11日(水・祝)、雷山観音(雷山千如寺大悲王院)へ毎年恒例、年明けのご挨拶に伺いました。

 

<雷山観音>

 

心配していた雨は朝のうちに止み。雨に洗われた境内は一層清々しく、山のしん!と冷えた空気に身の引き締まる思いがします。

 

門をくぐると目の前に現れる大楓。

 

<樹齢およそ400年の大楓>

 

雷山観音のシンボル的存在で紅葉はもちろん、青もみじも美しいのですが、わたしは幹や枝が露になる冬枯れの姿も好き。

 

<書院から見た大楓>

 

雷山観音は霊峰・雷山の山懐にあるので平地に比べ寒く、松の木には雪吊りが。この辺りではちょっと珍しい。

 

<雪吊りが施された松(建物は左が書院、右が客殿)>

 

大楓の前を通って、まずは本堂にお参り。この日は薄く扉が開いていて、観音さまのありがたいお姿を拝むことができました。感激。キラキラ

 

<本堂>

 

聖天堂、

 

<秘仏・大聖歓喜天を祀る聖天堂>

 

観音堂とお参りし、

 

<御本尊・十一面千手千眼観音を祀る観音堂>

 

護摩道場へ。

 

<護摩道場から雷山を拝す>

 

ここから霊峰・雷山を拝することができるのですが、残念ながら頂は雲の中。雨が止んでちょっと期待してたんだけどな。

 

最後に観音堂を内拝しますが、今年は相方が本厄でして。(と言ったら年がバレるな)厄除祈願を受けます。

雷山観音では開運厄除の特別祈願の場合、もうひとつお願い事ができるそうで。「ここは心身健全かな。合わせたら鉄壁のご加護にあやかれそう。」と思ったのだけど、相方が選んだのは「家内安全」でした。(え?そっちの方が身の安全が図れる?)

 

<十一面千手千眼観音像(公式HPよりお借りしました)>

 

雷山観音の御本尊・十一面千手千眼観音像は身の丈が約4.8mという大きな観音さまとあって、守られている感がハンパない。

また読経の際激しく打ち鳴らされる太鼓の音(相方曰く爆裂般若心経)が体の中の悪いものを叩き出してくれるように感じられ、お参り後は心身ともに軽くなった気がします。(個人的感想です)

 

御祈願を受けた後は五百羅漢、

 

<五百羅漢>

 

開山・清賀上人にお参り。

 

<清賀上人を祀る開山堂>

 

美しいお庭を堪能して雷山観音を後にしました。

 

<廊下から心字池を見る>

 

<書院から見たお庭>

 

去り際ふと振り返ると、観音さまのお慈悲か、雷山の頂が。

2026年初参拝、最後の最後に見られてよかったです。(合掌お願い

 

<垣間見えた雷山の頂>

 

いつもなら「JA糸島産直市場 伊都菜彩」に寄るところですが、祝日で混みそうなのでこのまま国道263号線に入り三瀬(佐賀)方面へ。途中「屋根に花壇のあるお店」さんに。

 

<屋根に花壇のあるお店>

 

土日祝日のみ営業のパン屋さん。平日のお出かけが多い我が家なので開いているのがうれしく、つい寄っちゃった。(笑)

今回はベーグルと畑の恵みパンを購入。ベーグルは冷凍しておいてキャンプに持って行こうかな?ニコニコ(畑の恵みパンは薄めに切って、オリーブオイルをひいたフライパンで焼くとおいしいです♪)

 

<左:ベーグル、右:畑の恵みパン>

 

お昼は「ひの木屋うどん」さんで。

 

<ひの木屋うどん>

 

以前脊振山からの帰りに立ち寄って、以来すっかりファンに。

 

【初訪問は脊振山からの帰り】

 

今回はお蕎麦にしました。どちらかと言うとうどんの方が好きなかねしですが、こちらはお蕎麦の方が好み。ラブラブ 盛りの良さからついやさい天を選んじゃうけど、別のメニューも食べてみたいな♪

 

<やさい天ぷらそば(相変わらず野菜天もりもり!)>

 

毎年立春過ぎに伺う雷山観音初参り。今年は途切れることなく襲ってくる寒波に、いつになったら行けるのかヤキモキしてたのだけど、2月中にお参りできてよかった。相方の厄除け祈願も無事に済み一安心です。にっこり

 

・雷山千如寺大悲王院:福岡県糸島市雷山626 HP

・屋根に花壇のあるお店:福岡県福岡市早良区野河内

・ひの木屋うどん:佐賀県佐賀市三瀬村三瀬1701-18

ラーメン麺対軒さんでお昼をいただいた後、四条堀川から9号系統の市バスに乗り元離宮二条城へ。歩いて行けない距離ではありませんが、寒さ対策として出来るだけ公共交通機関を利用する作戦です。(笑)

