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心温まる感動ストーリーを通じて感動を科学する!

心温まる感動ストーリーや感動研究を通じて、元気や勇気、生きる喜びを高めて欲しい!!(社)日本WEBライティング協会公認ブログです。


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2015年(平成27年) - 3月3日
マイクロソフト共同創業者であるポール・アレンが、
3月2日に武蔵をシブヤン海の水深1000mの海底で発見したと発表した。

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戦艦武蔵は1942年8月完工、全長263メートルで、
当時世界最大の戦艦だった。


当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として
史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、
甲板と側面には40センチ以上の鋼鉄が使われた、桁外れの戦艦であった。


46センチの主砲は世界最長(40キロ先の標的まで攻撃できた)の
射程距離で、防御面でも優れていたため、「不沈艦」と呼ばれた。


しかし太平洋戦争末期には、既に戦いは戦艦どうしが打ち合うものから、
機動力に優る航空機による戦いに変わってきていたことが命運を分けた。




1944年10月、敗色が濃厚になった日本軍が、起死回生の戦いを挑んだ。


フィリピンレイテ沖海戦です。


この戦いで大きな期待を背負い出撃したのが巨大戦艦武蔵。


しかし武蔵はレイテ沖海戦に出撃のおり、米軍機から集中攻撃を受け艦隊から孤立。


見方の航空機の援護がないまま、のべ250機、5回に渡る波状攻撃を受けた。


魚雷20本被雷、爆弾17発、至近弾18発を受け、
軍艦として空前絶後の損害を受けて戦没した。


だが、他に類を見ない集中攻撃を受けても
10時間近く沈まなかったことは驚愕であったとされる。


結果、乗員2399人のうち1039人が戦死。


猪口敏平艦長が沈没直前に書いたとされる遺書が残っている。


<猪口艦長より海軍大佐加藤憲吉副長に託された手紙>
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「ついに不徳のため、海軍はもとより全国民に絶大な期待をかけられたる
本艦を失うこと、誠に申し訳なし。
ただ本海戦において、他の諸艦に被害ほとんどなかりしことは、
まことにうれしく、なんとなく被害担任艦となりたる感ありて、
この点いくぶん慰めとなる。

大口径砲が最初にその方位盤を使用不能にされたことは大打撃なりき。
本日の致命傷は、魚雷命中にありたり。
いったん回頭しているとなかなか艦が自由にならぬこと申すまでもなし。
それでも5回以上は回避したり。
機銃はもう少し威力を大にせねばと思う。
命中したものがあったにもかかわらず、なかなか落ちざりき。
敵の攻撃は、なかなか粘り強し。
具合がわるければ、態勢がよくなるまで待つもの相当多し。
最後までがんばりとおすつもりなるも、今のところだめらしい。

一八五五。(時間と思われる)

暗いので、思ったことを書きたいが意にまかせず。
悪いところは、全部小官が責任を負うべきものなることは当然であり、
まことにあいすまず。

本日も相当多数の戦死者を出したり。
これらの英霊をなぐさめてやりたし。

今までのご愛顧に対しては心からお礼を申す。
私ほどめぐまれたものはないと、平素よりつねに感謝にみちみちいたり。
はじめは相当ざわつきたるも、夜にはいりてみな静かになり、
仕事もよく運びだした。
今機関室より、総員士気旺盛を報告しきたれり。

一九○五。」

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この手紙を書き終えた10分後の19時15分。
猪口艦長は、総員退去用意を命令。


そして19時30分。
武蔵は左に転覆。そして艦尾を立てたまま、シブヤン海へと消えていった。


猪口艦長は艦橋休憩室で武蔵と運命を共にすることを選んだ。


武蔵の沈没場所は戦後長らく不明だった。
というのも、沈没をし始めた場所は分かっても、
海に沈む過程で、潮の流れで大きく場所が変わってしまうからだ。




ところが武蔵の沈没から71年、戦後70年を経た今日、
奇跡のようなニュースが飛び込んできた!

