長船城(備前国) | 三日月の館

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登城日 2012年10月 6日(土)曇
難易度 ☆
場所   岡山県瀬戸内市長船町長船

 

刀剣の里にあった居館です。

 

中世は吉井川を挟んで備前福岡の対岸にあったと云う刀剣の里である長船へ。
史跡案内板。

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まずは、備前長船刀剣博物館へ。

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建設にあたって。

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博物館では日本刀が出来るまでの過程が学べます。
ただ、鉄をたたいて伸ばして研いでいるだけかと思っていました。
鉄を何回も折りたたんで鍛えているのが良く解り、大変勉強になります。

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記念にスタンプ。
アニメはわからん

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備前長船刀剣博物館の前に長船城があった。

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行ってみる。

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説明板。

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【城の内(伝兼光屋敷跡)】
城の内築地(つんじ)と呼ばれているこの地は、南北朝時代、太刀を鍛えた褒美として足利尊氏から、当時の名工兼光が賜ったと伝えられています。
一町(約100m)四方の壕をめぐらし、四方に櫓を建てた城に、代々鍛冶が居住し、鍛刀したといわれています。
文明15年(1483)、福岡合戦のとき松田勢によってこの城のほか周辺の民家までがすべて焼き払われたことが『備前軍記』に記されています。
永年にわたって作刀の地であったことから、この辺りの田畑からカナクソと呼ばれる鉄滓が多く出土しました。

瀬戸内市教育委員会

 

ここが城の中心かと思いましたが、上の地図を航空写真にして拡大してみると、この辺りは西側の土塁跡と堀跡らしい。

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土塁上は立ち入り禁止だったので眺めるだけ。

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伝兼光屋敷を後にする。

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集落の中に井戸があった。
この辺りが城の中心だろうか?
それとも、100m四方なので南端だろうか?

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覗いてみる。
現役だった。

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井戸から東へ。
天満宮跡。
この辺りが城の東側なのかな?

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その一筋南に造剣の古跡碑。

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説明板。

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西へ行くと長船刀工の菩提寺である慈眼院。

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説明板。

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本堂。

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祐定寄進の梵鐘。

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説明板。

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近づいてみる。

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慈眼院の南西に長船紀伊守屋敷跡。

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説明板。
虎倉城で殺害されたと云う長船詮光は長船貞親、長船亮行は長船綱直のことかな?

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【伝 長船紀伊守屋敷跡】

長船亮行は宇喜多家の老臣長船越中守詮光の子で、天正16年父越中守が虎倉城(現在の御津町)で殺害され、相続して越中守と称した。
文禄3年(1594)伏見城普請のとき宇喜多家の普請奉行としてつとめ秀吉の信任を得、仕置に任ぜられた。
また紀伊守は秀家の信任も厚く岡山城の改築、文禄地検を行った。
慶長3年(1598)秀吉死後、紀伊守は浮田左京、岡越前守ら武将派によって殺害された。
この屋敷跡の東側の竹やぶの中には、西行法師が諸国行脚のとき、長船にきて腰を掛けたと伝えられる腰掛石がある。
また土師正通寺の現在の客殿は紀伊守が住んでいた邸宅を譲り受け建立したものといわれる。

平成16年1月
長船町教育委員会

 

横に西行の歌碑。
「長船にかち(鍛冶)する音の聞ゆるはいかなる人のきた(鍛)うなるらむ」

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裏にも説明板。
長船氏は清和源氏小笠原氏の一族で信濃から来たと云う。

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【地名「長船村」発祥の地 伝長船家屋敷跡・西行法師腰掛石】

長船家家伝によれば、始祖小笠原左近将監近忠、信濃国長船庄より福岡郷靱負村に来住し、之より村の名「長船村」となる。
その子孫より刀工光忠、長光らあらわれ、兼光は足利尊氏の太刀を鍛えし賞として、一丁四方の屋敷を賜うという。
この跡「城の内」として今に伝わる。
後、長船越中守、長船紀伊守、長船吉兵衛、宇喜多家の家老職につき、関ヶ原の戦いのあとその子孫大庄屋などを務むという。
当、長船家屋敷跡に西行法師腰掛石と名づけられし石あり。

 

屋敷跡の竹やぶ。
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その中に西行法師の腰掛石。
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屋敷跡を北へ、慈眼院の脇を進めば、城の内の土塁が見えてくる。
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備前福岡に来たら、ついでに必ず訪れたい長船城でした。

 

(おまけ)

 

長船村になる前は靱負(ゆきえ)村といった。
備前長船刀剣博物館の北に、天王社刀剣の森・靱負神社がある。

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随神門。

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境内の様子。

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足利尊氏ゆかりの日向松の森。
新田義貞に敗れた足利尊氏は、九州へ下向する途中この地で再起を祈願したと云う。
願いが叶って東上のとき再び立ち寄り、お礼として日向国から持ち帰った松を寄進したとの伝承が残る。

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拝殿。
崇仁天皇を祀る。

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刀剣の森の日向松は、境内裏を通る国道2号線の排気ガスで弱ってるとのこと。
何とかならんかなぁ~