県道56号線から国道504号線に入り北へ、高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)に向かいます。すぐ近くには鹿児島空港があり、「こんな開けたところに本当に御陵があるのかな?」と思ったのですが、やがて右手にこんもりとした山が見えてきました。

「高屋山上陵」と刻まれた立派な石碑があるところから、南側のこちらが表参道だと思われるのですが、

 

<高屋山上陵南参道入口>

 

入口にチェーンが張られていたので(もしかしてチェーン手前スペースが駐車場?)、西参道にまわることに。 

 

<国道504号線にある西参道への案内標識>

 

駐車場に車を止め、杉木立の下緩やかに伸びる参道を歩きます。

 

<高屋山上陵西参道>

 

幸い雨はまだ降る気配がなく、坂の上からは桜島がきれいに見えました。

 

<西参道から見た桜島>

 

爽快・・・!キラキラ

 

5分ほど歩いて御拝所入口に到着。

 

<御拝所への入口>

 

「この先に彦火火出見尊さまが眠っておられる・・・」そう思うとちょっと緊張してきた・・・あせる

心を静めようと深呼吸したら、山の清々しい空気に包まれ、身も心も清められるような思いがしました。落ち着いたところで、いざ御拝所へ。

 

<御拝所>

 

「ここが山幸彦の御陵・・・」

小高い木々の下、日の光に照らされ白く浮かび上がる鳥居がなんとも神々しい・・・

 

彦火火出尊の御陵は諸説あるのですが、「古事記」に「高千穂峰の西にある」と記されることから、明治7年(1874年)宮内庁によりこの地に治定されたとか。御陵は円墳で、尊の陵(御墓)は御拝所正面から60mのところに築かれているそうです。

日本神話において山幸彦の名で知られる彦火火出尊は、初めて日向の国(現在の宮崎大隅薩摩)を統治された神代三代の二代目で、初代神武天皇の御祖父に当たられる―つまり皇室の御祖先であらせられるので、御陵は宮内庁の管理に置かれています。

 

<宮内庁治定陵墓>

 

案内板によると皇霊(みたま)は先にお参りした鹿児島神宮に祀られているとのこと。やはり初めに参拝しておいてよかった・・・

1年越しに叶った御陵参拝。ありがたい気持ちいっぱいで手を合わせました。

 

お参り後、御拝所の向かいに小高い場所があったので登ってみると、昭和天皇の御参拝記念碑がありました。

 

<昭和天皇御参陵記念碑>

 

大正9年(1920年)皇太子時代に参拝しておられるそうで、そばには御手植えの銀杏もあります。

 

<昭和天皇御手植えの銀杏>

 

そのお隣にある一回り小さな石碑は上皇陛下の御参拝記念碑。

 

<上皇陛下の御参陵記念碑>

 

上皇陛下も参拝しておられたのですね。(しかも美智子さまとドキドキ

「皇室の方が相次いでお参りされているなんて、高屋山上陵はつくづく特別な場所なのだなぁ。」 銀杏の葉が舞い散る中しみじみ石碑を拝していたら、その1枚がハラリと肩の上に舞い降りました。なんか幸せ・・・照れ

 

せっかくなので南参道も歩いてみることにしました。

 

<南参道入口>

 

最初に見た石碑のところまで戻ります。

 

<高屋山上陵の石碑>

 

ひと際目立つ1本の大杉。

 

<大杉>

 

その脇に石段が真っすぐ伸びています。

 

<南参道の石段>

 

この石段200段あるそうなのですが、御神木のような巨樹が並び立っていてすごく雰囲気がいい。ラブラブ←巨木好き

 

石段を上りきると緩やかな坂道になり、

 

<南参道の坂道>

 

御拝所へと至ります。

 

<坂道の先に見える御拝所>

 

豊かな自然林に覆われた広大な御陵は(内面積5万3000平方メートル!)とても神秘的で、悠久の歴史を感じることができました。鹿児島県内にはもう二柱の神代三代、瓊瓊杵尊(山幸彦の御父君)と鸕鶿草葺不合尊(山幸彦の御子)の御陵もあるとのこと。ぜひとも参拝したいです!(また新たな課題作っちゃったよ~笑い泣き

 

・高屋山上陵:鹿児島県霧島市溝辺町麓菅口