鞆の浦「龍馬伝」 | 三日月の館

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鞆の浦龍馬。

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鞆の浦へは、JR福山駅からともてつバスで約30分。
ともてつバスセンターは、龍馬で売り出し中。

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以前はこのようなものは無かった…
鞆の浦まで龍馬とは。

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ともてつバスセンターから南へ。
まずは、龍馬宿泊所跡。
江戸時代の回船問屋・桝屋清右衛門宅。

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いろは丸事件のとき、坂本龍馬たち土佐海援隊を支援し、宿舎として提供した。

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鞆の津の商家。
江戸時代に繁栄した鞆の典型的な商家の建造物。
土蔵の基礎の長い石に注目。

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ここは、鞆城跡に建つ『鞆の浦歴史民俗資料館』の目の前。
ここも城郭の一部だったのかな?

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いろは丸事件の談判跡。
坂本龍馬と紀州藩の間で、いろは丸事件の賠償交渉がここで行われた。

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日本初の海難審判と云う。

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鞆の浦の港。

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港に残る雁木。
雁木とは、江戸時代に築かれた船着場の石段のこと。
満潮、干潮にかかわらず船荷の積み下ろしができる。
200mも残っているのは、日本ではここだけという。

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鞆ノ津の力石のある神社。

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力石は、北前船で栄えた鞆の港で積み下ろしをする仲仕たちが力比べをして、神社に奉納した石。
最も重い石は230kgもある。

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大可島城跡にある圓福寺へ向かう。

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真言宗圓福寺。
いろは丸事件の際、紀州藩の宿舎となった。

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芭蕉の句碑。

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ここは、南北朝期の古戦場だった大可島城跡でもある。

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大きな石の上で寝ていた猫と目が合ってしまった…

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大可島城跡からの眺め。
見ている間、猫が足元をぐるぐる。
妙に懐くのが、返って怖い。

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歩きだすと、鳴きながらついてくる。
その鳴き声がとても切ない。

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ちょっと期待したが、さすがに石段から先まではついて来なかった…
さようなら、猫ちゃん。

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対潮楼・福禅寺へ向かう。

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石垣には刻印が。
まるでお城。

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福禅寺対潮楼。
朝鮮通信使が毎回宿泊した所で、日本第一形勝」と賛辞を書き残している。

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閉館時間になってしまい入れず。
鞆の浦は何度も来ているのですが、対潮楼は一回も入ったことが無い。
説明板を読んでガマン。
いろは丸事件のとき、坂本龍馬が紀州藩の重役と交渉した場所といわれる。

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すばらしい景色が見れただろうに…
とても残念。

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『平成いろは丸』に乗って仙酔島へも行けたのに…
今日も来るのが遅かったです。

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最後に、鞆シーサイドホテルで記念撮影。
右は、龍馬とお龍。
左は何だ?

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町内には、いろは丸展示館があり、海中から引き揚げられた遺品や沈没船の状態が展示されています。

 

(おまけ)

 

むろの木。

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「わがもこが見し鞆の浦のむろの木は

とこよにあれど見し人ぞなき」
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大伴旅人が亡き妻を偲んで詠んだ歌。
万葉集には、鞆の浦で詠まれた歌が八首ある。

 

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