登城日 1回目 1993年頃
2回目 2006年 3月21日(火)曇
難易度 ☆☆
場所 兵庫県姫路市夢前町宮置
後期赤松氏の本拠地 |
嘉吉の乱で一旦は滅んだ赤松氏が政則の代に再興を果たし、築城。
その後、豊臣秀吉の播磨侵攻まで約100年間、その領国支配の居城とした城。
置塩城は、書寫山圓教寺の奥にある。
姫路駅から雪彦山か前之庄行きの神姫バスに乗り、宮置で下車。
本数が少ないので注意。
東の山へ向かって歩く。
橋を渡り、川沿いを北に進むと、登城口がある。
その北側には櫃蔵神社がある。
置塩城平面図。
途中石垣らしきもがありました。
炭焼窯跡のようだ。
まぎらわしい。
南曲輪群。
置塩城に到着。
茶室跡下の石垣。
その上の茶室跡。
案内図。
二の丸下の石垣。
南西曲輪かなぁ。
わからなくなってしまいました。
南西曲輪の大石垣。
三の丸跡。
台所跡。
二の丸北曲輪群。
曲輪は数段に分かれ、結構広い。
南側には石垣が残っているらしいが、崩落防止でブルシートが被さっていた。
三の丸と二の丸の間の空堀。
二の丸。
石積みが残る。
二の丸下には所々石積みが。
二の丸と本丸との間の大堀切。
本丸下の石垣。
本丸。
本丸に残る石積み。
本丸南曲輪群。
本丸から城下を見下ろす。
かつては庭園を備えた大城郭であったが、秀吉によって城破りの憂き目にあり、現在のようになった。
石垣等は姫路城の築城の際に持ち運ばれたそうだ。
現在、姫路城のとの一門は、置塩城の大手門を移築したものと言われている。