標高70mほどの洪積層の台地上(西都原台地)、東西2.6km、南北4.2kmに渡り319基の古墳が分布する西都原古墳群。これらの古墳は古墳時代初期(3世紀末~4世紀初め)複数のグループの首長(豪族)によって築造が開始され、5世紀前半それらを統一するように男狭穂塚・女狭穂塚が築かれ、そして6世紀末巨石を用いた横穴石室をもつ鬼の窟古墳を最後に築造が終了したという―

 

男狭穂塚・女狭穂塚から鬼の窟古墳へ。菜の花畑に沿って歩いて行くと、黄色い絨毯の上にこんもり墳丘が見えてきました。

 

<菜の花畑の向こうに見える鬼の窟古墳>

 

わかりやすい!爆  笑

 

西都原古墳群第206号墳、通称「鬼の窟(いわや)古墳」。

その数の多さからか西都原古墳群にある古墳は通常番号で呼ばれていますが、この206号墳に関しては通称の方が定着しているとか。

 

<鬼の窟古墳>

 

その名の由来にはこんな昔話があるそうです。

 

『コノハナサクヤ姫に恋した鬼が、父の大山祇命(オオヤマツミノミコト)に嫁取りの相談をしました。困った大山祇命は、一夜にして大きな石で岩屋を造れたならば娘を嫁にやろうと約束しました。奮起した鬼は夜明け前に岩屋を完成させましたが、鬼が一仕事終え寝ている間に、様子を見に来た大山祇命が「これは大変!」と天井岩を1枚抜き取り放り投げてしまいました。結局完成していないことを理由に、鬼は結婚を断られてしまいました。

 

鬼にはちょっとかわいそうなお話ですね。わたしがこちらの古墳を訪ねたのはコノハナサクヤ姫の伝承地と聞いたからなのですが―

直径37m、高さ7.3mの円墳。南九州最大級の横穴式石室をもち、墳丘の周囲に外堤を廻らせた形状は全国的にも例がないという。 

 

<円墳と外堤>

 

いやはや、立派な古墳です。

 

<外堤から見た西都原古墳群の風景>

 

石室の内部は見学可能ということで、早速入ってみます。

 

鬼の窟古墳の石室は全長12.4m、玄室は奥幅1.75m、前幅2.45m、長さ4.90m、高さ2.15m。石室は羨道(せんどう)と玄室に分かれています。(※メモ1)

 

<※メモ1>

横穴式石室の構造

巨石を用いて4~5段に積み上げた壁面を緩やかに内側に傾け、

 

<石室壁面(床面は保護のため20cm埋め戻し似た川原石を敷いている)>

 

天井岩で覆っています。

 

<石室天井>

 

石材は砂岩の塊石とのことですが、玄室奥壁最下段に使用されている石は露出した部分だけでも幅2.1m、高さ1.0mという巨大さ。いったいどこから運んできたのでしょうね?近くに切り出せそうな山は見当たらないのだけど・・・

こちらの石室からは木棺に使用されたとみられる鉄釘や馬具、須恵器、土師器等が出土しており、3回以上の埋葬(※メモ2)が行われたと考えられているそうです。

 

<※メモ2>

墳丘の上から穴を掘る竪穴式古墳は石棺を納めた後埋め戻すため単独葬となるが、横穴式古墳は墳丘の側面から穴を掘り、横穴を閉塞石で塞ぐので追葬など多埋葬することが可能。

さて、伝承にある件の箇所はどこなのかな?玄室の天井を見上げ、欠けた部分を探しますが見つからず・・・

後で知ったのですが羨道部にあるそうです。

これは再訪決定かな?えーん ←ツメが甘い・・・汗

 

・西都原古墳群:宮崎県西都市大字三宅西都原 HP