天孫ニニギと山の神の娘・コノハナサクヤビメとの間に生まれた火照命(ホデリノミコト)と火遠理命(ホオリノミコト)。

 

『兄のホデリは海佐知毘古(海幸)として海で魚を、弟のホオリは山佐知毘古(山幸)として山で獲物を捕って暮らしていました。(「古事記」より)』

 

「海幸山幸」は「因幡の白うさぎ」同様、子どもの頃から慣れ親しんだ昔話のひとつです。

 

『ある日山幸は互いの道具を取り換えることを提案します。海幸は渋りましたが、弟に3度頼まれ結局は提案を受けることに。しかし互いに慣れない道具で獲物は捕れず、そのうえ山幸は兄の大事な釣針をなくしてしまいます。海幸は大激怒。山幸は剣を砕いて代わりに500本、1000本と釣針を作りますが、海幸は「元の釣針を返せ。」と許してくれません。

海辺で途方に暮れていると、塩椎神(シオツチノカミ)が現れ海神・綿津見神(ワタツミノカミ)の宮殿に行くことを勧めました。シオツチの言う通り海神の宮殿に行った山幸はそこで海神の娘・豊玉毘売(トヨタマビメ)に出会います。海神は天孫の御子である山幸を歓迎し、トヨタマビメを妻合わせました。(「古事記」より)』

 

山幸はトヨタマビメと幸せに暮らしますが3年後、海の神の宮殿に来た本来の目的を思い出し、ワタツミノカミの助けで兄の釣針を取り戻すと、地上へ帰っていきました。このとき山幸が上陸したのが青島だといわれています。

 

<青島(2015年7月19日撮影)>

 

「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状の岩に貝殻が積もってできた、周囲1.5Kmほどの小さな浮島。

人々は山幸の帰りを喜び、海に飛び込んで出迎えたそうで、これが青島に鎮座する青島神社の冬の祭礼「裸参り」の起源とされています。

 

<青島神社社号標(2015年7月19日撮影)>

 

青島神社の御祭神はもちろん、山幸こと火遠理命ですが、

 

<参道入口にある山幸と豊玉姫の像(2018年9月9日撮影)>

 

その妻・豊玉姫と間を取り持った塩椎神が合わせて祀られていることから縁結びに御利益があるとされ、多くの参拝客で賑わっています。

 

江戸時代まで一般の立ち入りが禁じられていたため、今でも豊かな熱帯樹林が残る青島。青々としたビロウ樹に、目に鮮やかな朱の御社殿が実に美しい・・・

 

<青島神社御社殿(2015年7月19日撮影)>

 

一般に神社に降る雨は「禊の雨」とも言われけして悪くはないのですが、こちら青島神社に限ってはやはり晴天がよろしいかと・・・←何度も雨に見舞われた人の感想(笑)

 

<潮風が渡る参道(2016年7月30日撮影)>

 

<青空に吠える狛犬(2015年7月19日撮影)>

 

御社殿右手に伸びる細い参道の先には元宮が鎮座しています。

 

<元宮(2014年11月8日撮影)>

 

以前お社があったというこの場所はちょうど島の真ん中で、古代祭事に使われたと思われる勾玉や土器が発見されているそうです。古の人は何かしら感じていたのでしょうね。そう考えると辺りの空気も違って感じられるような・・・(その気になりやすい)

 

さて、地上に戻った山幸は海幸に釣針を返すのですがー

 

『山幸は地上に戻るとき、ワタツミノカミから兄を懲らしめる秘策と2つの宝珠(塩盈珠と塩乾珠/潮の満ち引きを操る珠)を授けられます。

山幸が海神に教えられた通り「この釣針は貧乏釣針」と言って後ろ手に釣針を返すと、ワタツミノカミは海の神であると同時に水を司る神、海幸の田は不作となりだんだん貧しくなりました。心が荒んだ海幸は山幸を攻めますが、山幸は海神にもらった宝珠を使い兄を溺れさせ退けます。ついに海幸は降参し弟に仕えることを誓ったのでした。(「古事記」より)』

 

めでたしめでたし・・・と言いたいところですが。

 

「もとはと言えば山幸が道具の交換を持ちかけたのが発端なんだし、これではあまりに海幸が不憫でないかい?いったい海幸はその後どうなったのだろう・・・」

 

気になって調べたところ、全国で唯一海幸を祀る神社が宮崎県北郷町にあることを知りました。その名も潮嶽神社。

 

<潮嶽神社(2018年9月8日撮影)>

 

<入口にひっそり(こっそり?)立つ海幸像(2018年9月8日撮影)>

 

深い山の中、古木に囲まれ静かに佇む御社殿は、

 

<潮嶽神社御社殿(2018年9月8日撮影)>

 

こじんまりとしながらも(失礼!)随所に彫刻が施され、歴史を感じさせる佇まい。「潮嶽神社略記」によると御本殿は天保3年(1832年)飫肥藩主伊東家に寄進されたものだそうで、海幸が隼人の祖(南九州の総産土神)として古来より篤く崇敬されてきたことが伺えます。

 

<お社を守るかわいらしい狛犬(2018年9月8日撮影)>

 

それにしても、海で漁をしていた海幸がなぜこのような山中に?

 

御由緒には、山幸との争いの際潮に流された海幸が磐船でたどり着いたのがこの地だと記されています。そのためこの地を「潮嶽の里」といい、海幸はここに宮居を建て年久しく統治したと伝えられているそうです。ちなみにこの地の人々は故事に倣い、縫い針の貸し借りをしないとか・・・

 

<境内に見られる南国らしい植物(2018年9月8日撮影)>

 

今も地元の人々に篤く敬われていること、そして2柱の弟神、山幸(火遠理命)と火須勢理命とともに祀られていることに、恐れ多くもほっとしたかねしでした。*^^*

 

【2018年9月8日~9日探訪】

 

・青島神社:宮崎県宮崎市青島2-13-1 HP

・潮嶽神社:宮崎県日南市北郷町北河内8901-1 HP