宇佐神宮幻の神事・行幸会をたどる旅。

最後に奈多宮を訪ねました。

 

<奈多宮>

 

先に訪ねた薦神社のパンフレットによると、

「養老4年(720年)日向・大隅の隼人の乱を鎮圧する際朝廷軍が八幡神の御験として用いた薦枕(薦神社のマコモで造った枕状の依代)は、その後も永らく八幡神の御験とされた。

 薦枕は6年毎に新しく造られ、八幡神とかかわりの深い八ヶ社を巡った後宇佐神宮本殿に納められ、古い薦枕は下宮に、さらに下宮の古い薦枕は奈多宮に納められ、海に流された。この一連の神事が宇佐神宮の行幸会である。」

とあります。

 

つまり、奈多宮は行幸会の終着点なのです。

 

鳥居をくぐり海岸沿いを歩いて行くと、沖に鳥居の建つ小さな島が見えました。

 

<市杵島>

 

奈多宮の元宮で、御祭神である比売大神が降臨された場所と伝えられています。

古い薦枕は竜宮に帰するべく、この市杵島から海に流されたとか。

(古い薦枕の行方についてはもうひとつ、海を渡り四国の八幡社に祀られたという話もあり、それが八幡浜の名の由来ともいわれているらしい。)

 

市杵島に手を合わせた後、神殿へと進みました。

 

<奈多宮>

 

海そばに鎮座する奈多宮、松の林の間を潮風が清々しく通り抜けていきます。

 

<鳥居越しに海を見る>

 

こじんまりとしたお社ですが、苔むした石の鳥居に

 

<石の鳥居>

 

台座付きの石灯篭など、

 

<台座付きの石灯篭>

 

<台座が狛犬!>

 

歴史が感じられます。

 

<石灯籠に施された三つ巴の神紋>

 

奈多宮の創建は伝承によれば神亀6年(729年)宇佐神宮大宮司であった宇佐公基が宇佐神宮の分霊を祀り別宮としたのが始まりらしいのですが、詳しいことは不明とのこと。

というのも、慶長元年(1596年)伊予灘の大津波で奈多宮は壊滅状態になり、貴重な資料も紛失してしまったそうなのです。(そのため宝物殿に納められる御神像も国宝から国重要文化財になってしまったとか。)

それでも再建され現在にまで引き継がれているということは、それだけ奈多宮が重要なお宮であることを物語っています。

 

手水舎で身を清め、

 

<手水舎。水盤は岩をくり貫いて造られている。>

 

楼門をくぐって、

 

<寛永19年(1642年)建立の楼門(市重要文化財)>

 

拝殿へ。

 

<拝殿>

 

御祭神は、比売大神、応神天皇、神功皇后。

他の八幡社と異なり比売大神が最初にあげられるのは、やはり市杵島があってのことなのでしょうか?

二礼二拍手一礼でお参りしました。

  

<御神木>

 

拝殿向かって左には宝物殿があり、

 

<宝物殿>

 

「六郷満山展」で拝見した3体の御神像が収められています。

 

<御神像(奈多宮に貼られていたポスターより>

 

あの時、あまりのお美しさに動けなくなってしまったのですが、それもそのはず。

こちらの御神像、宇佐神宮の旧御神体なのです。

印象深いのは八幡大神(応神天皇)が僧形をしておられること。

神仏習合の影響が強く感じられました。

 

<境内に祀られた蜜柑の神様>

 

お参りした後、奈多宮の前に広がる砂浜を歩いてみました。

 

<奈多宮前の砂浜>

 

白く弧を描く砂浜に青の松葉が美しい・・・

 

静かに打ち寄せる波、

 

<奈多宮の浜に寄せる波>

 

彼方に広がる水平線・・・

 

<伊予灘>

 

晴れていれば、その先に四国が見えるという―

 

「これが神様の御験が帰られる海・・・」

 

いつまでも眺めていたいけど、日も暮れてきました。

名残惜しい気持ちを抑えつつ、この日の宿泊地・別府へと向かいました。

  

<浜でみつけた貝殻とマツボックリ>

 

・奈多宮:大分県杵築市奈多229