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2015年(平成27年) - 3月3日
マイクロソフト共同創業者であるポール・アレンが、
3月2日に武蔵をシブヤン海の水深1000mの海底で発見したと発表した。

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ポール・アレン氏は、ビル・ゲイツ氏とともにマイクロソフト社を
創業した世界的な富豪で総資産2兆円以上と言われている。


6つの財団を傘下に率いるポール・G・アレン財団を運営している。


父親が太平洋戦争に従軍したこともあり、沈没した戦艦に興味を持っており、
「武蔵」は8年前から捜索を続けていた。


武蔵の捜索には、自身が所有する、
総工費200億円の大型ヨット「Octopus」を利用。
そこには無人潜水艇も保有。


彼らが公開した映像を見た専門家は、一様に
ほぼ武蔵に間違いないだろうとの見解を示した。


武蔵の発見は、
莫大な費用がかかるため、国の政策として行うことはなかったことでしょう。


水深1000mの深海ということからすれば、、
普通に考えれば”永遠”に見つかることはないもの。


それが一民間人によって、戦後70年という節目の年に
長らく謎とされてきた武蔵の船体が発見されたことは、
運命的なものを感じずにはおれません。


沈めたのはアメリカ、
そして発見したのもアメリカ。


猪口艦長以下、この船で命を落とした1000人あまりの魂は
何を想う。。


当時の戦争の悲惨さを思い返す良い機会であると同時に、
激しい交戦をまみえた日米が今は協力する時代であるという
平和を実感せずにおれません。


私たちは、先人たちが命を賭けて戦ってくれたことに感謝をし、
その土台の上に今の日本があることを忘れてはならないでしょう。







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参考;

ウイキペディア;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C_%28%E6%88%A6%E8%89%A6%29
https://www.youtube.com/watch?v=bhADaK7BwFU
https://www.youtube.com/watch?v=cpBlaRM61vU
http://www.b-b.ne.jp/kaigun/saigo/saigo.html
ムヒカ(ウルグアイ)大統領は、「世界一貧しい大統領」として
広く知られるようになりました。


彼は、2015年2月、5年の任期を終え、
国民の多くに惜しまれながら退任しました。


彼のエピソードとして「ヒッチハイク事件」があります。



ジェラルドさんは、工場からの帰り道、手配ミスから
ヒッチハイクで家まで帰ることを余儀なくされました。


しかしいくら手を挙げてもなかなか車は止まってくれません。


そもそも、運転手からみるとどんな相手からもわからない男を
乗せるのは危険だし、基本的に乗せるデメリットはあってもメリットはないもの。


リスクを負ってなお本当の親切心がなくては送ってもらえるものではありません。


そんななか、2時間ほど経ってからようやく1台の車が止まりました。


運転手に促されて後部座席に座ろうとすると、まずすぐにわかったのが、
隣に座っているのがムヒカ大統領夫人であること。


驚いて前の助手席を見ると、そこにはまさにムヒカ大統領(当時現職)が
座っていたのでした!


ジェラルドさんは驚くと同時に、大喜び!!


大統領とその夫人の両方を写真に撮ってツイッターに投稿しました。


その内容と写真はまたたくまに世界に広がり、感動を呼びました。


運転手はムヒカ大統領の指示で止まったそうです。


ムヒカ大統領曰く

「作業衣を着ていたし、助けてやらなくてはと思ってやったこと」



まさか現職の一国の大統領の車にヒッチハイクで同乗できるなんて、
本当に前代未聞の”事件”ですよね!





ムヒカ大統領は、
大統領に与えられる邸宅に住むことも拒み、妻名義の農場で質素な生活を
送っています。


粗末な家で水道すら通っていないといいます。


警備をするのは警官2人と、飼い犬のみ。


ムヒカ大統領の資産としては、
愛車のフォルクスワーゲンだけだといわれています。


収入の9割を慈善団体に寄付しており、生活費は月10万円程度。





そんなムヒカ大統領を世界的に有名にした名演説があります。


これは2012年の「環境サミット」リオ会議でのものです。


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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。


私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも
感謝いたします。


国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければ
ならない素直な志をここで表現しているのだと思います。


しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。


午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困を
なくすことでした。


私たちの本音は何なのでしょうか?


現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?



質問をさせてください:
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。


息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。


同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ
傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が
この地球にあるのでしょうか?


可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?


なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?


マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、
即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。


マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが
世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。


私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしている
のではないでしょうか?


このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論は
できるのでしょうか?


どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?


このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するための
ものではありません。

その逆です。

我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、
政治的な危機問題なのです。


現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。


逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。


私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。


幸せになるためにこの地球にやってきたのです。


人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。


命よりも高価なものは存在しません。


ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品や
ライフスタイルのために人生を放り出しているのです。


消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く
多くしなくてはなりません。


消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けが
みんなの前に現れるのです。


このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、
できるだけ多く売らなければなりません。


ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!


そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。


人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」
を続けなければならないのです。


悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。


これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に
私たち首脳は世界を導かなければなりません。


石器時代に戻れとは言っていません。


マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。


私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。


昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています


「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」


これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。


国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。


私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。


根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。


そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。


私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です


私の国には300万人ほどの国民しかいません。


でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。


ヤギも800万から1000万頭ほどいます。


私の国は食べ物の輸出国です。


こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。


私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。


そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。


しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、
結局は以前よりも長時間働いています。


なぜか?


バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。


毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような
老人になっているのです。


私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。


そして自分にこんな質問を投げかけます


「これが人類の運命なのか?」


私の言っていることはとてもシンプルなものですよ


「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです」


発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。


愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、
そして必要最低限のものを持つこと。


これらをもたらすべきなのです。


幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。


環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素
であるということを覚えておかなくてはなりません。


ありがとうございました。


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参照元 Read the original here: http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/#ixzz3N3Xwp6u4
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http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/
https://www.youtube.com/watch?v=Q7aJcf_Lexs
今まで多くの外国人が日本に対して賞賛の言葉を贈っています。


中でも、元サッカー日本代表監督のザッケローニ氏は、大変印象深い言葉を
残しました。


彼は2010年8月から2014年6月までの約4年間、日本代表監督を務め、
その間の多くを日本で過ごしていたため、より客観的に日本の良さや悪さを
知る者と言って良いでしょう。


ただ、彼の口からは日本に対してほとんど賞賛の言葉しか聞かれません。
「日本に恋している」とまで言うほどに熱烈なファンになりました。





2011年2月、アジアカップでの優勝が認められて、ザッケローニ氏はその
出身地であるチェゼーナティコで名誉市民に選ばれました。



<イタリアでの記者会見での言葉>


「日本は教育、しつけ、清潔さのすべてが素晴らしい。
物価は2倍だが、お金を払うのも気持ちいいぐらい。
私は半分日本人だと思っている。日本に恋している。
大変感謝している。君が代を歌えるように努力したい」




<2011年、東日本大震災後の言葉>


「優しさと、相手を思いやる心。私はその2つを日本人から学んだ。
日本の監督に就任してからこの7カ月間、私は日本人を知った。
日本人の義務感、犠牲心、そして品格に私は心を打たれた」



「日本人の秩序、組織力、相手を敬う心は本当に素晴らしい。
象徴的な出来事を話そう。
地震の後、スーパーでは会計を後回しにしてレジ係が客に商品を渡していた。
あまりにも混雑していたから、その対応のためだろう。
レジの担当者には分かっていたんだ。
緊急事が過ぎれば、客が支払をしに戻ってくることをね」


「そしてもう一つは、代表での話だ。
アジアカップを終えて日本に戻る際に、私は空港で信じられない
光景を目撃した。
選手たちが、自ら進んで荷物を運んでいるんだ。
本来であれば用具係りが担当する仕事を、
戦いを終えたばかりの選手たちが率先して手伝っていたのさ」




東日本大震災のチャリティーマッチとして2011年の3月29日に
日本代表 VS Jリーグ選抜の試合が行われました。


その日本代表の指揮を執ったのがザッケローニ監督です。

この試合で相手チームであるJリーグ選抜の三浦知良選手(カズ)が得点します。


カズはそのままスタンドまで駆け寄ってカズダンスを披露して天に指を突き上げます。
あたかも被災地にそのゴールを捧げるように。


このゴールに対してザッケローニ監督は次の名言をはきました。


「私はゴールを決められるのは嫌いです。しかし、ゴールを決められて
嬉しかったのは、私のキャリアの中で初めてです。」



<その後在任中の言葉>


「日本ではサッカーの試合に”敵”はいない。
戦う相手がいるだけだ。
なぜなら、日本人は敵のチームの選手ですら
尊重していて、試合が終わればあたかも仲間のように振る舞う。
私のサッカー人生の中では考えられないことだった。」


「町を歩いていたり、地下鉄に乗ったりしていると、
私のことに気づく人がいる。
「あっ!とね。」ところがその後になんにも起きない。
イタリアではすぐに話かけられ人垣ができる。
日本人のこの態度は相手に嫌な思いをさせないように、
なるべく普段の生活を脅かすことがないようにとの思いやりから
くるものだろう。」





