土方さんの言葉に反して、一両日中に帰京したのは、藤堂さんではなく秋斉さんの方だった。
小指の包帯は相変わらずで、こちらの視線からさりげなく庇う仕草も変わっていない。
彼が大坂へ行っている間に、遊女の間で話題にのぼったことがある。
旦那さんのあの包帯、何を隠してはるのやろ―――という風に。
入れ黒子や契りの証といった色っぽい意見や、人面疽が出来ているというぶっと飛んだ説も出て、ひとしきり盛り上がった末、菖蒲さんの静かな「ええかげんにしよし」でぴたりと治まった。
二度と開けないで欲しいと懇願された、襖。
いつのまにか元に戻された芯張り棒。
そして、包帯。
それら全てが、秋斉さんが着込んだ鎧に思えて、寂しい気持ちが拭えずにいたの私だったのだけれど。
「どなたさんにかて、そおっと蔽っときたいもんやら、大事ぃにとっときたいもんがありますやろ」
菖蒲さんの言葉に、また一つ、何かがふわりと解(ほど)けた気がした。
たがら今、こうして秋斉さんとお茶をしていても、穏やかな気持ちでいられるのは、菖蒲さんのおかげだ。
「慶喜さんは、お元気ですか」
「へえ、忙(せわ)しいのは変わらへんけど、気張ってはりますえ」
思えば、こんな会話とて、以前はできなかった。
どれだけ見え透いていても、秋斉さんは、一介の置屋の主だというスタンスを崩そうとしない時期があった。
私も私で、未来から来たことを隠していたから、お互いに嘘でできた薄氷を踏むようにして過ごした時期もあったのだ。
共に過ごした日々が、私たちを変えた。
いつか、また変わればいいなと思う。
包帯で隠されているものが、傷であっても思い出であっても。
秋斉さんが、誰憚ることなく、「痛い」「失いたくない」と口に出せるように。
大坂土産の岩おこしをかじりながら、「そういえば」と話を切り替える。
正直今は、慶喜さんの動向よりも、藤堂さんが気になった。
「伊東さんたちって、お西さんを出られて、今はどこに宿をとられているんですか?」
「五条の善立寺いう真宗のお寺はんどす」
「五条ですか」
「もそっと北でええとこないか探してはるみたいやけどな。そもそも、宿も決めんと分離するやら、片手落ちもええとこどすわ」
伊東さんは、賢いけど阿呆やと、秋斉さんは容赦がない。
「阿呆と言えば、おマサさんとのこともやけど、あっちは無事・・・・・・」
言いさして、秋斉さんは「やめとこ」と扇子を開いた。
「なんですか。言いかけてやめないでくださいよ」
「そやかてあんさん、おマサさんの話をするとむくれはるやろ」
そんなことない。
私は別に、おマサさんに妬いたりしてないし、そもそもそんな筋合いはないのだ。
「私はただ、秋斉さんが伊東さんと、いつのまにーか『しんねこ』で、毎回びっくりするだけで」
「なんやそれ、気色の悪い」
聞きかじった言葉使ってみた私を、秋斉さんが眉が寄せて聞き咎めた。
「『しんねこ』て、あんさん。男同士で『しんねこ』はおかしおすやろ」
「そうなんですか?」
「『しんねこ』は男と女が寄り添うて、仲よう話す様を言うのやで」
言われて、伊東さんと秋斉さんが寄り添って話しているのを想像してみる。
―――うまくいかなかった。
もう一度、やり直そう。
今度はもう少し距離を開けて。人一人分くらい離そうか。
月明かりの縁側で、胡坐をかいた伊東さんが楽しげに何か話している。
隣で三味線を爪弾く秋斉さんの目は、正面の庭を越えてどこか遠くへ注がれている。
時折、その口元を彩る微笑み。
目線は合っていなくても、伊東さんの話を楽しんでいるのが窺える。
秋斉さんが唄いだせば、伊東さんは目を閉じる。
膝の上でトントンと拍子をとる手。やがて興が乗ったのか、懐から取り出した帳面に、何か書きつけ始めた。
きっと、秋斉さんを讃える歌でも詠んでいるのだろう。そして、それを聞かされた秋斉さんは、憎まれ口を叩くのだ。
おためごかしはやめとくれやすとか、なんとか。
でも、伊東さんは怯まない。
なんの、紛うことなき本心だとも!だなんて、力説することだろう。
「何をニヤニヤ笑うてはんの、いやらしい」
楽しい夢想は、秋斉さんに両断された。
いやらしいだなんて、心外だ。
脳内映像とはいえ、現実とそうかけ離れているとは思えない想像に、ほっこりした気分になる。
そこへ、八つを知らせる鐘の音が響いて。
顔をあげた秋斉さんが、「ぼちぼちどすな」と呟いた。
「さくらはん、台所行って、鶴屋の饅頭と正喜撰用意しといて」
「お客様ですか?」
頷いた秋斉さんが口にしたのは、ここ暫く待ち望んだ人。
つまりは、藤堂さんの名前だった。
※新作を読んだメンバーさんには、この回の菖蒲さんのせりふ、タイムリーなのでは?
ついに言えたよ、辛いって!
秋斉さんの幸せを願ってやまない私は・・・・
土方推しっ(力説