所在地 京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875
山号 卯木山
宗派 本門法華宗
本尊 十界曼荼羅
創建 永仁3年(1295)
開基 日像
日蓮門下の一派である本門法華宗の大本山です。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/ad/c8/j/o0400030014659902992.jpg?caw=800)
【妙蓮寺】
法華(日蓮)宗京都21カ寺の本山で、日蓮上人の孫弟子・日像上人を開基とする。
永仁2年(1294)に、造酒屋の柳屋仲興が日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのが当寺の起こりで、応永年間(1420年頃)に、日存、日道、日隆、日慶らが、大宮通四条下るに伽藍を移築造営し、妙蓮寺と改めた。
その後、度々移転し、天正15年(1587)、豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、現在地に移された。
現在の建物は、天明の大火(1788)後に再建されたものである。
玄関、奥書院の襖絵は、長谷川等伯一派の筆といわれる濃彩の金碧画で、庭内の奇石とともに秀吉が寄進したものと伝えられる。
なお、寺宝には、本阿弥光悦の写筆による立正安国論(重要文化財)などがある。
また、妙蓮寺椿や芙蓉、10月頃から咲き始める御会式桜でも有名で、墓地には画家の幸野楳嶺の墓がある。
京都市
西洞院高辻の交差点。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/bd/99/j/o0400030014659902999.jpg?caw=800)
この交差点の北側に本柳水町があります。
この町内の南東部にはその昔、柳屋妙蓮という酒屋があって、この家屋敷を日蓮宗の僧侶・日像に与えて寺としたのが、妙蓮寺の起源と云う。
山号は、柳の字を二つに分けて卯木山とした。
また、この寺の境内に柳の水という井戸があったことから本柳水町という町名が出来たと云う。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/17/08/j/o0400030014659903004.jpg?caw=800)
この町内に以前ご紹介した菅大臣神社があります。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/34/2b/j/o0400030014659903011.jpg?caw=800)
前回見落とした珍しい狛犬。
右前足の上げて甲の上に玉を載せている。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/db/49/j/o0300040014659903018.jpg?caw=800)
こちらの狛犬は鳥か何かを踏んづけている。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/78/df/j/o0300040014659903023.jpg?caw=800)
拝殿。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/80/c0/j/o0400030014659903025.jpg?caw=800)
5月8日には例祭が行われた。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/f4/0f/j/o0300040014659903033.jpg?caw=800)
話が脱線しましたが、明徳5年(1394)に四条大宮(現在の嵐電四条大宮駅付近)に移転後、天文5年(1536)天文法華の乱で焼失し、堺に避難。
天文11年(1542)大宮元誓願寺通に伽藍を再建。
現在、付近には元妙蓮寺町の町名を残す。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/75/06/j/o0400030014659903040.jpg?caw=800)
天正15年(1587)聚楽第造営の為、豊臣秀吉の命により、現在の地に移転する。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/0f/d2/j/o0400030014659903048.jpg?caw=800)
境内では、十六羅漢石庭や国の重要文化財である襖絵が納められた宝蔵を拝観出来る。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/91/df/j/o0300040014659903053.jpg?caw=800)
赤穂義士遺髪墓がある。
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日本画家幸野楳嶺の墓もあるという。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/6c/e1/j/o0400030014659903098.jpg?caw=800)
山門。
日蓮の孫弟子である日像上人が京都で最初に布教活動をした寺であることを示す碑が建つ。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/7f/78/j/o0400030014659903102.jpg?caw=800)
境内図。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/a3/3a/j/o0400030014659903110.jpg?caw=800)
山門を入ると正面に鐘楼。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/4e/93/j/o0400030014659903116.jpg?caw=800)
鐘楼の東側に塔頭が建ち並ぶ。
奥に赤穂義士遺髪墓がある。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/38/42/j/o0400030014659903121.jpg?caw=800)
御会式桜。
10月13日の日蓮大聖人御入滅の日、前後から咲き始め、年をまたいで、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろ満開となる珍しい桜。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/27/49/j/o0400030014659903129.jpg?caw=800)
御会式桜の花びらを持って帰ると恋が成就するという。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/8d/a0/j/o0400030014659903135.jpg?caw=800)
手水舎。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/20/5b/j/o0400030014659903140.jpg?caw=800)
本堂。
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/42/89/j/o0400030014659903145.jpg?caw=800)
本堂の西側。
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/e8/5a/j/o0400030014659903150.jpg?caw=800)
境内の西側にある塔頭本妙院。
庭園が素晴らしいらしい。
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/58/08/j/o0300040014659903155.jpg?caw=800)
残念ながら拝観出来なかった。
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/a1/a5/j/o0400030014659903159.jpg?caw=800)
十六羅漢石庭を見に行く。
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/93/31/j/o0400030014659903164.jpg?caw=800)
余の花は みな末寺なり 妙蓮寺
妙蓮寺椿は咲いてなかった…
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/ad/2e/j/o0300040014659903172.jpg?caw=800)
玄関から入る。
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/a3/a6/j/o0400030014659903176.jpg?caw=800)
高い天井。
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/02/0f/j/o0400030014659903183.jpg?caw=800)
中は撮影出来なかったので少しだけ…
奥書院へ行く廊下と庭。
奥書院には幸野楳渓の作の四季の襖絵が描かれている。
近隣のアルバイトの大学生が、光の加減で色が変わるとか何とか、蛍光灯を点けたり消したりして説明してくれました。
こんなアルバイトしたかったなぁ~と感心。
![イメージ 28](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/54/8c/j/o0400030014659903186.jpg?caw=800)
こちらは十六羅漢石庭。
![イメージ 29](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/2d/9e/j/o0400030014659903193.jpg?caw=800)
説明。
![イメージ 30](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/2f/83/j/o0400030014659903200.jpg?caw=800)
桂離宮の造庭した妙蓮寺の僧 玉淵坊日首の作で、白河砂に十六の石を配置し、北山杉を植え込んだ庭園である。
近年になって修復されているが、。中央の大きな青石は、豊臣秀吉より賜わったものと伝え、牛が伏せている姿に似ているため、臥牛石といい、「宝命牛玉」という版木が残っていることから、祝儀の時に愛でられたものであろう。
白砂は、宇宙を現し、十六の石は、苦悩する大衆の中から立ち上がって世界を救済すると妙法蓮華経に予言された地涌の菩薩(大地から涌現する菩薩)を表現している。
宇宙大法真理(仏)と個人の小宇宙(仏性)と交響することを感応道交というが、白砂の波は、その交響する波動を表現している。
しかし、仏教庭園は、庭園そのものが宗教であり、観る側に自由な感応を呼びさますものであるので、説明にとらわれる必要はない。
中央の石が臥牛石といい、豊臣秀吉公によって伏見城から移された石と云う。
仏が寝そべっているとも。
![イメージ 31](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/ed/80/j/o0400030014659903203.jpg?caw=800)
もう一度十六羅漢石庭。
![イメージ 32](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/0b/52/j/o0400030014659903209.jpg?caw=800)
宝物殿では、長谷川等伯一派の襖絵が見れます。
国の重要文化財でこちらも当然撮影禁止。
![イメージ 33](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/88/62/j/o0400030014659903212.jpg?caw=800)
最後に御朱印。
![イメージ 34](https://stat.ameba.jp/user_images/20191203/22/kanezane2/f7/86/j/o0268040014659903217.jpg?caw=800)
桜は秋から越冬し春にかけて咲き誇るのであれば、椿の咲いている冬に来た方がよかったかも。
訪れる時は、妙顕寺、妙傳寺、妙満寺等似たような寺があるのでお間違い無く。
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