147 高天神城 その2(遠江国) | 三日月の館

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登城日 2回目 2018年 8月26日(日)晴
難易度 ☆☆
場所   静岡県掛川市上土方・下土方

 

「高天神を制するものは遠州を制する」と言われた難攻不落の城です。

 

JR掛川駅。

以前も書いたが、東海道新幹線の駅で木造駅舎という珍しい駅。

バスの待ち時間を利用して南口にある掛川観光協会ビジターセンター「旅のスイッチ」へ。

ここで続日本100名城スタンプ22城目をGet!

北口のバスのりばへ。

9時27分発しずてつジャストライン掛川大東浜岡線「浜岡営業所」行に乗る。

9時48分土方バス停下車。

470円。

バス通りにある標識。

前回とは電柱の位置が変わった。

高天神城遠景。

近く感じるようになった。

渡辺金太夫の屋敷跡。

標柱の代わりに説明板になった。

案内図はこんな所にあったんだ!

案内図。

ここを右折。

南口駐車場。

御手洗櫓で準備。

高天神城想像図。

高天神城入口。

追手門跡スギ。

追手門跡。

説明板。

追手門跡を見下ろす。

着到櫓跡へ。

着到櫓跡。

登って行く。

二の丸と三の丸の分かれ道。

今回は二の丸へは通行止めだった。

必然的に三の丸へ向かいます。

三の丸へ。

三の丸。

城内の武将が宿営した所であるが、元亀2年より天正2年にかけて、武田勢が来攻当時、小笠原与左衛門清有が三の丸の大将として、城兵250余騎を従えて守備した。

別名、与左衛門平ともいう。

土塁。

かわやでござる。

本丸へ向かう。

御前曲輪の西側下を進む。

御前曲輪。

模擬天守跡。

御前曲輪からの眺め。

やはり茶どころですね。

元天神社。

本丸へ。

本丸。

城址碑。

説明板。

 松幹化石ってナンデスカ?

三の丸からの虎口。

北側の虎口。

本丸を振り返る。

虎口は枡形虎口だった。

的場曲輪へ下りて行く。

本丸下の大河内政局石窟へ。

崩落したようで、大分形状が変わっている。

400年以上風雪に耐えてきたのに、前回の訪城からたった10年でこの有様。

最近の異常気象が原因なのだろう。

このままだと、あと数十年で高天神城は融けてしまうのではと心配。

説明板。

的場曲輪。

的場曲輪から本丸を見る。

下りて行く。

三の丸下分かれからの道。

的場曲輪から下りてきた所を振り返る。

鐘曲輪を通り、こんどは二の丸、西の丸へ。

鐘曲輪。

搦手門への下山口。

高天神城跡略図。

前回と違うのは、鳥居が無くなっていること。

高天神歌碑。

狛犬。

撫で牛?

井戸曲輪。

かな井戸。

高天神城合戦将士英魂の碑。

西の丸へ登って行く。

西の丸跡。

西の丸は岡部丹波守真幸が守備していた時期があり、丹波曲輪とも呼ばれている。

高天神社。

西の丸の土塁。

西の丸跡と馬場平の堀切。

馬場平へ。

馬場平。

馬場平から見た遠州灘。

甚五郎の抜け道。

天正9年3月落城の時、23日早朝、軍艦横田甚五郎尹松は本国の武田勝頼に落城の模様を報告する為、馬を馳せて、是より西方約1000mの尾根続きの険路を辿って脱出し、信州を経て甲州へと抜け去った。

この難所を別名犬戻り猿戻りともいう。

「馬場」とは番場のあて字で、見張番所があったと思われる。

昔はこのようにあて字が多い。

山の高い所を馬場と言われる事が少なからずあるようです。

西の丸へ戻る。

井戸曲輪へ下りて行く。

二の丸へ。

二の丸。

西の丸北側下の細長い曲輪。

袖曲輪跡。

堂の尾曲輪との間の堀切。

西側から下りて行く。

本間八郎三郎氏清、丸尾修理亮義清戦死の址。

天正2年戦死者の碑と社。

袖曲輪と堂の尾曲輪の間の堀切。

隍堀跡。
空堀が井楼曲輪を廻る。
見どころです。

(前回建っていた堀跡を示す木碑は倒れていた。)

説明板。

横堀を進む。

夏は草茫々ではっきりしない。

北端。

井楼曲輪へ登る。

井楼曲輪と堂の尾曲輪の間の堀切。

下りて見る。

堂の尾曲輪。

切岸。

堂の尾曲輪から袖曲輪を見る。

堂の尾曲輪を振り返る。

説明板。

もう一度横堀を見る。

長くなったので下城します。

鐘曲輪へ戻る。

搦手へ下りて行きます。

三日月井戸。

説明板。

覗いてみたら金魚が泳いでいた。

搦手門跡。

また遠州を制圧しました。

高天神城よさようなら。

最後かも。

バス停に戻って来たのは11時30分だった。

11時10分に行ったばかりで、次は11時55分。

バス通りを掛川駅方面へ進む。

小笠橋の前に城址碑。

大東北公民館。

結果的にはここでスタンプが押せた。

(ちなみに平日の場合はバスが11時39分発なので押せなかった。)

高天神城付近案内図。

裏は年表。

城東中の校門。

立志の城が建つ。

最後にスタンプ。

素人には良く解らないが、武田も徳川も容易に落とせなかった高天神城。

名城なのでしょう。