<2014年代表監督退任後の言葉>


「日本での経験はすべてがファンタスティックだった。
どうしてお金をもらえるのか理解できなかったほどだ。

これだけの経験をさせてもらって、本来なら私のほうがお金を
払ってもおかしくなかった。

人生で最も素晴らしい経験だった。これ以上の経験はあり得なし。
残ることができなかったのは残念だが、あと4年間は長すぎただろう。」




<退任後コラムでの記事>


いつか、この日が来ることは覚悟していましたが、現実に皆さんに
別れを告げる日が来てみると、私の心は寂しさでいっぱいです。


寂しさの理由は二つあります。


一つはワールドカップが残念な結果に終わったことです。
ブラジル大会が始まる前は選手もスタッフも全員が素晴らしい
ワールドカップになる予感を抱いていました。


そのポジティブな雰囲気をうまく大会で表現できなかった。
これまで自分たちが積み上げてきたものを全て出し切ることなく大会を終えてしまった。
その寂しさ、悔しさは言葉では言い表せないほどです。


私と選手は、ワールドカップという貴重な機会を十分に生かせなかった
事実を厳粛に受けとめています。


なぜ、どうして、力をフルに発揮できなかったのか。


私の場合、長いキャリアの中でそういう経験がないわけではありません。


むしろサッカーとは常に自分たちの思うようにはいかないスポーツ
という認識を持っています。


しっかり準備を整えた、自分たちはいい仕事をしている、
そういう確信めいたものをチームに関わった全員が持っていながら、
なぜか結果につながらない。


チームにも個人にもサッカーではそういうことが時に起きるものです。


その理由を「これだ」とシンプルに特定することは難しい。


いろいろな要素が重なってうまくいかなかったのだと思っています。


今も悔しさは晴れません。
救いがあるとすれば、将来的につながるグループをこの4年間で
形成できたと個人的には確信しています。


サッカーのスタイルとしても、チームの年齢構成にしてもそういったことが
いえると思います。
今回参加したほとんどの選手は次のワールドカップも戦えるはずです。


個人的にうれしかったのは、そういう私の仕事をしっかり理解してくれる
人たちがいるということです。


ブラジルから日本に戻ってきて、私と接する人々の温かい態度にそれは感じました。


日本協会もこの4年間に積み上げたものをベースに、
それをさらにブラッシュアップしていくと話してくれました。
ワールドカップの10日間の出来が悪かったからといって、
4年間積み重ねたすべてを消去するような考えを協会もサポーターの
人たちも持っていない。


それはすごくうれしいことでした。


胸に去来する寂しさのもう一つの理由は、大好きな日本、
そして日本代表からついに離れるときがきたことです。


日本での暮らしは想像以上に快適でした。


誰に聞かれても「素晴らしい」と答えるしかないほど、
すべての面で最高でした。


暮らし始めてすぐに自分が快く迎え入れられていることに気づき、
元気づけられました。


初めての海外生活という新しい環境にこの年齢で飛び込んで円滑に
仕事ができたのは、日本の皆さんの思いやりあふれる受容の精神の
おかげだと断言できます。


生活面でいいことが起きると仕事も自然とうまくいきます。


一緒にコラボレートしてくれたスタッフもいい人たちばかりで
、おかげで仕事がスムーズに運んだと思います。


欧州で選手を視察し、海外で試合を行っても、日本が自分の帰るべき
「家」になっていました。


本当に濃密な4年間で、良い思い出だけがありすぎるくらいあります。


日本の方々は老若男女を問わず、ずっと日本代表を声援してくれました。


どんな苦境に陥っても「フォルツァ」「がんばりましょう」と
言い続けてくれたことはすごく力になりました。


特に埼玉スタジアムの試合の素晴らしい雰囲気は最高の思い出ですね。


埼玉スタジアムのホームの雰囲気は欧州のどこにも負けないと思います。


日本の文化が反映された日々の生活はあまりにも心地よく、
快適な日本の暮らしに慣れてしまったことで今後のことがかえって
不安になっているくらいです。


この4年で自分の半分は、いや、半分以上は日本人になった気がするくらいで、
日本以外での暮らしに馴染めるかどうか心配になっているのです。


おそらく、日本人の血が私の体のどこかに流れてしまっているのでしょう。


今はイタリアの故郷に戻っていますが、ここでの暮らしにですら
アジャストできるのか不安でなりません。

(以下略)







