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2015年(平成27年) - 3月3日
マイクロソフト共同創業者であるポール・アレンが、
3月2日に武蔵をシブヤン海の水深1000mの海底で発見したと発表した。
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戦艦武蔵は1942年8月完工、全長263メートルで、
当時世界最大の戦艦だった。
当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として
史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、
甲板と側面には40センチ以上の鋼鉄が使われた、桁外れの戦艦であった。
46センチの主砲は世界最長(40キロ先の標的まで攻撃できた)の
射程距離で、防御面でも優れていたため、「不沈艦」と呼ばれた。
しかし太平洋戦争末期には、既に戦いは戦艦どうしが打ち合うものから、
機動力に優る航空機による戦いに変わってきていたことが命運を分けた。
1944年10月、敗色が濃厚になった日本軍が、起死回生の戦いを挑んだ。
フィリピンレイテ沖海戦です。
この戦いで大きな期待を背負い出撃したのが巨大戦艦武蔵。
しかし武蔵はレイテ沖海戦に出撃のおり、米軍機から集中攻撃を受け艦隊から孤立。
見方の航空機の援護がないまま、のべ250機、5回に渡る波状攻撃を受けた。
魚雷20本被雷、爆弾17発、至近弾18発を受け、
軍艦として空前絶後の損害を受けて戦没した。
だが、他に類を見ない集中攻撃を受けても
10時間近く沈まなかったことは驚愕であったとされる。
結果、乗員2399人のうち1039人が戦死。
猪口敏平艦長が沈没直前に書いたとされる遺書が残っている。
<猪口艦長より海軍大佐加藤憲吉副長に託された手紙>
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「ついに不徳のため、海軍はもとより全国民に絶大な期待をかけられたる
本艦を失うこと、誠に申し訳なし。
ただ本海戦において、他の諸艦に被害ほとんどなかりしことは、
まことにうれしく、なんとなく被害担任艦となりたる感ありて、
この点いくぶん慰めとなる。
大口径砲が最初にその方位盤を使用不能にされたことは大打撃なりき。
本日の致命傷は、魚雷命中にありたり。
いったん回頭しているとなかなか艦が自由にならぬこと申すまでもなし。
それでも5回以上は回避したり。
機銃はもう少し威力を大にせねばと思う。
命中したものがあったにもかかわらず、なかなか落ちざりき。
敵の攻撃は、なかなか粘り強し。
具合がわるければ、態勢がよくなるまで待つもの相当多し。
最後までがんばりとおすつもりなるも、今のところだめらしい。
一八五五。(時間と思われる)
暗いので、思ったことを書きたいが意にまかせず。
悪いところは、全部小官が責任を負うべきものなることは当然であり、
まことにあいすまず。
本日も相当多数の戦死者を出したり。
これらの英霊をなぐさめてやりたし。
今までのご愛顧に対しては心からお礼を申す。
私ほどめぐまれたものはないと、平素よりつねに感謝にみちみちいたり。
はじめは相当ざわつきたるも、夜にはいりてみな静かになり、
仕事もよく運びだした。
今機関室より、総員士気旺盛を報告しきたれり。
一九○五。」
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この手紙を書き終えた10分後の19時15分。
猪口艦長は、総員退去用意を命令。
そして19時30分。
武蔵は左に転覆。そして艦尾を立てたまま、シブヤン海へと消えていった。
猪口艦長は艦橋休憩室で武蔵と運命を共にすることを選んだ。
武蔵の沈没場所は戦後長らく不明だった。
というのも、沈没をし始めた場所は分かっても、
海に沈む過程で、潮の流れで大きく場所が変わってしまうからだ。
ところが武蔵の沈没から71年、戦後70年を経た今日、
奇跡のようなニュースが飛び込んできた!
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2015年(平成27年) - 3月3日
マイクロソフト共同創業者であるポール・アレンが、
3月2日に武蔵をシブヤン海の水深1000mの海底で発見したと発表した。
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ポール・アレン氏は、ビル・ゲイツ氏とともにマイクロソフト社を
創業した世界的な富豪で総資産2兆円以上と言われている。
6つの財団を傘下に率いるポール・G・アレン財団を運営している。
父親が太平洋戦争に従軍したこともあり、沈没した戦艦に興味を持っており、
「武蔵」は8年前から捜索を続けていた。
武蔵の捜索には、自身が所有する、
総工費200億円の大型ヨット「Octopus」を利用。
そこには無人潜水艇も保有。
彼らが公開した映像を見た専門家は、一様に
ほぼ武蔵に間違いないだろうとの見解を示した。
武蔵の発見は、
莫大な費用がかかるため、国の政策として行うことはなかったことでしょう。
水深1000mの深海ということからすれば、、
普通に考えれば”永遠”に見つかることはないもの。
それが一民間人によって、戦後70年という節目の年に
長らく謎とされてきた武蔵の船体が発見されたことは、
運命的なものを感じずにはおれません。
沈めたのはアメリカ、
そして発見したのもアメリカ。
猪口艦長以下、この船で命を落とした1000人あまりの魂は
何を想う。。
当時の戦争の悲惨さを思い返す良い機会であると同時に、
激しい交戦をまみえた日米が今は協力する時代であるという
平和を実感せずにおれません。
私たちは、先人たちが命を賭けて戦ってくれたことに感謝をし、
その土台の上に今の日本があることを忘れてはならないでしょう。
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参考;
ウイキペディア;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C_%28%E6%88%A6%E8%89%A6%29
https://www.youtube.com/watch?v=bhADaK7BwFU
https://www.youtube.com/watch?v=cpBlaRM61vU
http://www.b-b.ne.jp/kaigun/saigo/saigo.html