3月28日(木)~3月29日(金)連休が取れたので、桜が見頃だろうと西都原古墳群に出かけることにしました。菜の花とのコラボ狙いですが

 

<前回(2022年3月)の西都原古墳群。桜はまだ咲き始めだった>

 

もうひとつ、「鬼の窟」の天井岩を確認しておきたくて。石貫神社を訪ねていながら件の岩を見損ねたことがどうにも心残りだったのです。

 

【木花之佐久夜毘売の伝説を追った前回の旅】

 

1日目が雨予報なので西都原古墳群は2日目に行くとして、「さて、どうしよう?」

久しぶりに大好きな江田神社を訪ねようかと、

 

【伊耶那岐命の禊の地に鎮座する江田神社】

  

その近辺を調べていたところ興味深い話をみつけました。

江戸時代初期の神道家・橘三喜の「諸国一宮巡詣記」に、檍(あわき)が原の松原の海辺に伊弉諾命の身そぎ給う上・中・下の三つの瀬ありと伝えし云々と記されているとか。3つの瀬にはそれぞれ司る神社があるという。

 

伊耶那美命を黄泉の国から連れ戻すことに失敗した伊耶那岐命が、禊祓いをされたという日向の橘の小戸の檍原。「上の瀬は流れが速い、下の瀬は流れが遅い」と中の瀬に身を沈められたと「古事記」には記されており、この中の瀬が禊池とされているのですが、

 

<禊池((2007年9月30日撮影)>

 

他の2つの瀬にも伝承地があったとは・・・

「これはぜひとも訪ねてみたい!」というわけで、宮崎春旅は神話探訪(やり残し回収)の旅となりました。

 

前の晩日田の実家に泊まっていた相方とJR田代駅で合流、鳥栖ICから九州道に。

 

<山江SAの桜(熊本県の開花宣言は3/26だった)>

 

えびのJctから宮崎道に入り宮崎ICまで走ります。

 

<霧島連山は雲の中>

 

まずは腹ごしらえと相方の希望で「栄養軒」さんへ。

 

<栄養軒>

 

栄養軒さんは宮崎神宮一の鳥居そばにあるラーメン屋さん。券売機で食券を買おうとしたら、初来店にも関わらず相方は迷わず「めんデラ」をプッシュ。「めんデラって何?」と思ったら麺大盛のラーメンだった。(麺デラックスの略らしい)相変わらず食のリサーチに抜かりないヤツだなぁ。

その相方から、スープは豚骨ベースと聞いていたのですが―

 

<栄養軒のラーメン>

 

あれ?白くない。豚骨特有の臭みもなく、すっきりとしたスープ。卓上のにんにく醤油ダレを加えるとまた違う味わいに。これはちょっと食べたことがないゾ?

今まで宮崎にラーメンのイメージはなかったけど、いや~宮崎ラーメンすごいです。また食べたい!よだれ

 

ここまで来て神武さまにご挨拶しないのは心苦しいのですが(すみませんあせる)、時間の都合で最初の目的地に向かいます。「時は金なり」ということで、マリーナICから一ッ葉有料道路に。

 

<一ッ葉有料道路を快走>

 

道路の右手には日向灘が広がっていますが、生憎の空模様で展望はイマヒトツ。天気が良ければ一ッ葉PAに立ち寄るんだけどな。

 

住𠮷ICまで走り住𠮷神社へ。

 

<住𠮷神社>

 

こちらが上の瀬とされる聖地です。

 

<お隣は宮崎市フェニックス自然動物園>

 

住𠮷神社は海の神、航海の安全の神として信仰される古社。創建は古く、2400年前の考安天皇年間(紀元前427年~紀元前291年)と伝えられています。

大阪の住吉大社、福岡の志賀海神社とともに住吉三社として名高く、第14代仲哀天皇の皇后・神功皇后の三韓平定の折は神威を輝かせたとも。

 

<社号標と桜>

 

御祭神は伊耶那岐命の禊によって生まれた表筒男命、中筒男命、底筒男命の三神(住吉三神)。

 

<桜近影>

 

社殿等に見られる「元」の文字を円で囲った社紋は、

 

<手水舎の水鉢にも見られる>

 

<「元」の文字を円で囲った社紋>

 

住吉三神が誕生された場所であるという由緒から、全国に二千余ある住吉神社の元宮を表す標(しるし)と言われているそうです。

 

伊耶那岐命が禊をされた聖地とあって境内はきれいに掃き清められ、辺りは瑞々しくも清々しい空気に満たされおり、

 

<住𠮷神社境内>

 

思わず「きれい・・・」と見とれてしまいました。

参道を進んで御社殿へ。

 

<御社殿>

 

拝殿前にて二拝二拍手一拝。

 

<拝殿に掛かる扁額>

 

心身共に清められる思いがしました。

 

御本社の向かって右には天照皇大神宮、

 

<天照皇大神宮>

 

【天照皇大神宮(旧相殿社)】

御祭神:萬幡豊秋津師比売命、天照皇大神、天手力男命、思金命・・・太陽神

天照皇大神は伊弉諾命が禊祓をされ、左目を洗われたときになり出たとされる。当社は古くは住𠮷三社大明神とも呼ばれ、三社造りの社殿に向かって右側の社の相殿に奉祀されていた。

また当社では三十三番の神楽が盛んに舞われていたことから、天岩戸開とも呼ばれ、その歴史は大変古いと言われている。<境内ご由緒より>

左には阿蘇神社、諏訪神社、大年神社が祀られています。

 

<阿蘇神社、諏訪神社、大年神社>

 

【阿蘇神社(境内末社)】

御祭神:阿蘇都姫命、健磐龍命、速甕玉命・・・国土開拓の神、農林業の神

住𠮷神社境内末社として古くから祀られてきた神社である。

【諏訪神社(旧相殿社)】

御祭神:建御名方神、事代主神・・・風の神、武神

社伝によれば、第二十七代安閑天皇の御代三年の奉鎮。神功皇后の新羅遠征の折り神風を吹かせ、風が嵐を呼ぶ武器となったことがわかる。「住𠮷、諏訪ノ二神ヲ以テ補佐ニナシ給ウ」と伝えられていることから、左側の相殿に祀られることとなったと思われる。

【大年神社(旧別社)】

御祭神:大年能神・・・稲作を中心とする農業、農作物の神

住𠮷神社境内別社として奉祀されていた神社である。<境内ご由緒より>

全体として比較的新しい印象を受けるのは、寛文2年(1662年)外所(とんどころ)地震の津波で大被害を受け社勢が衰退、近年になって全国の住吉社の元宮、古事記・日本書紀ゆかりの地として再興されたからの模様。

 

御本社の前には真砂があります。

 

<樽に入った真砂>

 

伊耶那岐命の禊祓いにより海中から生まれた神さまを祀る神社ゆえ、波打ち際の海水で清められた砂を持ち帰り(浜下り)、玄関前や家の四角、井戸埋めの際不幸事の後に砂をまいて清める風習があるとか。

わたし達がお参りしているとき、丁度新しい御砂が運ばれてきまして。新鮮な(?)真砂をいただくことができました。ありがたや・・・

 

<いただいた真砂(ご丁寧に袋まで用意されている)>

 

日向灘を臨む沿岸に鎮座する当社。裏にある月見ヶ丘梅園に行けば「浜下り」の浜が見えるかな?と思ったのですが、雨が強くなってきたので諦めました。

 

・住𠮷神社:宮崎県宮崎市大字塩路3082

・栄養軒:宮崎県宮崎市江平西2-1-6