149 小牧山城 その1(尾張国) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

登城日 2006年10月15日(日)晴
難易度 ☆
場所   愛知県小牧市堀の内1-1

 

小牧山城は、濃尾平野の真ん中にある標高85.9mの小山にありました。
遠くからも見えます。
東名高速道路からも見えますね。
【小牧山城の歴史】

≪築城から一度廃城になるまで≫

織田信長は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)の桶狭間の戦いに勝利したのち、念願の美濃国併呑を実現すべく、早くもその3ヶ月後から美濃攻めを開始した。

永禄5年1月15日(1562年2月18日)には徳川家康と清須城においていわゆる清洲同盟を結び、完全に東側の脅威がなくなった。

ここにおいて、信長は全力で美濃を攻める体制をつくるために、本拠地ごと北方へ前進する策を採った。

この新しい本拠地に選ばれたのが、広大な濃尾平野の中に孤峰を保つ小牧山であった。

早速、丹羽長秀を奉行として小牧山山頂に城を築き、永禄6年7月には主要兵力をそっくり小牧山城に移した。

この小牧山移転にはあるエピソードがある。

清須から北方へ移転するという噂が織田家中でささやかれ、誰もが不服に思っていた。

そこで信長は一計を案じ、小牧山よりさらに北方の丹羽郡二ノ宮山(現・愛知県犬山市楽田地区二ノ宮の本宮山)に城を築き移転すると布告した。

果然清須城内は反対一色となった。

信長は反対意見が十分に出たころを見計らい、家中の意見を吟味した結果として、移転先を小牧山に変更することを申し渡した。

すると、今度はほとんど反対意見もなく、皆小牧山への移転に同意したという。

この計略は人間心理をたくみに利用したものであり、似たようなエピソードは古今東西に多数あることから本当かどうかはわからないが、それでも応永年間以来約150年間にわたって国府として栄えた清須から他の地へ移ることへの抵抗が大きかったことを想像させる。

信長が築いた小牧山城の構造は、山全体(約21ha)を城域とし、多数の曲輪と重臣の館から成っていたということがわかっている。

また、山麓南側から西側にかけては、清須から移転させた城下町が形成された。

移転後、織田軍は小牧山城を本拠地として美濃への侵攻を繰り返し、ついに永禄10年8月15日(1567年9月17日)、美濃稲葉山城は落城、信長は稲葉山城を岐阜城と改めて移住した。

これにより、小牧山城は約4年間の役目を終え、廃城となった。

≪小牧・長久手の戦い≫

天正12年(1584年)、豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、家康がいち早く小牧山に目を付けて本陣を置き、遅れてきた秀吉を悔しがらせたといわれる。

この時、信長の築いた城跡の土塁、空堀などに大規模な改修が施され、「城」とみなせるほど強固な陣地が築かれた。

秀吉の大軍も容易に手が出せず、焦った池田恒興や森長可が三河への無謀な長駆攻撃を敢行し、長久手方面へ突出して壊滅する事態となった。

急造「小牧山城」は、徳川勝利の一翼を担ったことになる。

≪その後≫

山と城跡は、江戸時代を通じて尾張徳川家の領地として保護を受け、管理された。

元和9年(1623)には、尾張徳川家が上街道を整備する為、山の南側にあった町を東に移転させた(移転先に作られたのが、小牧宿である)。

明治維新後も尾張徳川家の所有地であったが、昭和2年(1927)に、時の当主徳川義親によって国に寄附された。

同年、国の史跡に指定される。 現在でも山中の各所に土塁、空堀、井戸跡、曲輪、虎口や若干の石垣などが残り、往時をしのぶことができる。

なお現在小牧山山頂にある「小牧城(小牧市歴史資料館)」は、1967年に建設されたものである。

また1947年~1997年までは、山の東側の現在の史跡公園の位置に小牧中学校があったが、現在は別の場所に移転している。

 (wikipediaより)

 

小牧山城を山麓から見る。
もうちょっといい場所から撮れば良かった。

イメージ 1

小牧山は公園になっています。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_200?1546011491_

遺構が結構残っています。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_199?1546011491_

山麓を囲む土塁。

イメージ 2

土塁の断面。

イメージ 3

土塁と虎口。

イメージ 4

解説板。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_201?1546011755_

小牧山城へ登る。
観音洞。

イメージ 5

説明板。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_202?1546011821_

削平地がいくつかある。

イメージ 6

空堀。

イメージ 7

土塁。

イメージ 8

土塁に囲まれた曲輪。

イメージ 9

本丸の石垣。
信長時代のものという。

イメージ 10

別角度。

イメージ 11

本丸跡には模擬天守が建つ。
小牧市歴史資料館になっている。

イメージ 12

模擬天守は、名古屋市に住んでいた実業家の平松茂氏が私財を投じて建てたもの。
聚楽第の飛雲閣がモデルになっているという。

イメージ 13

模擬天守から城下を見る。

イメージ 14

かつての城下町の様子。

イメージ 15

時間の関係上、じっくり見ずに帰って来てしまった。
もったいなかった。