予定していた3つの古墳を見学したところで、「鬼の窟古墳」にまつわるスポットをめぐるため「記紀の道」を歩きます。
「記紀の道」とは「古事記」「日本書紀」に記される日向神話ゆかりの伝承地をたどるルート。男狭穂塚・女狭穂塚からコノハナサクヤ姫を祀る都萬神社まで、およそ4Kmの散策路です。
<「記紀の道」の案内標識>
車で第二古墳群に移動してから、
<第二古墳群>
ユキヤナギの咲く道を進み、
<ユキヤナギに縁取られた道路>
まずは西都原第90号墳へ。
<第90号墳(大山祇塚)>
第90号墳はコノハナサクヤ姫の父神・オオヤマツミノ神の墳墓といわれ、大山祇塚とも呼ばれています。
4世紀後半の築造とされる全長96mの柄鏡式前方後円墳。男狭穂塚、女狭穂塚に次ぐ大きさだそうで、第二古墳群の中でも一際存在感があります。
前方部に周ると祭壇のようなものが。
<前方部に設けられた祭壇(?)>
男狭穂塚・女狭穂塚が柵越しであったことを思うと、こんなに間近で拝見できるなんてありがたい・・・ しっかり参拝させていただきました。
<大山祇塚に咲いていた桜の花>
案内標識に従い歩いて行くと、長い石段が現れました。
<石貫階段>
思わず「うおっ・・・!」と声がもれましたが、眼下に広がる風景に改めて古墳群が台地上にあることを実感。
ちなみにこの石段、相方が数えたところ169段あったそうで。(ご苦労!) 下り切り振り返ってみると
<石貫階段を仰ぐ>
天と地をつないでいるようで、はっとしました。
石貫階段から間もなく見える赤い鳥居。こちらがオオヤマツミノ神を祀る石貫神社、
<石貫神社>
「鬼の窟」から抜き取り放り投げた石が落ちたとされる場所です。「石貫」という地名もその故事に由来するとか。
<素敵な社号標>
手水舎で身を清め、
<手水舎>
オオヤマツミノ神さまにご挨拶した後、
<石貫神社社殿>
件の天井石を探します。今でも大切に保存されているとのことですが、あれ?境内に見当たらない・・・?もしかして御本殿の中・・・?
帰宅後調べたら鳥居の左側にあることが判明しまして。ああっ、そういえば石があったような・・・
つくづくツメの甘さが悔やまれる・・・
さて、「記紀の道」を歩く目的は(一応)果たせたのですが、
<「記紀の道」案内表>
「えっ、「児湯の池」この近くにあるの?!」
思わず足が向かう・・・(笑)←古事記ファン
「児湯の池(こゆのいけ)」は、コノハナサクヤ姫がお産みになられた三皇子の産湯に使われたという湧水の池。この辺りは西都原台地からくる湧き水が豊富なのだとか。
<児湯の池>
地元では「洗ん子(あれんこ)」と呼ばれ、池のほとりにはお産の神さま・あおしま様を祀るお社が。そのせいか静かに水を湛える様が、なんともやさしげに見えました。
「児湯の池」からふと道の先に目を向けると大きな楠が。引き寄せられるように近づいてみると
<無戸室跡>
そこは無戸室(うつむろ)跡。コノハナサクヤ姫が三皇子をお産みになられたと伝えられる場所です。姫が身の潔白を明かすため産屋に火を放ったという故事からか、地元では「火住殿(ひじゅどん)」とも呼ばれるそうです。
以前訪ねた木花神社のようなそれらしい跡はないのですが、
大楠がどっしり根を張るその場所は生命力がみなぎるようで、「なるほど」と思えました。
<無戸室跡にそそり立つ大楠>
児湯の池に無戸室跡、神話の世界を目の当たりにしてもう大感激。
この先には二神が出会った逢初川、新婚生活を送られた八尋殿跡などあるらしいのですが、さすがにこれ以上進んだら帰れなくなる・・・
「鬼の窟」の石のこともありますし、またゆっくり「記紀の道」を歩けたらなぁと思います。