事前にWebチケットを購入していたので券売所には並ばず、スタッフさんにQRコードを掲示しそのまま入城します。

 

<二条城の東大手門(重要文化財)>

 

二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築城。

京都の町割りは平安時代から今日に至るまで碁盤の目状に配置されていますが、二条城はこの碁盤の目から東に3度ほど傾いています。

 

<グーグルマップより>

 

これは平安京が北極星の位置を目印に北を定めたのに対し(真北(しんほく):現在の地図が示す北と同じ)、徳川家康は当時西洋から伝わったばかりの方位磁石を使ったからだとか。(方位磁石のN極が示す方角は、観測地点や時代によって変化するらしい)家康殿はハイカラさんだったのですね。

 

3代将軍家光のとき後水尾天皇の行幸(寛永行幸)のため大規模な改修が行われ、二の丸と本丸から成る現在の形に。壮麗な城に天皇を迎えるという、この江戸時代最大級のイベントは、徳川幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめました。

 

<今年は寛永行幸から400年という節目の年>

 

1867年(慶応3年)15代将軍慶喜が二の丸御殿で大政奉還の意を示したことにより、約260年続いた徳川幕府は幕を閉じるわけですが、徳川家の栄枯盛衰と日本の移り変わりを見守ってきた二条城は貴重な歴史遺構として、世界遺産にも登録されています。

 

<東南隅櫓(重要文化財)>

 

二条城の外堀四角には見張り台として隅櫓が建てられ、普段は武器庫として使われた。1788年(天明8年)の大火で多くの櫓が焼失し、今ではこの東南隅櫓と西南隅櫓の2つが残るのみ。

東大手門より順路に従い唐門に。

 

<二の丸御殿の正門にあたる唐門(重要文化財)>

 

妻造、檜皮葺の四脚門。屋根の前後には唐破風が付き、長寿を意味する松竹梅に鶴、聖域を守護する唐獅子など豪華絢爛な極彩色の彫刻があしらわれています。

これまで画像や動画で何度も見ているけど、目の当たりにするとなんと豪奢な!

いつまでも見ていられる・・・ラブラブ

 

<唐門近影>

 

唐門の正面には二の丸御殿が。

 

<二の丸御殿(国宝)>

 

本来なら見学して進むところですが、時刻は午後2時。午後2時半に本丸御殿観覧の予約を入れているので、こちらは後で見学することにします。

 

<釣鐘>

 

京都所司代屋敷で火事等の緊急事態を周辺に知らせるために使われていた。(京都所司代とは主に朝廷や大名を取り締まっていた江戸幕府の出先機関)この鐘は慶応3年(1867年)京都所司代が廃止された後二条城に移されたと考えられている。

二の丸御殿に沿って西に周ると美しい庭園が広がります。

 

<二の丸庭園>

 

池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園。後水尾天皇行幸のため作事奉行・小堀遠州のもと改修されたというお庭はどこから見ても美しく、「どの位置から見るのが正しいんだろう?」と迷いましたが、二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿(行幸の後撤去)の3方向から鑑賞できるよう工夫されているそうなので、どこから見ても正解なのかもしれません。(←適当)

 

お庭の一角にはソテツが植えられています。

 

<防寒のためこも巻きが施されたソテツ>

 

後水尾天皇の行幸に先駆け、鍋島藩(佐賀県)の藩主・鍋島勝茂が3代将軍家光にソテツを贈ったという記録があるそうで、当時珍しい南方の植物を植えることはある意味権力の象徴だったのでしょうね。

 

二の丸庭園を進み、東橋を渡って本丸櫓門へ。これより先が本丸、後水尾天皇行幸の際拡張整備されたエリアです。

 

<本丸櫓門(重要文化財)>

 

1626年(寛永3年)徳川家光が造営した本丸内の建物のうち、1778年(天明8年)に起きた天明の大火で唯一焼け残った遺構。

二条城は平定後に造られたので、城壁はさほど高くなく、戦のための城でないことは明らかですが、天守閣へは真っすぐ進めないよう石垣が配置されていたり、

 

<本丸内の石垣>

 

上から攻撃できるよう雁木石段が設けられていたりと、そこはやはりお城なんだなぁと思いました。

 

<雁木石段>

 

本丸庭園を見ながら進み、南西隅にある天守閣跡に。

 

<天守閣跡(西橋から見る)>

 

かつて伏見城から移された五重六階の天守閣があったそうですが1750年(寛延3年)落雷で焼失。その後再建されることなく、今は石垣が残るのみです。しかしそこから見る景色は壮観で―

  

<天守閣跡からの眺望(お堀の先に二の丸御殿が見える)>

 

