

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