以上、ザッケローニ元監督の言葉によって、
改めて日本人の良さに気づかされますね。


ただし、自分がザッケローニ氏が語る絶賛する日本人たり得ているのか
ということを問い直す良い機会にもなるかもしれません。









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参考;
ザッケローニ、『Sky Sport』で本田、長友、日本について語る
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141105-00010000-sdigestw-socc&p=2

ザッケローニSAMURAI BLUE監督手記IL MIO GIAPPONE “私の日本”最終回
http://www.jfa.jp/news/00001225/


2011年11月、ブータン王国のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が国賓として来日されました。


ブータンはインドと中国の間にある国で、
世界一幸福度が高い国と言われています。


GDP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福量)という独自の指標を掲げ、
その最大化を目標としている南アジアの小国です。



国王が来日時に国会で演説した内容が、
非常に印象深いものでした。


この年の3月に、東日本大震災が起こっており、
それを踏まえた暖かく思いやりに溢れ、私たち日本人を強く勇気づけて
くれています。



<国王スピーチ>
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 このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、
勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上に
リーダーにふさわしいのです。


世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、
歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、
そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、

兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると
認識してまいりました。


これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。


それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の
対応にも示されています。



 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。
他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、
そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ
静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。


文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した
資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。


すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、
不可分の要素です。


このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、
何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。


それは数年数十年で失われることはありません。


そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。


この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、
世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。


さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を
常に分かち合ってきたということです。


ブータンには寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。

 
ご列席の皆様。


私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。


私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。


その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろう
ということです。


卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。


偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。


他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。


  日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、
日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し
支持してまいります。

 
ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、
日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。


日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~






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私は2人の子を持つ親として、
最近の子供の人権が蹂躙されている現状に大変心を痛めています。


虐待や、育児放棄など、
本当に可哀想な例が後を絶ちません。


また、陰湿で酷いいじめからも守ることができていません。


結果、死に至るという最悪のケースも頻繁に起こっています。


なぜそのようなことが回避できずに
放置されているのでしょうか。



もちろん、様々な予防措置や、具体的対策なども必要でしょう。


ただ、それ以前に親として子供をどう育て、どう教育していくべきか、
がより重要と思います。



人は第一子は誰にとっても初めての子育て。


だから大多数の親が、暗闇の中の手探り状態で子育てを
しているのではないでしょうか。


いくら子育て本を読んでもそこに正解があるとは
限りません。


だから親が苦しみ、結果として子供にも悪影響を
与えることが多いことでしょう。




子供はいかに重要なものか。


子供こそが将来の日本及び世界を回していくものです。
極端な少子高齢化の時代ですから、なおさらです。


法律的には、生まれてしまえば、一個人。


親は保護者ではあるものの、所有者ではありません。


いわば、社会全体の財産なのです。


だから、完全に親の思い通りにするということは、
できるものではないものです。


人として生きていくために必要な最低限の
食事と教育を与えなくてはなりませんし、
人に迷惑をかけてしまうのは、親の責任と言えるでしょう。


だから、親は子供が生まれた瞬間に、いや
お腹の中に子供を宿した瞬間から、大きな社会的責任を負うのです。


自分勝手にできることではありません。


少なくとも成人するまでに起こした子供の問題は、
親の問題でもあるのです。


そのことを一体どれだけの親が自覚しているのでしょうか。


そういった親としての教育も
全く行き届いていないと言わざるを得ません。





ただし、子育てをした経験のある方なら
わかると思いますが、”社会的責任”を全うすることは
喜びでもあります。


子供が成長するに従ってできることが
どんどん増えていくことを楽しみであり、それに喜びを感じるのは、
親の特権であり、生きがいになります。


子育てがうまくいけば、
子育て中も苦労より恩恵が多くなるし、
子育てが終われば、恩恵だらけになるといって良いでしょう。




私は子供の教育において最も重要なことは
<自ら生きる力を育むこと>だと思います。


生きる力を育めば、自分で目標や夢を見つけて、
がんばれます。


劣等感の表れである、人をいじめるようなことも
ないでしょう。
自ずと人とのコミュニケーションもうまくとれるようになり、
良い人間関係を築くことができます。


少々の挫折ではくじけません。


では生きる力を育むためには
どうすれば良いのでしょうか?