後水尾天皇もこうして京の町をご覧になられたのかなぁ。天守閣からだともっと良く見えたでしょうね。にっこり

 

<天守閣跡から西側眺望(手前には土蔵(米蔵)、奥に西南隅櫓が見える)>

 

<土蔵(南)(米蔵)(重要文化財)>

 

本丸西橋を挟んで北の土蔵と対になっている。寛永3年(1626年)の建築。

城に土蔵が残るのは二条城だけで、現在城内には3棟の土蔵があるが、江戸時代には10棟存在したという。土蔵は穀物類を保存するのが目的だが、武器を収納する蔵もあるのが城の特徴。

さて、そろそろ時間なので本丸御殿へ向かいます。

 

<天守閣跡から見た本丸御殿(重要文化財)>

 

本丸が設けられた当初の御殿は1788年(天明8年)の大火で焼失。現在の本丸御殿は1884年(明治17年)二条城が皇室の離宮になった後(ゆえに”元離宮”二条城なのですね)、1894年(明治27年)京都御所の北にあった桂宮家の御殿(桂宮御殿)の主要部を移築したものです。

 

本丸御殿の前には「祝 本丸御殿公開」のパネルが。

 

<屏風を模した「祝 本丸御殿公開」のパネル>

 

本丸御殿は2017年より保存修理が行われ、2024年3月末に工事が完了、9月から公開開始(なんと、18年ぶり!)となりました。かねてより二条城には行きたいと思っていたのですが、行くなら本丸御殿の工事が終わってからと決めてたので、今回観覧が叶ってうれしいです♪

 

Webチケットを掲示し車寄より中へ。大きな唐破風に格式の高さが表れています。キラキラ

 

<本丸御殿車寄(来客の公式な入口)>

  

入ってすぐ右手にコインロッカーがあり、脱いだ靴も含め手荷物は全て預けます。

その後テレビのあるお部屋に通され、スタッフさんから観覧についての説明を受けるのですが実はここ、殿上の間と公卿の間。 

 

<殿上の間と公卿の間がある本丸御殿の玄関>

 

来訪者が御殿の主に対面する前控えた場所ですが、その室名から移築前は身分の高い公家が使用していたと見られるそうで。わたしなんかが申しわけないあせるって気がするけど、せっかくの機会だし、ここはお貴族さまの気分になって周ろう。照れ

 

玄関から奥に進むと御書院。

 

<御書院>

 

最初に目にするのは一の間から三の間、本丸御殿の中心となる場所です。

 

<御書院 一の間(画像は公式HPよりお借りしました)>

 

一の間は他の部屋より床が一段高く、天井は格天井、壁と床の間は金箔貼、違棚を備えた最も格式の高い部屋です。

桂宮家では年頭の儀礼等が行われていましたが、移築後皇太子の宿泊所となった際は謁見の場として用いられたそう。こちらに皇太子時代の大正天皇、昭和天皇が座られたのかなぁと思うと歴史が感じられます。

 

御書院には他に春夏秋冬の景色が描かれた4つの部屋・四季の間、

 

<御書院 四季の間(画像は公式HPよりお借りしました)>

 

襖に雲鶴文様の唐紙が用いられた雲鶴の間(一の間から三の間)があります。

 

<御書院 雲鶴の間(画像は公式HPよりお借りしました)>

 

襖絵はもちろんですが、欄間や違棚、釘隠しまで、その細工は実に細やかで美しく。思わずため息がもれてしまいました。

 

御殿の主の居室や寝室を備えた御常御殿は、丸みを帯びた屋根(てりむくり屋根)が特徴の優美な建物ですが、内装も雅。

 

<御常御殿>

 

障壁画保護のため公開される部屋は時期で分けられていて(HPでスケジュールの確認ができます)、わたし達が訪ねたときは四季草花の間、耕作の間、萩の間、御化粧の間でした。

 

<御常御殿障壁画 中島来章筆四季草花図(画像は公式HPよりお借りしました)>

 

稲作と農村を描いた「耕作図」は権力者が民の様子を知り、自らを戒めるため制作されたとあって、色彩は控えめ。「四季草花図」も派手さこそありませんが、それが返って草花の可憐さ、奥ゆかしさを表しているように見えました。

 

最後は雁の間。家来たちが使用した部屋で、芦雁図が水墨で描かれています。

隣接して台所がありますが、非公開でした。(見てみたかった~)

 

<左:台所、右:雁の間の障壁画(一部)(画像はHPよりお借りしました)>

 

江戸時代の宮家の御殿で、これほどの規模を残すものは他にないという二条城本丸御殿。見所たっぷりでしたが(気が付いたら同じ組で周っていた人誰もいなかったあせる )、今回の観覧では文化財保護の在り方も印象に残りました。

