櫛崎城(長門国) | 三日月の館

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登城日 2006年 8月 4日(金)晴
難易度 ☆
場所  山口県下関市長府宮崎町

 

櫛崎城(串崎城とも書く)は遠く天慶三年(940)西海に勢力を振るった藤原純友の配下稲村平六景家がこの地に拠ったとも伝えられているが、確かな記録はなく、一応大内氏の重臣、内藤左衛門大夫景春が築城したものとされている。
後、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦において、豊臣方に荷担した毛利氏は、防長二州に減封され、これにともなって、山口に居を構えていた毛利秀元公が長府藩五万石の支藩としてこれを再築し入場、爾来、雄山城と称した。
元和元年(1615)に徳川幕府の定めた一国一城令によってとりこわされ、隣接する県立豊浦高等学校の敷地に居館を置いた。
当時の城郭図鑑によると松崎口、浜之坂口、三軒屋口に櫓建てがあり、現在櫛崎城址の石碑が建てられているあたりが、松崎口で大手門二重櫓の址とみられている。(現地説明板より)
松崎口の石垣。
案内図を持ちながら撮影をしたので、隠れてしまった。
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石垣は続いています。
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角は算木積みでしょうか。
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県立豊浦高等学校がある場所に居館がありました。
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下の方は古い石垣が結構残っています。
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登ってみる。
天守台が見えました。
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近づいてみる。
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天守台は関見台公園となっています。
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登ってみる。
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本物っぽい。
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櫓台。
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天守台から関門海峡を眺める。
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天守台の下の方は本物っぽい。
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天守台を後にする。
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遠目にも良く見える。
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もう一枚。
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(おまけ)


長府毛利邸。
明治になって、第十四代当主毛利元敏公によって建てられた。
説明板。
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その横の堀跡。
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毛利邸入口。
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毛利邸玄関。
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毛利邸案内図。
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庭から。
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長塀小路。
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菅家長屋門。
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長府というくらいなので国府があり、古くから長門国の中心であった。
街並みはちょっとした観光地として散策に適していた。
しかし、本日は暑すぎてゆっくり見れなかった。