登城日 2018年 8月18日(土)晴
難易度 ☆
場所 高知県南国市岡豊町八幡
四国の覇者、長宗我部氏の居城です。
土讃線の車窓から見た岡豊城。
JR高知駅。
歓鯨。
高知駅バスターミナルからとさでん交通バス田井線13時13分発に乗って13時38分岡豊山バス停下車。
高知県歴史民俗資料館へ向かいます。
家紋がはためく。
バス停から約10分で到着。
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長宗我部元親。
阿波中富川合戦の時の本陣。
高知城城下町模型。
高知県なんてなかなか来れない所なのに、目と鼻の先にある高知城をパス。
勿体な~い。
長宗我部元親 飛翔の像。
登城開始!
ニノ段へ向かいます。
石垣。
ニノ段。
ニノ段は、堀切によって詰からへだてられた曲輪(土塁や堀などで囲まれた城の一区画)で、長さ45m、最大幅20mのほぼ三角形で、南部には高さ60cmの土塁が30mにわたり残っていました。
昭和60年(1985)と昭和63年(1988)に行われた発掘調査により、土塁は幅。が約3m、高さが1mであったことがわかりました。
建物跡の遺構などは発見されませんでしたが、焼土や炭化物を含む土の中からは、瓦や土師質土器、陶磁器など多くの遺物が見つかりました。
深いところでは、地下1.8mから遺物が出土しており、ニノ段は詰などから運ばれた土により造られ、土塁に囲まれた広い空間は、兵溜まりの場所と考えられます。
東端へ。
垂れ下がる枝の先端に見える小さな山は比江山城。
その麓に土佐国分尼寺があったと云う。
右側のこんもりとした森は土佐国分寺。
比江山城と土佐国分寺の間の田んぼに土佐国府があった。
詰へ向かう。
土塁跡。
空堀を渡る。
空堀。
登って行く。
詰下段。
詰下段建物跡。
説明板。
石垣。
ニノ段を見る。
三ノ段へ行けます。
三ノ段。
詰を見上げる。
三ノ段は詰の南と西を囲んでいる。
三ノ段を西へ進む。
土塁。
説明板。
三ノ段西側。
建物跡。
説明板。
詰へ登って行く。
振り返る。
何で本に載っているような角度で撮らなかったんだろう?
詰。
詰は岡豊城跡の中心となる曲輪で、標高97mの岡豊山の頂上部にあります。
1辺40mのほぼ三角形状で、東には二ノ段、南から西にかけては三ノ段、四ノ段が詰を取り巻くように造られています。
発掘調査では、石敷遺構(建物の基礎)と礎石建物跡が発見されました。
また、地鎮の遺構や溜井(雨水を溜めた井戸)とみられる土杭(穴)、柱穴なども発見されています。
出土遺物には、「天正3(年)(1575)…」の年号のある瓦をはじめ、土師質土器、陶磁器、銭貨、懸仏などがあります。
期間限定で櫓が建っている。
これがあるから急いで来たのです。
脇に礎石建物跡。
説明板。
地鎮の遺構説明板。
櫓の裏に三ノ段へ下りられる所。
小さな城址碑。
櫓に登る。
中には模型がありました。
西を見る。
三ノ段の土塁が見えた。
東を見る。
北を見る。
詰を見下ろす。
詰へ出る。
城内社。
櫓を振り返る。
二俣城を思い出す。
下りて行く。
三ノ段礎石建物跡の脇を進む。
さらに下りて行く。
四ノ段北部。
虎口。
四ノ段北部を振り返る。
枡形虎口を進む。
土佐では岡豊城で初めて採用されたと云う。
石垣。
少し進んで振り返る。
歴史民俗資料館へ下りて行く道への虎口。
四ノ段南部。
虎口を振り返る。
四ノ段南部の先端。
また振り返る。
詰を見る。
岡豊城標柱。
南を見渡す。
下にも小さな曲輪がある。
振り返る。
標柱と櫓。
二度と見れないだろう。
下りて行く。
←伝厩跡曲輪。
九十九折り。
また曲がる。
橋があるということは…
竪堀なんですが、草茫々。
ここは少し解るかな。
西へ進む。
歴史民俗資料館からの道へ出ました。
右、急坂。
左、緩やかな坂。
もちろん右です。
伝厩跡曲輪。
坂崎紫瀾の岡豊公園征清凱旋碑。
説明板。
出城としての役割をしていた。
模型で。
高知市街の方を見る。
歴史民俗資料館へ戻る。
途中で橋。
竪堀どころか横堀も。
横堀。
竪堀を見上げる。
一周しました。
振り返る。
左の道が詰への近道。
でも、右へも進むべき。
味元家住宅主屋。
国の登録有形文化財。
下山途中で脇道へ。
伝香川五郎次郎親和の墓。
バス停から少し一宮方面へ戻る。
左へ曲がる。
ここの奥。
伝長宗我部一族の墓。
岡豊小学校。
小学校の東側に城下町があった。
最後にスタンプ。
冬にもう少しじっくり見たかった岡豊城でした。