私は子供が小学校高学年になるまでは
次の3つを行なわせることを提言します。


1)読書

2)スポーツ(運動)

3)本人の好きなこと


●読書

読書をすることで、様々な感情を経験でき、それが好奇心を養います。
さらに集中力も出るし、あらゆることへの理解力が高まります。


●スポーツ(運動)

人間は本来、常に運動するべき存在。
人類の歴史の中で現代ほど、運動をしなくなったことは
ないでしょう。
これは本来持っている欲求を抑え込んでいるようなもの。
人間の体や脳、性格に至るまで、運動をしないことによる
デメリットは計り知れないものがあります。

また、運動は自分の体を守るという意味でも極めて貴重なものです。

最低週に1回は公園に連れて行きましょう。


●本人の好きなこと

「本人の好きなこと」は、それを行うことによって害のほうが大きくなるもので
ない限りは、なるべくやらせてあげましょう。

それが生きる喜び、生きる力になります。
好きなことが見つかるほど本人のみならず親にとっても
幸せなことはありません。



それでは「勉強」はどうか。


これはやらないよりやった方が良いという程度。


子供が小さい間の優先順位では、
上記3つより大きく劣ると言って良いでしょう。


強いられた勉強は、生きる力を養うことにも
自分を守ることにもつながりません。






最後に私の娘の話をします。


娘は中学2年のときに、
自分の判断で、ある高校を目指すことに決めました。


その時は学力も内申もどちらも足りていなかったのですが、
その後頑張って、受験前には合格圏内に入るようになりました。


それでも油断はできないということで、
必死になって勉強していました。


「絶対に入りたい」思いで、中学生にしては、
涙ぐましいほどの努力をしていたと思います。



ところが結果は不合格!!
============



その時僕は本当に酷い運命のしうちがあるものだな~
と悲しんだものです。


娘は合格掲示板のそばで長い間
「入りたかったのに!」と号泣していたといいます。


しばらくは立ち直れないほどショックを受けていました。



ところが、人生というのは、万事塞翁が馬。


数ヶ月後には、滑り止めで受かった高校が
楽しくなり、活き活きと通うようになりました。


「この高校に来て良かった!」
と言うほどに。


そして大学受験。


2年の頃からある美術大学に照準を絞っていました。

受験前はやはり必死に勉強していました。


高校受験で失敗しているだけに、今度こそはの、思いもあったのでしょう。


よくがんばっていると我が子ながら本当に頼もしく見ていました。




美術の試験はミズモノなので、
受かるかどうかはなかなか予想がつきにくいもの。


しかし、総合的に見れば、いくつかの学部を
受ければどれかは引っかかるだろうと思われました。


そこで滑り止め1つと、
本命大学を3学部受けました。




ところが、なんと最初に滑り止めのつもりで
受けた大学が落ちてしまいました!


しかも、本命大学での受検時には、
周りの受験生の絵があまりにも上手かったという
ことで酷く落ち込んで帰ってきました。


聞くところに寄ると、滑り止めの大学を落ちて、
その本命の大学を受かった例は過去にいないとのこと。。。


まさに<絶望的>


娘はもうほとんど諦め
「なんでこんな落ちてばかりの人生なんだろう」
と涙に暮れていました。


ついには、定員割れのため、まだ募集している大学の
美術学部の願書を取りに行っていました。


そこは滑り止めと比較しても5ランクぐらい下の
ところです。。




そして本命大学の合格発表当日。


娘も妻もほとんど諦めている中、
私はなぜか受かる自信を持っていました。


特に確固たる根拠はありません。


ただ、過去から蓄積された知見から判断すると、
ここまで頑張った娘に2度までも残酷な現実に直面する
というのは考えられないと思いました。


これは私自身の経験や考え方というものではなく、
それこそ多くの読書や見聞によって得られた人類の叡智と
いって良いものかもしれません。


「大きな幸福は悲惨な顔をしてやってくる」


といった言葉もあります。



まさにその時だと。。。。




結果、




合格しました!!
========




しかも3つのうち2つがです!!




娘が号泣して私に電話をかけてきました。
報告は言葉にならないほどのものでした。


電話の向こうでは妻も号泣していました。





本人が目標設定して必死で頑張る、
これほど親として喜ばしく思えるもことはありません。



確実に生きる力を育んだといえます。



こうなるとむしろ、僕自身が勇気づけられ、
恩恵を受ける存在です。


子供の最初の10年はそのときだけが勝負。


お金や名誉は後で取り返すことができますが、
過ぎ去った大切な時間だけは、どうすることもできません。


無責任に育てれば、無責任に育ちます。
良く育てれば、良くしてくれます。


この掛け替えのない時間を逃さないでください!!







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