御殿の中には耐震のための鉄骨柱が所々見られるのですが、これはあえてなじませていないのだとか。世界遺産の場合、オリジナルの部分と後で付加したものが明確にわかるようにしないといけないのだそうです。そういう修復の仕方もあるのだなぁと勉強になりました。

 

<本丸庭園から見た本丸御殿>

 

さて時間も押しているし、二の丸御殿へ急ごう。

 

―後編に続く 

 

・元離宮二条城:京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 HP

※本丸御殿の観覧は予約制で、入城チケットとは別にWebチケットが必要です。また東大手門入城口から本丸御殿までは20分ほどかかるので、余裕をもって入城することをお勧めします。

昨年はお伊勢参りと奈良博の旅、

 

【2025年お伊勢参り】

 

【2025年奈良国立博物館の旅】

 

一昨年は京都へ。

 

【2024年京都冬旅】

 

年に(基本)1度のビッグ(遠出)旅行。「来る2026年はどこに行こうか?」

早くもそわそわしていた昨年暮れのこと、かの国の日本渡航自粛の影響か?京都のお宿の料金が軒並み下がっていると知り、あっさり京都行きを決定。

冬の京都には1度行っているので出来れば春を狙いたいところだが、桜の季節になればインバウンドの波が復活することも予想されるので、善は急げ。(善なのか?)1月21日(水)~1月22日(木)に決行することにした。

 

出発は前回と同じく新鳥栖駅。 

 

<新鳥栖駅>

 

8時15分、日田の実家から来る相方と待合室で合流し、8時48分発つばめ308号に乗る。

 

<つばめ308号>

 

終点・博多駅で降り、

 

<博多駅>

 

<降りたホームの隣りに止まっていたワンピース新幹線>

 

ホームを渡って、9時15分発の東京行きのぞみ16号に乗り込む。

 

<のぞみ16号>

 

この日の予報は曇り時々雪。今季1番の寒波襲来とのことで、車窓から見える景色もどこか重たげ。

 

<小倉の街並み>

 

<曇天の福山城>

 

冬の京都が狙い目とはいえ、何も大寒の時期に行くことはないだろうに。そういや一昨年の京都旅行もこの時期だったか。

 

「あんな寒い思いしたのに、わしら全く学習しないよね。あぁ、大雪になったらどうしよう・・・ネガティブ

 

心配するわたしに相方はのんきにのたまった。

 

「何言ってんの、かねし?オレ晴れ男だよ?(どやっ)」

 

その自信はいったいどこから来るのか・・・甚だ疑問だが―

 

<打って変わって晴れの岡山(さすが晴れの国!)>

 

11時59分、のぞみ16号は定刻通り京都駅に到着。

 

<京都駅>

 

中央口に出てみると、

 

<お久しぶり、京都タワー!>

 

えっ?晴れてる?! すごいな、相方。驚き

 

烏丸中央口B1バスのりばから9号系統の市バスに乗り、四条堀川で下車。荷物を預けるため一旦お宿に向かう。今回お世話になるのは、プリンススマートイン京都四条大宮さん。

 

<プリンススマートイン京都四条大宮>

 

四条堀川バス停から徒歩1分、阪急京都線大宮駅から徒歩2分、京福嵐山本線四条大宮駅から徒歩3分と好立地にあるホテルだ。

チェックイン前ということで、スタッフさんの案内で荷物は館内のコインロッカーに。身軽になったところでお昼を食べに街に繰り出す。

 

1日目のランチは相方の希望で京都ラーメンを。お目当ての店が休みだったが(定休日は調べていたので臨時休業だったかも)そこは相方。「もう1軒狙っている店がある。」と連れていかれたのがこちら、ラーメン麺対軒さん。

 

<ラーメン麺対軒>

 

人気店らしく、壁には有名人のサイン色紙が。(ホンジャマカ石塚さんのお気に入り店だとか)

昭和50年京都の有栖川に創業した中華そば専門店大嘉(だいか)に始まるというラーメン麺対軒さん。独自のラーメンを追求しながらもその味を守り続けているそうで、

 

<醤油ラーメン(並)>

 

うわ、なんだろう。ちょっと経験したことがない、深い味わい。

真っ黒なスープにちゃんぽん麺を思わせる太目のストレート麺。お味は見た目ほど濃くなく、むしろあっさりしていて、もちもちとした麺の食感と相まって美味だ♪

相方はすっかり気に入って、ライスを食べたうえ替え玉までしていた。

 

お腹も膨れ、体が温まったところでいざ!京都観光スタートです♪

 

・プリンススマートイン京都四条:京都市下京区四条通堀川西入唐津屋町521 HP

・ラーメン麺対軒:京都府京都市下京区四条通堀川東入柏屋町14